じつは大事件!? 韓国裁判所が「金正恩に損害賠償命令」の判決。対日関係にも影響及ぶか。
韓国の最高裁判所が、北朝鮮の国家と最高指導者に朝鮮戦争時の損害賠償命令――。
そんな驚きのニュースが、7日夜に飛び込んできた。
ソウル中央地方裁判所が、以下の裁判で「韓国側の勝訴」の判決を下したのだ。
原告:韓国軍の元兵士2人(ハン氏、ノ氏=姓のみ公開。年齢はそれぞれ86歳、91歳)。2016年10月に告訴。
被告:朝鮮民主主義人民共和国、金正恩最高指導者。
起訴内容:原告は朝鮮戦争で北側の捕虜となり、53年の休戦宣言後も解放されずに3年間強制労働を強いられた。ハン氏は2001年11月3日、ノ氏は2000年6月18日に帰還(韓国メディアでは「脱北」と表現される)。その間の差別処遇に対する損害賠償。約40年の賠償金を一人あたり「6億ウォン(約5400万円)」に設定。
判決:被告は原告に対しそれぞれ2100万ウォン(約1885万円)の支払いを命じる。
現実的に被告が控訴する可能性はない。6億ウォン、という金額はもともと戦時中の当事者、故金日成主席への請求額。これが2代、3代世襲と続く中で減免され、2100万ウォンの判決が下された。
原告団が把握する限りでは朝鮮戦争中の捕虜は80名おり、そのうち生存者は23名。遺族は57名いる。また原告団は勝訴の際のプレスリリースで2014年国連関連資料を引用し「朝鮮戦争時の韓国軍失踪者は約8万2000人、そのうち5万~7万人が北朝鮮もしくは同盟国に抑留され、そのうち8343人のみが韓国に帰国」と紹介、また原告団としての韓国人捕虜の推定数は「約5万」としている。
この判決について、「そんなもの、北側が払うわけないだろう」、「所詮、パフォーマンスでは?」、「韓国は相手が北朝鮮だから、好き放題言っている」という話でもない。
南北関係はもとより、じつは対日関係にも影響を及ぼしかねない重大案件なのだ。現地メディア「中央日報」などが危機感をもって報じている。
勝訴後の会見を伝える原告団のYouTubeチャンネル。「脱北国軍捕虜、北朝鮮と金正恩に勝った!」帰還国軍捕虜、強制奴役損害賠償勝訴記者会見
韓国国内で、北朝鮮相手にどうやって裁判を?
本題に入る前に、いくつか疑問点があるだろう。「そもそも北相手に、韓国国内で裁判など出来るのか?」「なんで今?」「金はどうやって受け取る」といった点だ。
まずは「北相手の裁判」について。
原告を支援した脱北者支援団体※の社団法人「ムルサンチョ(ワスレナグサ)」の国軍捕虜送還委員会が7日に発行したプレスリリースには、こう説明されている。※脱北者支援団体が関わる理由は後述。
裁判所は、朝鮮民主主義人民共和国が韓国の憲法下では「国家ではない」という前提で、「事実上の地方政府と同じような政治的団体」として「非法人社団」と判示しつつ、韓国の法廷での民事訴訟の当事者能力があると認めた。北朝鮮は、韓国憲法下では外国(国家)ではないため、国際法上の大韓民国裁判所の裁判管轄権からの免除しないとしたのである。
確かに大韓民国憲法第1章「総綱」の第3条にはこう記されている。
「大韓民国の領土は韓半島とその付属島嶼とする」
決して“南半分”や“38度線以下”、“北朝鮮との国境線以下”といった表現はない。憲法上の解釈は「朝鮮半島全土が大韓民国」であり、朝鮮民主主義人民共和国という国は存在しない。いわば、「北半分は不法に占拠されている」ということ。今は現実的に、社会一般論として「両国が存在する」ということを認める。ただ、これが始まったのも1991年9月の南北朝鮮国連同時加盟からだ。そこまでは「北韓(プッカン)」という地域名しか知られていなかった。北の方にある韓国。筆者は97年にソウルの延世大に留学したが、統一関連の授業の際、学生の多くが「朝鮮民主主義人民共和国」という名称を知らなかった。「北韓社会主義共和国」などという。これは驚きだったが。
裁判所は今でも、憲法に沿って判断するというところだ。ちなみに北朝鮮側もかつては「朝鮮半島全体」を領土としていた。1991年4月の第2回憲法改訂までは第103条で「朝鮮民主主義人民共和国の首部(首都)はソウル市」とあった。全体がわが領土なのだから、ソウルは不法占拠されている、という立場だ。現憲法では第9条で「北半部で人民政権を強化する」としている。
先日、韓国では朝鮮戦争時の捕虜交換の未公開映像発見のニュースが報じられた。
なぜ今、裁判が?「韓国政権への苛立ちがあった」
さらに「なぜ今?」「どうやって金を受け取る?」という点について。
原告団が裁判を起こしたのは、2016年から。その理由を「韓国政府が何もしてくれなかったから、フラストレーションが溜まった」としている。
これと関連して見るべき2つのポイントがある。一つ目は韓国での「北からの帰国」に関する運動は、「ひとまとめに見られている」という点だ。ひとまとめ、とは「朝鮮戦争時の捕虜帰国」「拉致被害者の帰国」、時に「南北離散家族再会」が同一線上にあると見られているのだ。すべては朝鮮戦争とその後の分断から起きた話だと。「脱北」という点でも類似事例と見られる。それゆえ、今回の訴訟も脱北者支援団体が告訴に関わっている。
筆者は2013年に韓国人拉致問題の問題(拉北=ナップク)解決を図る団体のトップを取材したことがあるが、「同一線上に見られる」という点を悩みとしていた。そして「革新系の政権では問題解決はノーチャンス」だと。2009年2月までの革新系盧武鉉政権下では取り合われなかったという。また、団体のトップは「南北関係の障害になるから、その話はしてくれるなと感じた」と言った。その後、政権交代が起き、保守系の李明博政権では問題解決の期待感もあったが大きな動きは見られず。2013年2月からの朴槿恵政権下では「大統領は議員時代から話を聞いてくれる姿勢があった」としていたが、大きな動きはなかったということだ。
2つ目は、今回の捕虜問題の原告が訴訟を起こした時期だ。2016年は、保守系の朴槿恵政権時代だった。「チャンス時にも希望なし」「突破口は裁判あるのみ」と判断したということだろう。ましてやその後、2017年からの革新系文在寅政権下では状況はさらに厳しい。
今回の判決により韓国内での「朝鮮戦争時の対北被害請求」「対北訴訟」が増える可能性はある。現に8日の中央日報のスクープ報道として「南北連絡事務所爆破で金与正氏を告訴」という話題が出ていた。
ちなみに今回の件で賠償金の受け取り方法は、「韓国内の朝鮮中央TVの映像使用料から受領」が原告側の狙いだという。韓国の別の市民団体が北朝鮮側に代わり、韓国内の映像使用料を受領。これを08年頃までは北に送金していたが、現在は送金ルートも途絶えているため韓国内の裁判所に預けてある状態だ。その累計金額推定20億ウォン(約1億8000万円)だという。
2007年に報じられた「32年ぶりに帰国した漁夫」のニュース
判決への介入問題。韓国政府は「ダブルスタンダード」を見せるのか
ではこれがなぜ、対日関係と関わるのか?「中央日報」がこの点を指摘している。
2018年10月30日の「徴用工判決」との関連性だ。日本政府はこれに対し「国際法違反の状態の改善」を求めているが、韓国政府の立場はこうだ。
「司法の判断に政府が介入できない」
「裁判所の判断を尊重しなければならない」
タッチしないよ、ということだ。弁護士出身の文在寅大統領のこと。これは日本への考えを抜きにしても、本人のありように関わることだ。
しかし今後、国内で対北裁判が相次ぎ、「韓国側の勝訴」が続くようなことがあれば事態はどうなるか。「介入せず」の立場を続けるのか。はたまた徴用工裁判への立場も変えるのか。
「中央日報」はこう報じている。
「徴用工判決と類似の部分がある(中略)北韓の政権ならびに金正恩委員長に対する損害賠償責任を明示した今回の裁判所の判決にあたり、ダブルスタンダードであることは難しいと見られる。こういった事情から近頃、南北関係で北朝鮮が問題視する”対北ビラ”とは比較にならないほどの”台風の目”に成りうるという分析もある」
確かにそうだ。現在も文在寅政権は米朝交渉の仲裁役を買って出ることに意欲を見せるが、北側からすれば「大いなるツッコミどころ」としか言いようがない。「中央日報」はまた、「三権分立への理解のない北朝鮮から、韓国政府に対してナーバスな反応があるだろう」としている。
裁判という手法は、いわば国内で大きく劣勢に立たされる保守派からの「突き上げ」。一つの勝訴で流れが変わるか。その時、弁護士出身であり、南北関係を重要視する文在寅政権はなんらかの「判決への介入」を見せるのか。
8日、韓国政府統一省がブリーフィングを開催し、今回の判決について言及があった。
「政府は裁判所の判決を尊重する」
ただし「該当の判決のみ有効なものであり、その判決を一般化するものではない」
この先、方針を変更することはあるか。その時、対日「徴用工判決」はどうなるか――。