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やまゆり園犯行現場について元入所者家族の話を面会室でぶつけた時の植松聖被告の気になる答え

篠田博之月刊『創』編集長
横浜拘置支所(筆者撮影)

 2020年1月8日から相模原障害者殺傷事件の植松聖被告の裁判が始まる。そこで問われるあの衝撃的な事件の問題点や本質については別稿に書いた。

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20191229-00156955/

間もなく始まる相模原障害者殺傷事件・植松聖被告の裁判で問われることは何か

 ここではその話とは別に、2019年12月10日に植松被告に接見した時の気になった話を書いておこうと思う。きっかけになったのは、彼に接見する前、事件当時に子どもを津久井やまゆり園に入所させていた親たちから話を聞いたことだ。その親たちの座談会は発売中の月刊『創』1月号に掲載したが、ちょうど神奈川県知事の発言を契機にやまゆり園をめぐる議論が起きているので、その参考にしてほしいと思ってヤフーニュース雑誌に先頃、全文公開した(URLなどはこの記事の末尾に記す)。

 入所者家族の座談会の本質的テーマは大規模施設のあり方なのだが、その中で気になったというのは、こういうくだりだ。一部を割愛しつつ引用する。文中の聞き手は『こんな夜更けにバナナかよ』の作者である渡辺一史さんだ。

犯行現場をめぐる元入所者家族の話

渡辺 植松被告が津久井やまゆり園に押し入ったのは2016年7月26日の未明のことですが、その早朝に家族の方々が駆け付けたわけですね(略)。当時やまゆり園は「ホーム」と呼ばれる8つのユニットに分かれていました。

平野(母) 「すばるホーム」では3人が亡くなっています。植松は最重度の障害者を狙ったと言ってますが、うちの子は区分から言えば最重度なんです。

 でも「すばるホーム」で刺されて瀕死の重傷だった子は、会話もできるような人でした。何でも自分で喋れるし、その子は廊下を這っていって職員を呼びに行ったんです。7カ所刺されたけれど、かろうじて動脈をやられなかったんですね。

渡辺 植松被告は刺す前に声をかけて名前を言えるかどうかを確かめ、なるべく重度の人を狙ったと言ってますね。

平野(父) 名前を尋ねたといっても夜中の2時頃でしょう。私だって言えたかどうかわからないですよ。植松は重い子を狙ったと言っているけど、そんな判断をする余裕はなかったと思いますね。

吉田 最重度の子を刺したと言ってるのは事実と違いますよね。うちの子も最重度ですから。うちの子は睡眠障害でちょっとの物音でも起きてしまうので、たぶんその時、起きていたんだと思うんです。だからたまたま刺されなかったのかもしれない。これは推測なんですけど。

平野(父)吉田さんのお子さんがいた「みのりホーム」は、植松が襲ったホームの中では、唯一、ケガ人はいたのですが死者は出なかったんです。

吉田 包丁を新しく変える前で刺さらなくなっていたんじゃないかと言われていますね。

平野(父) それと、もうひとつ考えられるのは、「みのり」は施錠されている部屋が多かったのかもしれない。

平野(母) これは推測ですけどね。本来、施錠してはいけないことになっていますから、実際のところはわかりません。

 

 ここでは省略したが、この座談会では、ほかにも入所者家族の間で当時話されていたことがいろいろ紹介された。同じ部屋にいたのに、殺害された子とそうでなかった子がいた。その生死を分けたのは何だったのか。家族としては当然気になったことかもしれない。

 植松被告本人に聞こうと思ったのは、例えば吉田さんの「うちの子は睡眠障害でちょっとの物音でも起きてしまうので、たぶんその時、起きていたんだと思うんです。だからたまたま刺されなかったのかもしれない」という発言だ。あるいは、刺されなかった入所者の部屋は施錠されていたのではないか、という推測だ。これは施設のあり方にも関わる、実は結構重要な問題だ。

植松被告は「施錠」については否定した 

 12月に植松被告に接見に行った時は、渡辺さんと一緒だった。そこで入所者家族から聞いた細かい話をひとつひとつ本人にぶつけていった。

 施錠されていた部屋があったのかどうかについては、植松被告は明確に「鍵がかかっていたという記憶はない」と否定した。

 そしてまた、同じホームでも殺害された入所者とそうでない人がいたのは、襲撃当時に起きていた入所者は抵抗の恐れがあったために襲わなかったのではないかという問いには、こういう答えだった。

「そういう記憶はないし、その認識もありません」

 そして、「ただ自分も現場の細かい状況を冷静に記憶しているわけではないので」と付け加えた。植松被告自身、興奮状態で混乱もあったことを認めている。

 渡邊さんはさらに、植松被告が当時勤務していた「のぞみホーム」で入所者が無傷だったのは、やはり顔を知っている入所者を殺害することへのためらいがあったのではないか、と尋ねた。これに対する植松被告の答えは、そんなことはありません、というものだった。

 渡辺さんはさらに畳みかけるように質問を重ねたのだが、面会室で突然そういう質問を受けて植松被告もやや答えに窮するという雰囲気だった。植松被告は当初、重度障害の入所者かどうかを判別して殺害したというようなことを語っていたのだが、それは恐らく「後付け」の理屈で、そんな判別が現場でできるものではないことは明らかだろう。

 植松被告の犯行現場での細かい状況は、警察の取り調べでは重視されていたはずで調書には記録されていると思うが、あまりに残虐で報道に堪えないのでこれまでほとんど知られていない。私も接見を重ねる過程で断片的に聞いてはいるが、これまで活字にはしていない。彼の犯行動機の解明は大事なことだから、犯行直後にツイッターに自画像をアップした経緯や、出頭時の状況については2018年に出版した『開けられたパンドラの箱』にも記録として残しているが、犯行現場の状況については手記やコメントの依頼もしなかった。

 1月上旬からは裁判にからめて新聞・テレビの大報道がなされるはずだ。相模原事件をめぐっては、実は詳細な事実が明らかになっていない部分も少なくない。裁判でどれらがどのくらい明らかになるのか、注目したい。

 3年半経って風化が懸念された相模原事件だが、裁判開始は、議論がなされる大きな機会だ。そういう議論に供するために、この間、『創』に掲載してきた座談会などをやフニュース雑誌に公開したので、関心のある方は読んでいただきたい。

元利用者家族が語ったやまゆり園と殺傷事件

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191227-00010000-tsukuru-soci

相模原事件被害者・尾野一矢さんめぐる大きな取り組み

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191204-00010004-tsukuru-soci

相模原事件めぐる議論で語られていない施設の現実 井上英夫×渡辺一史×佐久間修

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191227-00010001-tsukuru-soci

 

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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