日本の医療は大丈夫 EU離脱決定の英国で医療クライシス 待ち患者2人が死亡
最長54時間待ち
英国赤十字社が「イングランド地方の国民医療サービス(NHS)の病院や診療所が混雑し過ぎて適切な医療を受けられない」「人道的危機だ」と警鐘を鳴らす事態に陥っています。
英国のNHSは税金によって運営されており、患者が病院や診療所で診療を受けても自己負担する必要は一切ありません。しかし、その半面、厳しい財政上の制約を受けます。
市場主義で税収を増やし、教育や医療に充てる「第三の道」を唱えた労働党のブレア、ブラウン政権がNHSに巨額の税金を投入し、待ち時間はかなり改善されたはずなのに、いったい、どうしてしまったのでしょう。
英国の欧州連合(EU)離脱決定後、国民医療サービス(NHS)で働いてきた他のEU加盟国の医師や看護師が嫌気を差して英国を離れたせいなのか、患者が込み合う年末年始、一部地域のNHSで人手不足やベッド不足が一気に露見してしまいました。
英イングランド西部ウスターシャー州にあるNHS病院では、通路でストレッチャーにのせられていた患者2人が死亡したと報じられました。この病院ではクリスマスからニューイヤーにかけ最大54時間待ちになっていたと言われています。
1人は35時間待たされた挙句、心臓が停止しました。動脈瘤を患うもう1人は最終的に治療を受けることができましたが、亡くなってしまいました。死亡と待ち時間の因果関係はこれからの調査を待たないと、はっきりしたことは分かりません。
「医療サービスの危機」
NHSイングランドでは12月、救急救命部門が混雑し、140回以上、救急患者が診療を拒否されました。
英国赤十字社のマイク・アダムソン最高責任者は「赤十字社は英国の病院や救急救命サービスの人道的危機に対応する最前線に立っている。国民医療サービス(NHS)から支援を求められ、退院した患者をサポートし、必要なベッドを提供している」と緊急声明を発表しました。
労働党のコービン党首は「NHSの危機は前代未聞だ」とツイートし、保守党のメイ首相に下院で説明するよう求めています。これに対して、NHSは「赤十字社の支援を受けているのは確かだが、いくらなんでも人道危機は言い過ぎだ」と反論しています。
英国では第二次大戦後、「揺りかごから墓場まで」という福祉国家のモデルとなったNHSを導入します。貧しくても万人が必要な医療は受けられるよう病院や診療所を国有化し、すべての医療サービスを税金で運営するようにしたのです。
英国には日本のような人間ドックはないし、風邪ぐらいの病気なら市販薬で済ませなければなりませんが、医療費の心配をしなくて済むので低所得者層には大助かりです。
「小さな政府」と「新自由主義(市場原理)」を導入したサッチャー革命でNHSの財政は逼迫し、病院の待ち時間は長くなってしまいます。労働党のブレア、ブラウン政権の取り組みで、待ち時間はかなり改善されました。
日本の医療費(対GDP比)は多い?
18週間待ちの割合は2008年6月には22.5%でしたが、12年11月には5.21%まで改善しますが、再び8.53%まで悪化しています。経済協力開発機構(OECD)データから国内総生産(GDP)に占める医療費の割合を比較してみましょう。
公的医療が破綻しているに等しい米国を除くと、日本はスイスに次いで2番目に対GDP比が高くなっています。ついこの間まで日本は英国より少し多い程度だったのですが、介護などの長期医療が日本のデータにも加味されるようになり、一気に増えました。日本は11.2%とドイツの11.1%を上回っており、英国は9.8%です。
NHS頼みの英国も医療サービスを向上させるためにはそろそろプライベート医療を拡大する時期だとは思いますが、「税金の負担ですべての人が平等に診療を受けられる」というNHSの理念は国民の誇りであり、原則を崩すことは容易ではないようです。
しかしEU移民の激増はNHSのキャパシティーを上回るようになりました。さらに診療費の自己負担を求められる海外の患者の未払い代金は年間3千万ポンドにのぼるという調査もあります。
その一方でNHSを支えているのは200カ国以上の国籍を持つ医者や看護師なのです。14年データではNHSで働く医療スタッフの11%、医師の26%は英国籍ではありません。
英国のEU離脱決定で他のEU加盟国から医師や看護師の供給が見込めなくなったため、NHSの採用担当者が急遽、インドやフィリピンに飛んだという話も耳にします。
偏在する日本の医師
OECDデータ(14年)から人口千人当たりの医師数を比較してみましょう。
英国は2.79人、日本は2.45人です。医療費の対GDP比では肩を並べていたドイツの4.11人に比べると日本の医師数は随分少なくなっています。京都府や東京都は3人を超えていますが、首都圏の埼玉県では1.59人で医師不足が顕著に表れています。
英国が医師不足なら、日本も医師不足だろうと思いきや、厚生労働省の検討会が、40年には医師の供給が需要を約1.8万人も上回り「医師過剰」になるという推計を出したので驚きました。日本は医師不足を解消するため医学部定員枠を広げて医師数を増やしてきました。
毎日新聞によると、NPO法人「医療ガバナンス研究所」の上昌広理事長は「医師は余るどころか今後も不足すると予想され、医学部新設を含め医師を増やす施策が必要だ」と指摘しています。
医療費の対GDP比でみると、日本にこれ以上、医療費を増やす余裕はとてもありません。とは言え、人口千人当たりの医師数で日本は「人道的危機」に陥っている英国より少ないのです。
平均余命では日本は先進国で最長寿。それだけ現場の医師が頑張っているんだと思います。しかし医師の頑張りだけでは日本の医療も長続きしないでしょう。
厚労省の検討会が予測しているように40年になると人口減少が一段と進んでおり、今のペースで医師を増やしていくと医師過剰になるのかもしれませんが、その前に団塊の世代がすべて後期高齢者になる時代を迎えます。
医療費を抑えるために日本は医薬品市場に占める割合が11%とOECD平均の24%に比べて低い後発医薬品をさらに増やしていく必要があるでしょう。薬の出し過ぎや、過剰医療も見直す必要があります。人口千人当たりの医師数をどこまで増やし、患者の需要と医師の供給をどのようにマッチさせていくのか、しっかりした青写真が必要です。
ギリシャでは心臓発作を起こしているのに医療保険がないため退院させられて急死したり、骨が折れても治療が受けることができなかったりする医療クライシスがすでに起きています。英国でもEUを離脱すれば必要な医師、看護師を手当てできるという保証は何一つありません。
日本も高齢者の生きがいや健康を増進し、財政面でも人材面でも団塊の世代が後期高齢者になる時代に備えておかなければなりません。病院や診療所をネットワークで結んでデータを蓄積し、医師不足の発生を予知して対応できるシステムを構築しておかないと、医療クライシスを避けることはできないでしょう。
(おわり)