“ジャズ・モーメンタム”と“国際ジャズ・デイ”〜2つの“ジャズを継ぐステージ”のインプレッション
1月の初旬、東京・丸の内のCOTTON CLUBで“ジャズ・モーメンタム”と題するイヴェントが開催された。
1年ぶりだが、この企画の“気鋭のミュージシャンが一大セッションを繰り広げる”というコンセプションは、2020年代に始まったものではない。
元を辿れば、1990年代に東京・岩本町のライヴ・スポット“TOKYO TUC”で継続的に開催されていた“JAZZ BATTLE ROYAL”に突き当たり、このイヴェントは“ジャズ維新”と呼ばれるレコード会社とライヴシーンを巻き込んだムーヴメントを支える役割を果たしたと認識している。
1990年代の精神の継承とは?
“ジャズ維新”は、1980年代半ばからアメリカのジャズシーンで勢力を拡大していったハード・バップに至る1950〜60年代に発展したジャズの系譜を「復活させよう!」という、いわゆる“ジャズのルネサンス”をめざした文化運動の一種だとボクは理解していて、発火点のアメリカではヒップホップの対抗馬になるまでには至らなかったのに、日本では前述の“ジャズ維新”のような盛り上がりを見せ、Jジャズ(ジェイ・ジャズ)と呼ばれるサブ・ジャンルを打ち立てて、日本独自のジャズを生む原動力になっていたりする。
という背景もあるので、2022年1月に“ジャズ・モーメンタム”が復活したのもリヴァイヴァル的な気運として“あってしかるべき”という受け止め方をしていたのだけれど、もちろん過去をなぞるだけの伝統芸能路線になってしまうのではもったいないし、せっかくの“ジャズを継ぐ者”を意識した“JAZZ BATTLE ROYAL”の精神が途切れてしまうと心配したりもしていた。
でも、そのステージはそんな杞憂を吹き飛ばしてしまうほど迫力のあるものだったから、これはまたJジャズの次の大波が来るんじゃないかとワクワクさせられてしまった。
というのが“ジャズ・モーメンタム2023”の印象だったのだ。
それから4ヶ月ほど経った同じステージに、また森山威男が登場するというので、今度は1月とどう違うのかという期待を胸に、メンバーが登場するのを待つことになった。
ジャズを通して各国固有の文化が浮き彫りに?
4月30日に行なわれた公演は“国際ジャズ・デイ”を記念してセッティングされたものだった。
“国際ジャズ・デイ”とは、ジャズを祝う国際機関によって定められた記念日。
2011年11月にパリで開かれたユネスコ総会で、ユネスコとユネスコ親善大使を務めるジャズ・ピアノのレジェンド、ハービー・ハンコックが「2012年4月30日から毎年この日を“国際ジャズ・デイ”にするヨ!」と発表、ジャズを通じて世界のさまざまな文化への理解を深めることを目的に、ライヴイヴェントやワークショップ、セミナー、パネルディスカッション、座談会などが行なわれるようになった、というものだ。
ということで、この“国際ジャズ・デイ”に、コルトレーンをトリビュートするという名目で企画されたのが当夜のステージだった。
出演したのは、ジャズ史におけるフリー・フォームとリズム・インプロヴィゼーションの分野に革命的な足跡を残しているレジェンド・ドラマー、森山威男率いる2管クインテット。
オープナーは「アフロ・ブルー」、続いて「ジャイアント・ステップス」「ナイーマ」「インプレッションズ」と、コルトレーンのオリジナルのなかでも人気の高い曲が並んでいたのだが、コルトレーンが残した録音とは“まったく異なる”と言ってよいほど、演奏者たちの感性が反映されたサウンドが放出され、会場のヴォルテージも急上昇していった。
途中、MCで森山が“コルトレーン初体験”のエピソードを披露。
彼が東京藝術大学打楽器科に入学した翌年に初めて耳にしたコルトレーンは「なんてウルサイ音楽だ!」というものだったそうで、これはコルトレーンの最晩年(1964〜67年)、フリー・ジャズにドップリとのめり込んでいて、その時期の音源(あるいは1966年の来日公演)に接したことがある人なら共感できる言葉ではないかと思う。
「でも……」と森山は言葉を続け、「もっとフリーな演奏をめざしていたから、ああなっていったんだろうと、いまなら理解できる」と心境を語っていた。
そして、「一緒にプレイできないのが残念」という言葉もまたトリビュートにふさわしく、“国際ジャズ・デイ”の趣旨に沿うものだったと思う。
実は、会場に向かうボクの頭のなかでは、「なぜいまコルトレーンなのか?」という問いが堂々巡りしていて、少しでもその答えのヒントになるものをつかめればとステージを睨んでいたりしたのだけれど、なるほど「さすが森山威男さん!」と、その言葉に膝を打った次第。
「もっとフリーな演奏」でもうひとつ頭に浮かんだのは人気コミック「BLUE GIANT」のことで、主人公の宮本大が共調(=平易な合奏)のためのジャズではなく、自分の声を探すことに執着し、ニューヨークより先にヨーロッパへ向かった意味と重なるところがあるのではないか、と。
閑話休題、当夜のステージも、ラスト・ナンバーの「インプレッションズ」がオリジナルの「サンライズ」にすり替わっていたり、アンコールがJジャズの名曲「グッドバイ」(作曲:板橋文夫)だったりと、実は日本のジャズ及びジャズ文化がアフリカン・アメリカンによるジャズ及びジャズ文化の“受け売り”として成立してきただけじゃない、いや、わけじゃないという矜持を、ベテランから若手に継承する機会であったのかもしれないと、あの熱い演奏を思い出しながら考えているところなのだ。