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専門家が教える「なんか寂しい」を卒業する5つの習慣

ひとみしょう哲学者・作家・心理コーチ

こんにちは。ひとみしょうです。

なんか寂しいとしか言えない理由のよくわからない寂しさは、それを問いの形にすることによって消えてゆきます。その結果、ネガティブな感情に支配されることなく、いつも明るく前向きな人生になるわけではありません。「自分の人生は、まあこんなもんかな」といった安定した納得感に支えられた人生になります。

さて、今回は、深い人間洞察に支えられている哲学に依拠しつつ、「なんか寂しい」を卒業する習慣についてご紹介しましょう。実践すれば人生に関する深い気づきを得られるかもしれません。

言いづらいことを先に言う

キルケゴール哲学を読み解く鍵語の1つは「隠蔽」です。隠蔽とは例えば、自分がコンプレックスに感じていることを隠すことです。学歴をコンプレックスに感じるから隠すとか、お金がないことを他人に悟られないように見栄を張るとか。

隠蔽から「なんか寂しい」が生まれます。「オレ、今日100円しかないんだよね」。こう言える関係を他者と築くことで「なんか寂しい」を卒業することができます。

善悪の判断を保留にする

テレビに映る不倫をした芸能人に腹を立てる人が多いそうですが、その芸能人はなぜ不倫をしたのでしょうか。下半身の欲望を満たすためだけでしょうか。

通常、行為の理由が1つしかないことはありません。複数の要因が折り重なった結果「そういうこと」を「してしまった」のです。つまり、「善くない」ことをするには、それなりの背景があるということ。その背景を洞察することが「なんか寂しい」を卒業させてくれます。要するに「なぜ」を考える過程において「なんか寂しい」が「問い」へと変わり、その必然の結果、ある日突然、問い自体が消滅するのです。

新しいことに挑戦する

「なんか寂しい」を卒業できない理由の1つは、あなたが何らか思い込みを持っているからです。簡単に言えば、自分で自分の心を「なんか寂しい」地点に繋いでいるのです。その思い込みは身体を動かして何らか新しいことに挑戦することによって、驚くほど瓦解します。身体は意識とはまったく独立に、何らかを考えているからです。身体の「新しい考え」は、新しい空間で新しい仕方で身体を動かす過程において萌芽します。

小説を読む

「今どき小説なんて」と思う人もおられるかもしれません。しかし小説は、ふだん私たちがうまく言葉にできない何らかの気持ちを、言葉を尽くして説明してくれている、いわば「他人の精神分析の結果」の書です。小説家にその自覚はないかもしれませんが。

しかし、私のような哲学をやっている人間からすればそう読めます。だから、年齢問わず、「小説の主人公を無二の親友と感じる」人がいるのです。自分に似た誰かの生きざまを精緻に知ることで「なんか寂しい」はやがて希望へと変わってゆくのです。

1日5分ひとりの時間をもつ

電車の中で5分でも、夜ベッドに入って5分でもいいので、1日に5分はひとりの時間を持ちましょう。「もうひとりの自分」と会話するのです。私たちの心の中には複数の「もうひとりの自分」がいます。それは絶え間なく他者の期待に応え続ける時間(ふだんの膨大な時間)においては息をひそめています。5分だけ、もうひとりの自分と対話することによって、あなたが生かされている意味が見えてきます。

いかがでしょうか。

冒頭にもお話申し上げたように、悩みは常に、それを問いの形にすることでやがて消滅します。その消滅を私たちは、「悩みが解決した」と言います。

悩みを問いの形にする習慣を5つご紹介しました。ぜひ実践なさってください。

哲学者・作家・心理コーチ

8歳から「なんか寂しいとは何か」について考えはじめる。独学で哲学することに限界を感じ、42歳で大学の哲学科に入学。キルケゴール哲学に出合い「なんか寂しいとは何か」という問いの答えを発見する。その結果、在学中に哲学エッセイ『自分を愛する方法』『希望を生みだす方法』(ともに玄文社)、小説『鈴虫』が出版された。46歳、特待生&首席で卒業。卒業後、中島義道先生主宰の「哲学塾カント」に入塾。キルケゴールなどの哲学を中島義道先生に、ジャック・ラカンとメルロー=ポンティの思想を福田肇先生に教わる(現在も教わっている)。いくつかの学会に所属。人見アカデミーと人見読解塾を主宰している。

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