やっぱコウナ(高橋光成)が一番っす 2014ドラフト/エピソード2
自慢じゃないが、高橋光成(前橋育英)にほめられたことがある。13年夏、2年生にして優勝投手となった大器。高校生では、済美の安楽智大と並ぶ、今年のドラフトの超目玉だ。話は、今年の早春にさかのぼる。17回目の誕生日である2月3日に、バント練習で骨折した右手親指の具合はどうか、この冬のトレーニングの成果は……などと、取材が一段落したあとだ。ふと見ると、高橋のユニフォームに通されたベルトが、ふつうとは逆向きなのだ。右利きなら、ベルトの先端は自分の左側にくるが、高橋は右にある。
「そうなんです。気がついてくれた人は初めてです」
なにやらベルトを逆に回すと、そのときの動きで骨盤のゆがみが調整できたり、肩こりや腰痛予防になるとどこかで聞いたらしい。
「ホントかどうかはわかりませんが、毎日の蓄積なので、去年夏の群馬大会前から続けています。いまは、とくに意識しなくてもこれがふつうになっている。マネをしてくれる人が増えればいいんですが(笑)」
因果関係は定かじゃない。定かじゃないが、高橋がその13年夏から急成長を遂げたのは確かだ。
恵まれた上背から144キロの速球を投げおろし、1年夏からベンチ入りした。新チームではエースとして、12年秋は県大会優勝。だがその時点ではリリースが安定せず、制球を乱すなど課題だらけで、事実、館林との県大会3回戦では7四死球だった。これが関東大会では致命傷となり、浦和学院との初戦、5回に3四死球と制球を乱し、逆転を許した。ふたたび群馬を制して挑んだ13年春の関東大会も、決勝で再度浦和学院に敗れた。
そして、迎えた夏。荒井直樹監督は、こう明かす。
「夏が始まる時点のコウナは、まだまだだったんです。実際、県大会の初戦は同じ2年の喜多川(省吾)を先発させたくらい。それが、勝ち進むごとにぐんぐん調子を上げていきました。東農大二との決勝では4安打完封で、ラストボールが自己最速の148キロですから」
高校2年の時点で、破格の成績だったのだ
甲子園の大舞台で高橋は、さらにスケールアップした。岩国商との初戦。145キロの速球に、縦横のスライダーがさえる。3回から6回にかけては、松井裕樹(桐光学園・現楽天)が樹立した10連続に迫る9連続三振を奪うなど、13三振5安打で1対0の完封勝利だ。続く樟南戦も5安打完封で、スコアは初戦と同じ1対0。中1日での3回戦は、横浜を相手に1失点も自責は0。評判の相手スラッガー浅間大基と高浜祐仁をつごう6打数無安打と完璧に封じ、3試合で防御率0・00。
常総学院との準々決勝では救援で5回を零封し、4者連続を含む10三振。9回二死の土壇場では同点に追いつく適時三塁打も放ち、サヨナラ勝ちを呼び込んでいる。準決勝では、日大山形を1失点完投も、自責は0。41回を投げて防御率が0・00というのは尋常じゃない。その後も自責点0は、延岡学園との決勝の途中まで44回続く。結局高橋は6試合50回を投げて46三振、自責点2、防御率0・36という破格の成績で、2年生として優勝投手となっている。
ただ……その後、チームは13年秋、14年春と初戦敗退し、最後の夏も3回戦で健大高崎に敗戦。幼なじみの脇本直人に逆転打を浴び、高橋は、全国制覇後チームとして公式戦わずか4試合で高校野球を終えたことになる。だが、甲子園には出られなくても、やはりモノが違った。夏の甲子園後に開催されたU18アジア選手権では、フィリピン戦に先発して5回を7三振で零封するなど、2試合を防御率0.00。「Maxは変わらなくても、常時平均してスピードが出るようになったし、キレもよくなっていると思います」といい、マスクをかぶった栗原陵矢(春江工)は「球威、圧力……やっぱり一番は、コウナっすね。捕るのだけでも大変っす」と目を丸くしたものだ。
恵まれた体格、そして天分。中学時代は陸上部の助っ人として県大会に出場し、1メートル70を跳んだバネがある。また高橋のスパイクは、右足の編み上げ部分だけ、ヒモをすっぽり覆うようなカバーがついている。フィニッシュで右足をけり出すときに、土との摩擦ですぐにヒモが切れてしまうため、特注したものだ。それだけ、ボールに体重が乗っているといえる。さらに荒井監督によると、
「すべて本人の努力ですが、昨年、U18に選ばれたのも大きかったでしょうね。ふつう全国優勝すれば、周囲から持ち上げられるし、ある程度慢心があってもおかしくないのに、松井裕樹君(現楽天)、山岡泰輔君(現東京ガス)らのボールを直接見て、"まだまだ上がいる"と痛感したはずです」
その松井、森友哉(現西武)ら、13年には身近だった先輩たちが今季は、プロで活躍した。
「その姿を見ると、"ほんとに自分と一緒にやってたんかな"と思いますし、あこがれますね」
燃費のいい投球でベスト4に
この夏の、U18アジア選手権。高橋光成がもっとも仲良くなったのが、同じ代表の日本文理・飯塚悟史だ。高橋を取材した翌日には飯塚を取材する予定だったから、
「なにか伝言は?」
と問うと、
「寂しくないかい? と伝えてください(笑)」
とのこと。そのまま飯塚に伝えたら、苦笑しながら、
「アイツ、野球以外は本当に適当で、ふざけているんですよ。寂しいのはアイツじゃないですか。僕らは、仲良くなった代表メンバーとは国体(長崎、13日から)で会えるけど、前橋育英は国体に出られませんからね」
確かに高橋には、やや適当な面がある。日本文理と前橋育英は13年の夏前、練習試合で対戦し、飯塚は高橋とネット裏で話したことをよく覚えているのに、高橋はまるで記憶がないのだ。
それはまあいいとして飯塚も、この夏はすべて完投でベスト4に進出。打者としても、途方もない飛距離は昨年神宮大会で実証済みで、やはり、ドラフト上位候補の一人である。飯塚がこだわったのは、
「勝てるピッチャーになる。そのためには、最終回」
ということだった。13年の神宮大会で準優勝し、優勝候補の一角だったセンバツは豊川との初戦、1点をリードした9回に追いつかれ、2点先行した10回にも追いつかれ、あげくはサヨナラ負けを喫している。勝てる投手になるためには、9回を投げきるスタミナを……模索して、春の時点より腕をちょっと下げたのは、燃費をよくするためだった。
事実この夏の飯塚は、終盤になるとむしろすごみを増した。奇しくもセンバツと同じ2日目第3試合、大分に3点リードで迎えた9回は、141キロで先頭を三振に取ると、ヒット1本をはさんだが残り2アウトは新球・フォークでの三振。東邦との2回戦も、9回は三者三振。最後の直球は144キロを計時した。富山商との3回戦、聖光学院との準々決勝でも、9回は無失点だ。準決勝では三重に敗れたが、相手の最後の攻撃は、1点を失いながら最後は二者連続三振で締めている。
「その意地を忘れなければ、上でも成功するぞ」
大井道夫監督のいう"上"。そう、プロになるのは、甲子園より先に見た、子どものころからの夢である。飯塚によると、
「甲子園にセンバツを見に行ったのは中1、中2ですが、小学生のころにはよく千葉マリンや、東京ドームに連れて行ってもらいました。新庄(剛志、当時日本ハム)さんが輝いていて、だからプロにあこがれたほうが早いんです」
ということになる。もし1位で指名されれば、新潟の高校生としては史上初めてなのだが、果たして……。