京都でビール会社を起こした外国人社長の地元愛 コロナや地震にもよりそう 京文化を支える人びと(1)
京都は、一見、伝統に縛られているようで実は、異文化を受け入れ<京都らしさ>にアレンジし包み込む街だ。わかりやすい例は、京都市がパンの購入額が日本一(2022-23 総務省調査) だということ。街角には個性的なパンの店や有名なコーヒー店が溢れている。町屋を改装したフレンチなども数知れず。異国文化と京都を融合させて新しいものを受け入れてきた。
京都の文化を愛し、根付いた外国人ビジネスマンも多い。Made in 京都のビール会社「京都醸造」もその一つだ。日本で出会った3人の外国人が2014年に始めた会社だ。不思議な縁で京都に惹きつけられた彼らが作るクラフトビール(地ビール)は、ふるさと納税品にも選ばれ、京都を代表する商品の一つとなった。わずか数年で地域に馴染み、ビジネスを成功させた外国人経営者の努力と京都愛をリポートする。
■日本で出会った3人の外国人 アメリカ・カナダ・イギリス出身
「一期一会」「黒潮の如く」「週休6日」とても変わった名前だが、京都のふるさと納税品にも選ばれている京都のクラフトビールだ。個性的なデザインで、日本語や漢字にこだわった名前が特徴的だが、実は日本で出会ったアメリカ、カナダ、ウエールズ出身の外国人が3人で立ち上げたクラフトビールの会社だ。
京都中心部の喧騒からはすこし離れたローカルエリアの一角にあるおしゃれな扉を開けると、ビールを楽しめるタップルーム(カウンターバー)には、さまざまなクラフトビールが所狭しと並んでいた。
迎えてくれたのは共同経営者のベンジャミン・ファルクさん。「はじめまして。ようこそ。」流暢な日本語だ。
「京都は歴史が長く、保守的だから、そもそも新しいビジネスを始めるのは大変だと一般的には思われていると思いますが、実際に2014年に事業を始めた時、それほど大きな障害はありませんでした。僕たちはすでに日本に長く住んでいましたし、日本の習慣についても大体理解していました。なにより、京都がとても気に入ってこの街で事業をしたいという思いが強かったです。」
ベンジャミンさんたち3人は、それぞれ2003年~2005年頃に来日し、青森県で出会った。小中学校などに教育委員会から派遣され、英語発音や国際理解教育を担っていた。その後、ベンジャミンさんは東京の人材紹介で営業職、ポールさんは金融業界のITプロジェクトマネージメントなど別々に働いていた。もう一人のクリスさんは、醸造のインターン経験があった。もともと京都に魅せられていた3人は、醸造・マネージメント・営業という3人の特徴を活かしてクラフトビールの会社を立ち上げることに決め、事業を立ち上げた。
「欧米ではクラフトビールや地ビールなどが豊かです。それを日本でチャレンジしてみたいね、と意気投合したのです。京都を選んだ理由は、本当の品質を重視している文化の街だからです。創業時はクラフトビールの市場は大きくなかったのですが、京都で知られるようになったら、クラフトビールを好きになってくれる人がもっと増えればと。」
事業の立ち上げにあたって生きたのが、3人が身につけていた日本式マナーだった。京都のローカルエリアに外国人が会社を立ち上げるために、事前に周囲の住民に丁寧に挨拶し説明を行った。根回しという日本文化の重要性をわかっていたからだ。
2015年にビールの製造をスタート。歴史のあるベルギービールとアメリカのモダンなポップを掛け合わせた商品を主力に、無濾過で非殺菌の製法にこだわった。飲食店向けの樽を京都や東京のレストランに出荷した。2020年のコロナ前までは、順調に成長した。
■コロナで売上げ激減 それでも地元貢献を続けた その結果
2020年春、コロナウイルスの流行により飲食店はロックダウンに突入。売上の97パーセントを占めていた飲食店がストップしたことで売上が激減した。経営改善が急務で焦っていたベンジャミンさんだが、その一方で、コロナ下だからこそ、地域に何か貢献できることがないか?と考え続けた。
「あの時は、医療従事者の方が本当に大変でした。だから、命がけで社会を守ろうとしている人に何かできないかと。」
話し合いの結果、京都市内のさまざまな病院に一万本の自社のビールに付けて贈ることにした。「感謝」というシールを付け、なるべく邪魔にならないタイミングを見計らって各病院に届け続けた。
それらを続けながら、会社を立て直すため、自社のサイトでeコマース(通販)を開始。飲食店向けの販売先ではなく、個人購入の増やす方向に転換した。パッケージは缶ビールを選択、リサイクルが簡単で、運搬時にCO2があまり排出せず、光を通さないため品質に貢献できるからだ。
コロナウイルスというマイナス要因から始まった個人向けビールの増産だが、2020年から京都市のふるさと納税品に選ばれたこともあり、次第に販路が拡大。現在は成城石井などにも置かれ、缶は全体の売上の54%を占めるビジネスに成長。去年の売上は缶だけで約1.4億円にものぼった。
■能登半島地震の被災者へも 富山のチェコ人ビール会社との絆
地域貢献は京都だけにとどまらない。2024年元旦に起きた「令和6年能登半島地震」では、工場併設のバーで募金を募り、「北陸支援セット」と銘打った缶ビール商品を販売して、その利益を義援金にした。
そして地震の3ヶ月後、ベンジャミンさんたちは、復興が程遠いことを聞き、せめて避難者にメッセージ付きのビールを届けたいと考えた。ビール3000ℓに「望み」という名前とメッセージを貼り、トラックに詰め込み被災地に向かった。潰れた道路を走り、輪島や珠洲の残酷な現状を見て胸を痛め、地元の活動団体などに「望み」と書かれたビールを手渡した。
「ビールなんかに何ができるか?と言われるかもしれないと覚悟はしていました。でも、僕らにできることはビールを通じて社会に貢献すること。助けあい、サポートする心と、明日への希望を忘れないことをシェアしたいと思いました。」
さらに、5月には、北陸でビール醸造を行うチェコ人社長のコチャスさんらと協力して、「もくもくじん」という北陸支援のためのクラフトビールの開発をおこなった。コチャス社長も日本を好きになってビール事業をはじめた同志だ。
2024年10月8日には、京都醸造のコアのスタッフである森さんたちが、「もくもくじん」の利益と、240本のビールを被災地の方に渡すために石川へむかった。森さんは、3月に出会った地域の方と再会し、再びビールを渡した。
「地震に加えて、9月に豪雨災害に襲われた被災地は、ボランティアの手が足りず、まだまだやらなければならないことがたくさんありました。僕らも2日ほど泥の清掃などに参加しましたが、会社としても今後も関わっていきたいです。」
■毎週新作を出す!にチャレンジ 新たな醸造家を迎えて
ベンジャミンさんたちは、他にも地域貢献を続けており、子ども食堂やガンの啓発NPOに寄付をしたり、ビールのしぼりかすを農家や動物園に提供したりしている。ビジネスだけにとどまらず、地域との調和、環境との共存など掲げる目標は高い。「僕らの会社のミッションには、美味しいビールづくりだけにとどまらない醸造所になることというのがあります。つまり、社会にいい影響を及ぼすため、たとえばビールを飲まない人に対してもいい影響を及ぼす事業を行うこと、それをするために会社をたちあげたとも言えます。」
会社の立ち上げメンバーで醸造責任者だったクリスさんは2023年に円満退職。2024年からはアメリカの著名なクラフトビールで醸造を担当してきたジェームス・フォックスさんが加わった。製造から品質管理に至るまでの豊かな経験と知識を持ち、最先端の素材や技術を取り入れるなど、京都醸造にしかできない新たなビールが期待される。
京都醸造では毎週新作が出されており、これまで販売したビールの種類は数百類にも及ぶ。
京都の伝統は、革新の連続からできていると言われるが、京都醸造は京都の名を冠したその名に負けぬチャレンジを今日も続けている。