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怯まぬ熱帯の若者たち ~タイ民主化運動 コロナを越えて~

阿佐部伸一ジャーナリスト
独裁や圧政への抵抗の意思が込められた三本指=タイ最高裁判所前で、筆者写す

 軍事クーデターから7年が過ぎたタイ。若者を中心に「プラユット首相の退陣、非民主的な憲法の改正、王室制度の改革」を求める民主化デモが全土に広がっている。

 これに対し、当局は強制排除に乗り出し、不当な逮捕と起訴も増え続けている。タイ人権弁護士協会によれば、今年8月までに、少なくとも800人が不敬罪をはじめ、緊急事態条項違反などの刑事罰に問われているという。

 それでも熱帯の若者たちは怯まない。集会やデモは新型コロナの影響で一時下火になっていたが、対コロナ政策への不満が拍車をかけ、いま軍政権への抗議の声は再び大きくなっている。

「ニュース報道にも国家の暴力が迫っている」と話すヴォイステレビのチャイチャン記者=バンコク都心のデモ会場で、筆者写す
「ニュース報道にも国家の暴力が迫っている」と話すヴォイステレビのチャイチャン記者=バンコク都心のデモ会場で、筆者写す

 このビデオリポートは、コロナで長らく来タイできずにいたので、一日も早く発信したかったのだが、編集が済んでから10日後、タイ出国直後の公開となった。

 「ダメだ、ダメ!裁判所警察だ。さっきインタビューしてただろう。私にはあなたを逮捕する権限があるんだぞ」。裁判にかけられている学生の母親の話を裁判所の門の外で聞いた後、敷地外から建物の外観を撮っていると、制服の警察官が走り寄ってきて、こう言ったのだ。その学生がニックネーム「ペンギン」で有名な民主化運動のリーダーで、不敬罪など21件の罪状で訴えられていたからだろう。言論の自由がない体制下では、声を上げる市民だけでなく、彼らを報じるジャーナリストも逮捕されかねない。その警察官の語気には、平素は問われることなどない報道ビザを持っていないことを理由に逮捕される恐れを感じた。撮影素材の削除を釈放の条件にされてしまえば、コロナの厳しい防疫体制を潜り抜けて取材したことが水泡に帰す。

「外国の助力が必要です」と言う不敬罪など21件の罪状で起訴されている学生の母、スリーラットさん=刑事裁判所前で、筆者写す
「外国の助力が必要です」と言う不敬罪など21件の罪状で起訴されている学生の母、スリーラットさん=刑事裁判所前で、筆者写す

 リポートの公表はタイ出国後にと決めた2日後の11月10日、タイの憲法裁判所は集会やデモを先導した学生たちに対し、立憲君主制を転覆しようとしたとして、王室に関するすべての運動を止めるよう命じた。一方、学生たちは14日、予定していた王宮前広場の警備が厳しくなったため、急きょ会場を都心のサイアムスクエアに変更し、1万人規模の抗議デモを行った。プラカードには「改革≠転覆」と、道路のアスファルトには「この国は国民のもの。国民万歳」と書いた。かつてのタイでは「国民」の箇所は「国王」だった。当局が実弾は使っていないとするなか、デモに参加していた男性が胸を撃たれ、数日前に取材していた元下院議員で眼科医のトサポンさんが現場での救命処置にあたっていた。改革を求める集会やデモが憲法違反とされたことで、下位の法律による弾圧や粛清が強まることは確実、学生たちと当局の対立はさらに先鋭化している。

 ところで「なぜクーデターを繰り返し、民主主義が定着しないのか」という根底からの疑問が、80年代後半にこの国に初めて来たとき以来ずっとある。記者や学者らにも会ったが、その疑問を晴らすような話は今回も出て来なかった。

”軍法”の下、強大な権力を振るうタイの裁判所=バンコクで、筆者写す
”軍法”の下、強大な権力を振るうタイの裁判所=バンコクで、筆者写す

 日々の取材の合間に、35年に亘ってタイでの通訳を買って出てくれているタイ人の親友とこんなやり取りをした。「衣食足りて礼節を知る」というが、タイは経済発展しても、そうではなさそうだ。そもそも熱帯の豊潤な自然に衣食に困ることはなかったから?喰うに困らなくなったら、次は周りに認められ、尊敬されたくなるのが人の性だが、この国では名誉や権力すべてをカネで買えるのでは?また、そうした成金趣味の人たちを恥ずかしいと思う精神文化が一部でしか醸成されていないことが、この悪循環を招いているのでは?

 取材する外国はいつも鏡のように自国を映す。日本の政財界にも限りなく黒に近いグレーでも、姑息な工作を繰り返して、開き直っている輩たちがいる。今回、いまのタイには「言論の自由」がないことを当事者から聞き、自らも取材中に体感した。一方、日本は一見自由なようで、反体制な発言者を経済的に干すという形で、体制側にとって都合が悪い事実を封じ込めようとしている。手段や程度こそ違えど、本質は同じか。

 こうしたことを悶々と考えながら制作したビデオリポート。活字では既報かも知れないが、当事者たちの肉声は少ない。ご覧いただければ幸甚だ。

ジャーナリスト

全国紙と週刊誌編集部、ラテ兼営局でカメラマンや記者、ディレクターとして計38年、事件事故をはじめ様々な社会問題や話題を取材・報道してきました。そのなかで東南アジアは1987年に内戦中のカンボジアへ特派員として赴いて以来、勤務先の仕事とは別にライフワークとしています。東南アジアと日本は御朱印船時代から現代まで脈々と深い繋がりがあり、互いに大きな影響を受け合って来ました。日本の人口減が確実となり、東南アジアの一般市民が簡単に来日できるようになった今、相互理解がますます求められています。2017年に定年退職しましたが、まだまだ元気な現役。フリーランス・ジャーナリストとして走り回っています。

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