京都の通り① 謎の「仁王門通」を歩く
まずは蹴上からスタート。地下鉄東西線・蹴上駅から地上に出ると、かつて琵琶湖疏水を行き来する船を上げ下げしたインクラインが見えてくる。現在は史跡となっており、春は桜の名所として人気だ。
インクラインが終わる頃、右手には南禅寺の参道、左手には無鄰菴(むりんあん)の塀が見えてくる。南禅寺界隈は、明治の初めに琵琶湖疏水の水を使って多くの別荘が造られたが、山縣有朋によって造られた無鄰菴はその先鞭を付けた。
東山を借景にした雄大なスケールの庭園は、七代目の小川治兵衛の作である。山縣の指導もあって、この作庭をきっかけに小川治兵衛への評価が高まり、以後、彼がこの周辺の別荘庭園の多くを手がけた。
疏水の向こう側に京都市動物園、さらに京都市京セラ美術館を見ながら進むと、圧倒的スケールの平安神宮の大鳥居が見えてくる。平安神宮の創建が明治28年なのに、この鳥居の完成は昭和3年。これは明治28年当時ではその社殿のスケールに見合う鳥居を作る技術がなかったからという壮大な話だ。
平安神宮前の神宮道を横切ると、岡崎十石舟が新緑の中を気持ちよさそうに通っていった。桜の時期だけではなく、若葉、新緑の季節も楽しめるが、今年は緊急事態宣言を受けて、本日(4/25)で終了となった。
疏水と別れを告げると北側に出てくるのが本妙寺。こちらは通常非公開ながら赤穂浪士の寺として知られ、境内に赤穂義士吉田忠左衛門・同沢右衛門および貝賀弥左衛門夫妻らの墓がある。
東大路通を渡ると北西角にある浄土宗のお寺が信行寺。こちらは花卉図(かきず)という伊藤若冲の描いた天井画がある。もともとは伏見の石峰寺観音堂の天井画であったという。こちらも通常非公開なので、公開時にはぜひ訪れたい。
ここから仁王門通は一気に狭くなる。程なく南側に出てくるのが寂光寺。顕本法華宗の本山で、京都にある日蓮宗の十六本山のひとつに数えられる。こちらの第二世住職が日海上人で、本因坊算砂と呼ばれた囲碁の名人として知られた人物。信長、秀吉、家康に囲碁を指南し、本能寺の変の日の前夜も信長の前で対局を行っていたという。ちなみにこのときの対局で「三コウ」という極めて珍しい形となり、その直後に本能寺の変が起こったことから、三コウは不吉な形と言われたりもした。子孫は家元となり、昭和以降は本因坊戦という囲碁のタイトルにもなっている。
そして最後に北側に出てくるのが頂妙寺だ。通りに面した門を潜ると堂々たる仁王門が立つ。この中には運慶作の持国天と多聞天が祀られており、正確には二天門だが、仁王門の名で親しまれている。
つまりこの門自体が信仰を集めてたことから、この前の通りが仁王門通となったのだ。
また江戸初期の琳派の祖となった俵屋宗達の菩提寺であったとされ、俵屋宗達の作品である「牛図」(重要文化財)や墓も残されている。特にこの季節は本堂前の銀杏の新緑が美しい。
頂妙寺の境内は、北側は二条通に面していて広大な敷地を持つことからひときわ目立っているが、実は周辺にも多くの寺院が江戸時代に集められて、寺院街を形成しているのも面白い。ぜひこういった知られざる寺院が点在する仁王門通を歩いて欲しい。