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【名古屋市】2026年大河ドラマ「豊臣兄弟!」の出発点。兄弟を生んだ生母の生誕地を訪ねる

ぽぶ・ばしおライター(名古屋市)

 再来年のNHK大河ドラマは「豊臣兄弟!」。豊臣秀吉の実弟である秀長の視点から、秀吉の立身出世の道を描く物語。郷土の英雄が主人公ということで、今から期待を膨らませている名古屋の方々も多いのではないだろうか。

 豊臣秀吉についてはよく知られているが、それに比べて弟の秀長はあまりよく知られていない。歴史の中で存在感を発揮するのは、織田信長が本能寺の変で最期を迎えた後、織田家で秀吉が台頭し始める頃からである。それ以前は、史料などにも記述が少なく、秀吉と常に行動を共にしていたのだろうと推察されるばかりだ。

中村区の豊国神社の参道にある、豊臣秀長について紹介する案内板
中村区の豊国神社の参道にある、豊臣秀長について紹介する案内板

 秀吉と秀長の生母とされている「なか(仲)」についてとなると、不明な点ばかりだ。実在は間違いないものの、わからない部分が多く謎に満ちている。1585(天正13)年に秀吉が関白となるに伴い、従一位に叙されて以降、大政所(おおまんどころ)の号を与えられた事実が最も知られている。

 秀吉自身の出自が農民なのか下級武士なのか定かではない地点から始まっているため、無理もないことである。秀吉が天下人になるとは、母のなかは夢にも思っていなかっただろう。

 不明な部分ばかりの豊臣兄弟の母なのだが、一世一代の大舞台に上がった出来事がある。

 1586(天正14)年、ほぼ天下を手中に収めた秀吉が、徳川家康に対して臣従を迫った。しかし、家康は応じなかった。そのため、まず妹の朝日姫を家康の正室として差し出し、さらに大政所となっていた母をも家康の元へと送った。母と妹を人質として秀吉から差し出された家康は、大坂城で秀吉に謁見せざるを得ず、秀吉に臣従した。家康が秀吉との謁見に出かけている間、大政所の滞在する館にはすぐに火を点けられるように柴が積み上げられた。家康の身に何かあった場合は、大政所は炎で焼かれただろう。人質となった約1か月間の後、秀吉のいる大坂城へと大政所は帰還した。

 天下人の母は肝っ玉もすさまじい。決死の覚悟の結果、時代のターニングポイントを導き、歴史を変えた。そんな大政所の生誕地とされている場所が、昭和区の御器所にある。難解な地名クイズでよく登場する御器所(ごきそ)だ。

「伝豊臣秀吉母宅跡」の立て札
「伝豊臣秀吉母宅跡」の立て札

 現在、小さな敷地に祠(ほこら)が一つあるだけに過ぎない。しかし、豊臣兄弟の覇業を母として支え秀吉が天下人となる経緯を見届けた大政所という女性の人生の出発点が、現代にまで伝えられているのは感慨深い。

「御所屋敷跡」の石柱も建てられている
「御所屋敷跡」の石柱も建てられている

住所: 昭和区御器所3丁目22

アクセス: 市営地下鉄鶴舞線荒畑駅から南へ徒歩5分

ライター(名古屋市)

5年住んだ豊橋市から帰ってきました。名古屋市には、まだまだココホレ的なモノがある! みなさんと名古屋をココホレしていきたいな。 【実績】 テレビ愛知 「工場へ行こう」「わが社の星」「歴史のバイプレイヤー」など特集ニュース制作。 織田有楽斎 https://news.tv-aichi.co.jp/single.php?id=2929  スタッキングチェア https://news.tv-aichi.co.jp/single.php?id=2277  クリエイティブリンクナゴヤ 「オイスターズ インタビュー」https://creative-link-nagoya.jp/column/1781/

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