国際会議に集う若者たち 未来への提言「国際プラスティック条約」への道(2)
2024年11月25日から12月1日まで、国連環境計画のもと韓国釜山で開かれた「国際プラスティック条約」の政府間会合。合言葉は「End Plastic Pollution」。世界で深刻化する「プラスティック汚染を終わらせる」だが、残念ながら交渉は決裂し、来年へ議論は持ち越された。「国際プラスティック条約」への道のりを、複数の視点から3回にわたりリポートする。
■国際会議に集う若者たち 日本からも
会議前日の11月24日。釜山の会場でYouth Assembly(若者たちの会議)が開催された。これは国際会議の一部として、各国の若者たちが集い、「未来の世代の声を」届けるために行われたものだ。UNEP国連環境計画のInger Anderson エグゼクティブディレクターも参加して行われた。近年の国連会議では、1992年の地球サミット(通称リオサミット・国連環境開発会議)の前後から、NGOや若者、マイノリティーの声を聞く場所が設けられることがある。Youth Assemblyもその一つだ。
日本からも若者の声を届けようと参加したのが、『プラスチック若者会議』の桑野渚さん(25)や、岡田智七永(おかだちなつ)さん(21)らだ。Youth Assemblyでは各国の若者と議論を交わした。
社会人の桑野さんは仕事を休んで参加した。「初日から参加しています。Youth Assemblyの翌日からは、国の代表団の条約の文章策定の会議をオブザーバー席から見学しています。条約ってこんなふうにつくられていくのか?と新鮮な気持ちです」
毎日、会場のモニターと、公式サイトで最新のスケジュールを確認し、オブザーバーが参加できる会議に手分けして参加して、国際会議で議論されていることを、インスタなどで発信を行っていた。
東京大学の学生である岡田さんは、「実際に参加してみると、会議の進行がとても遅いです。本題と関係ない発言で時間が奪われたり、また、先進国と途上国、産油国の対立の深さにも驚いています。」
■日本の若者たちから 政府への提言
桑野さんや岡田さんらが参加する『プラスチック若者会議』は、若者団体の連合体で「国連プラスティック条約」に若者の声を届けるため、提言書の作成を2024年の1年間かけて行ってきた。参加団体は、青年環境NGO Climate Youth Japan、ビーチクリーンなどのボランティアを開催するIVUSA・国際ボランティア学生協会、30歳以下のユース・イニシアティブで政策提言などを行うGlobal Plastic Treaty Youth Initiative (GPTY)などだ。
2024年夏に開催された提言書の作成会議では、一般からも広く意見を募り、「持続可能な生産と消費」「リユース/エコデザイン」「漁具廃棄物などゴーストギア対策」「公正な移行」「ステークホルダー参画」の五つのテーマごとに、専門家のレクチャーを受けながら対面とオンラインで議論し、提言をまとめた。1.プラ全体の生産量・使用量の削減 2.環境配慮型商品やシステムの推進 3.世界共通ルールの作成などの提言を、会議の前後に、環境省や経済産業省などへ申し入れも行ってきた。
桑野さんは、「プラスティックの問題は、現在の問題でもありますが、私たち若者が今後対応しなければならない課題です。ビーチクリーンに参加しても、プラごみは果てしないボリュームですし、より遠い未来を背負う私たちが声を上げなければと始めました。」
■インドネシアの少女の声 日本からのリサイクルという名のゴミ輸出
会議期間中、政府会合の隣では、国際NGOによる展示とセミナーが同時開催されていた。科学者によるマイクロプラの健康への影響に関するセミナーや、海洋プラ回収の新たなスキームについての展示など、さまざまな企画があった。
桑野さんたちはあるセミナーで17歳の少女と出会った。「リサイクルという名のプラごみ輸出」がテーマで、主に東南アジアに、日本や米国などから、リサイクル素材という名前でプラごみが輸出されていること、そしてその工程が杜撰なため、不法投棄や汚染を起こしているという内容だった。
インドネシアの17歳のニナさんは、「自宅周辺は日本などからのプラごみで溢れ、小さなころに泳いでいた川はもう泳げない状態です。健康への影響も心配されています。自分の国で処理できないものを、私たちの国に持ってこないでください」
ニナさんらが示した写真には、日本でポピュラーな飲料水やお菓子のラベルが大量にあった。マレーシアの国際NGO・Basel Action NetworkのWONG Pui Yiリサーチャーはこのセミナーで「2018年までは中国が、欧米や日本など海外からの”リサイクル名目"でのプラゴミ輸出を受け入れていましたが、2018年に中国が禁止したことで、それ以後、マレーシアやインドネシアなど東南アジアが新たな場所になっています。多くのプラごみが”リサイクルの原材料”として輸出されています。マレーシアの場合、日本からが突出して多く、続いて米国の順番です。」
桑野さん「知識としては知っていましたが、当事者の、それも若者の声を聞いたのは胸に迫るものがありました。自分達が被害者にも加害者にもなるということに。」
別のセミナーに参加した『プラスチック若者会議』のチー新一さん(東京農工大/20)は、「他にも、居住地が汚染されている先住民など、甚大な影響を受ける人々の切実な当事者の声を聞いたのは印象的でした。また、議論の対立の中で、「科学的な根拠」についての争点の一つとなり、プラスチック汚染は深刻なのに、その原因と影響の共通認識が世界全体で図れていない現実にも驚かされました。」
■行き詰まる国際会議 若者で協力し前に
11月30日。会議は後半になり、交渉が行き詰まったため、桑野さんたち若者がオブザーバーで参加できる会議は無くなってしまった。桑野さんたちは、釜山港の近くの会場に移動し、韓国の若者と「日韓プラスチック若者会議」を開催した。イベントでは、長崎県対馬の役所や環境団体の方々と、韓国の市民団体のプレゼンをもとに、若者として何ができるかを議論し、短時間ではあったが、今後の連携や情報交換を約束した。
最終日、12月1日の夜、遅れていた国際会議の全体会議が開かれたが、「国際プラスティック条約」の原案は結局、まとまらず、「プラスティックの生産削減」について、最後まで産油国とその他の国々の対立は埋まらなかった。条約は2025年に策定されることは決まっているため、今後、UNEP国連環境計画によって、新たな政府間会議が、2025年の前半に追加で設けられることが確定した。
「プラスチック若者会議」の岡田さん「条約は完成に至りませんでしたが、参加して学ぶことがたくさんありました。若者としては、高い目標を掲げた野心的な条約内容を求めてきましたが、実際の国際会議に参加して、問題の複雑さを目の当たりにしたため、解決への道の険しさを本当に感じました。」
桑野さん「会議は決裂し来年に持ち越されましたが、今後も、提言を日本政府の他の部署に届けるなど、私たちのペースで活動を続けていきます。産油国のYouthとも話をしてみたいし、日本からの汚染に苦しむ若者ともつながっていけたら嬉しいです。」