バルサがメッシという奇跡を生むのに要した年数は?「人柱」になった者たち
FCバルセロナはヨハン・クライフが1988年5月に監督就任後、目指すべきチームの形、戦い方、求める選手、そのキャラクターなどを確立した。
「ダイレクトパスを駆使して、チームを動かせる司令塔」
その最適選手として指名されたのが、ルイス・ミジャだった。その後、クライフは下部組織であるラ・マシアから育ったジョゼップ・グアルディオラを昇格させ、手塩にかけて育て、このポジションの系譜は始まっている。シャビ・エルナンデス、セスク・ファブレガス、アンドレス・イニエスタ、セルジ・ブスケッツにつながり、今もバルサBにはオリオル・ブスケッツというアンカーが在籍する。
各ポジションには、下部組織ラ・マシアの努力の跡が見られる。
そしてリオネル・メッシも、ラ・マシアが生み出した最高傑作と言えるだろう。
メッシを生むのに要した年数
「サイドを起点にし、試合を動かせる左利きアタッカー」
バルサはそのタイプの選手を求めてきたが、当初、その人材は外から補充していた。草創期は、ブルガリア代表フリスト・ストイチコフだった。しかしクライフは下部組織での育成を目指した。
ラ・マシアでは、該当する能力を持った選手をスカウティングし、じっくりと育てている。もっとも、逸材はそう簡単に生まれるものではない。トニ・ベラマサンなど何人かはトップデビューしたものの、誰も定着することはなかった。その後もクラブは、リバウド、ゼンデンなど外国人レフティーを外から補強した。
1999年に十代でトップデビューした左利き攻撃的MFのナノは「リバウド二世」と謳われ、デビュー戦ではインパクトを残した。しかし、その後はケガに見舞われることに。いつしか移籍を余儀なくされている。
そして、20年以上をかけて生まれたのが、メッシだった。
メッシが生まれた必然
メッシは次元を越えたプレーを見せる。速い、うまい、強い、そんな枠には収まらない。
「武器はなに?」
そんな低いレベルでは語れない。彼自身がフットボールそのものだ。
メッシがボールを持つとき、ディフェンダーは憐れなまでに尻込みする。怖い者知らずが突っ込んでくると、ひらりと置き去りに。たとえボールを持たなくても、いるだけで敵の綻びを作る。完全無欠のヒーローだ。
英雄が生まれた理由は、偶然ではない。
ラ・マシアの構造
ラ・マシアの各カテゴリーは、フットボールの回路が叩き込まれている。ポジショニングやコンビネーションなど細かい距離感やタイミングの中で、選手はプレーを行う。それによって、バルサの華やかなパスワークは生まれる。そこではスキルや戦術センスがベースとして必要されるわけだが、全員がハイレベルのボールゲームを追求することで、バルサの選手として一人前になる。
そこで頭角を現したのが、メッシだ。
メッシという英雄を生み出した回路
実はエリート集団のバルサでも、トップに上がれる選手が一つのカテゴリーで一人もいないことも珍しくない。貫徹するフットボール回路の中、そこで殻を破った選手だけが、バルサのトップでのプレーが許される。トップではチーム戦術を動かすパーツとしてだけではなく、「個人として勝利をもたらす規格外のプレー」が条件になるからだ。
言い換えれば、ラ・マシアはその選ばれし者を生み出すために存在している。理屈はこうだ。全員がボールゲームを推進する中、攻撃する時間帯が長くなって、攻撃回数も増える。それはアタッカーにとっては、代え難いトレーニングになる。攻撃を繰り返すことで、覚醒する選手がいる。守備の選手でも、高いボールゲームを要求される中、カルラス・プジョルのように本来以上の力を引き出される選手もいるのだ。
メッシは、攻撃を信奉するラ・マシアの土壌から生まれた奇跡と言える。
「人柱」になったチームメイト
一方で、ラ・マシアには弊害もある。
「バルサの選手はうまいが、順応性は低い。ボールをつなぐことに慣れてしまって」
バルサから脱落した選手は他のクラブでも期待されるが、思った以上のパフォーマンスを残せない場合が多い。そこまで特殊な環境なのである。メッシのように覚醒できなかったアタッカーは、「うまいが、怖さはない」としばしば指摘される。
「メッシの後継者」
そう言われる選手は、今もバルサの各カテゴリーに存在しているが、トップで定着する選手は一人も出てきていない。例えば16才でイスラエル代表に選ばれたガイ・アスリンはチームを転々とした挙げ句、現在は2部B(実質3部)のクラブでプレーしている。
次のメッシが現れるまで、もう20年が必要なのか?
ラ・マシア。
それは壮大で冒険的なプロジェクトと言えるが、メッシを見ていると、それだけの価値があることを示している。