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「日本しぐさ」とでも呼べばいい

山口浩駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部教授

「江戸しぐさ」、ということばがある。NPO法人江戸しぐさ、なる団体があって、そこが商標権を有しているらしい(追記参照)ので、うかつに使ったら怒られちゃうかもしれないんだが、まあブログで書くぐらいは大丈夫だろう。「江戸商人のリーダーたちが築き上げた、上に立つ者の行動哲学」である、と当該法人のウェブサイトには書いてある。何だかわかったようなわからないような説明だが、2006年に公共広告機構のCMでも使われた(これ。その前年、地下鉄の電飾などの平面媒体やウェブでも実施されたらしい)。

この「江戸しぐさ」に関して、批判の声があるらしい。簡単にいえば、証拠がない、江戸時代にそんな概念はなかった、歴史を捏造している、といった批判のようだ。少し前に話題になって、やはり批判された「水からの伝言」と同じ構図だと指摘する人もいる。「いいこと」をいうためとはいえうそをついてはいけない、という趣旨かと思う。

事情をよく知っているわけではないのであまり深入りするつもりはないが、言いたいことがないわけでもないので、個人的な経験も交えて少しだけ書いてみる。

江戸しぐさとちがって、江戸しぐさ批判は、団体があるわけでもないので、まとまった主張があるというわけでもないらしい。Wikipediaの当該項目にはいくつかの反論が収録されているほか、NAVERまとめがあった。ちょっと前にと学会が「トンデモ本大賞」で取り上げてたらしいのだが、書籍とかにはまだなってないのだろうか。

あちこちぱらぱらと見ている限りでは、どうも批判の方に理があるように思われる。「傘かしげ」(雨の日に互いの傘を外側に傾け、ぬれないようにすれ違うこと)や「肩引き」(道を歩いて、人とすれ違うとき左肩を路肩に寄せて歩くこと)など、江戸しぐさ」の例として紹介されているものは、件のNPOがいう「江戸商人のリーダーたちが築き上げた、上に立つ者の行動哲学」としてはどうにも小さい話だし、「江戸しぐさ」の秘密を守る「秘密結社」があったなんて話に至っては荒唐無稽以外の何者でもない。そもそもこんなものは常識の範囲内ではないか。

少し個人的な経験を書く。

私が「江戸しぐさ」ということばを知ったのは数年前のはずだが確かな記憶はない。ひょっとしたらACの広告で見たときかもしれない。別に歴史の専門家でも何でもないので、特段の問題意識もなく、へえ、そんなことばがあるのか、初めて知った、ぐらいに思っていたわけだが、そこで提唱されていることの少なくとも一部についていえば、心当たりがあった。

端的にいえば、私の親、特に母親から受けたしつけの中に含まれていたのだ。たとえば、傘をさしていて狭い道ですれちがうときは傘がぶつからないように傘を動かせとか、傘をさしてなくても人とすれちがうときにぶつかりそうなら体を少しななめにしろとか、電車などで混んでるときは少し詰めて座れとか。しかし、母は東京出身ではあったが大商人の家などではなく貧乏歯医者の娘だったし、それらを「江戸しぐさ」と呼ぶこともなかった。もちろん「秘伝の知恵」でなどあろうはずもない。人の多い街中で暮らすためのただの常識だ。

それらが江戸時代まで遡るかどうかは別として(遡ったとしても別に驚かない。リーダーの行動哲学だったとは思わないが)、そうした「常識」は、母が独自に作り上げたものではないだろう。母が生きた昭和の頃には、少なくとも一部の人々の間で共有されていたと想像する方が自然だ。東京以外でどうだったか知らないので東京だけかどうかもわからないが、きっと他の地域にも何らかあったのではないか。

もちろん、そうした「常識」が社会の隅々にまで浸透していたとは思えない。あるいは、私が母からしつけを受けたころには失われつつあったということなのかもしれない。思い出すのは、いわゆるシルバーシート、つまり高齢者等の優先席が導入されたときのことだ。確か70年代だったと思うが、その当初から、反対論があったという記憶がある。曰く、「こんなものが必要とされる世の中は嘆かわしい」「シルバーシートなど設けたら、そこ以外の席は高齢者に譲らなくなってしまう」など。そもそもシルバーシートが設けられたのは、高齢者が席を譲ってもらえない、つまり思いやりがない人がいるという状況がふつうにあったからだろうが、同時に、そうした制度が逆に社会から思いやりを奪うと懸念した人もいたわけだ。

要するに、いわゆる「江戸しぐさ」が「江戸商人のリーダーたちが築き上げた、上に立つ者の行動哲学」であるとは思えないし、それらが「江戸しぐさ」と呼ばれたということもなさそうだが、呼び方は別として、そうしたマナーが過去にまったく存在しなかったわけでもないということではないか、といいたいわけだ。

かのNPO法人は、会員からそう安くもない会費をとっているほか、「江戸しぐさ」ということばを商標登録したうえで、書籍やセミナーなどのビジネスを行っている。そうした「事業化」のために、江戸時代に遡るという「伝統」が必要だったのかもしれない。それにしては「江戸しぐさ」という呼称が一般に知られていなかったという事実は、伝統だったという主張とは矛盾するわけだが、「秘伝だった」ということにすればつじつまを合わせられなくもない。いってみれば、記録がほとんど残ってないから実態がよくわからない忍者みたいな存在だ。考えてみればこのNPOは学術研究を行っているわけではなく、非営利法人とはいえ「江戸しぐさ」なるコンテンツを使ったコンテンツビジネスを展開する事業体なのであるから、その意味では「江戸しぐさ」も日光江戸村の忍者ショーと同類といえるのではないか。そう考えると、少しわかりやすくなる気がする。

とはいえ、はっきりいって、そんなことにはあまり関心がない。「水からの伝言」と同様、学校教科書に載っているのだとすればそれは問題があると思うが(実際一部の教科書に載っているとWikipediaに書かれていて、それには重大な懸念を抱く)、仮にそうだとしても、「水に人間の言語を解する能力がある」といった科学を根本から覆すようなでたらめというわけでもない。こう書くと批判されそうだが、いいたいのは、「江戸しぐさ」にいかに根拠がないかをこまごま指摘して事足れりとするのではなく、「江戸しぐさ」によって実現したかった目的が「江戸しぐさ」を言わずとも実現できることを示すことが重要ではないか、ということだ。

「江戸しぐさ」の提唱者は、それによって、市街地におけるマナーを向上させたいと考えたのだろう(大商人の経営哲学とかについてはよく知らないがここでは無視する)。これは、悪いことではない。実際、街を歩いていて感じる人々のマナーは、駅での整列乗車などシステム化された領域を除いては、低下しているのではないかと思うことがよくある。江戸発祥である必要も大商人の哲学である必要もないが、たとえば狭い道で傘をさしたまますれちがうときにどうすればいいか、電車で混んでいるときにどうすればいいかなどについての「常識」は、もっと広く共有された方がいい。歴史的事実を捏造するのはよくないが、目的が街中でのマナー啓発なら、その2つを切り離して、マナー啓発をそのまま主張すればいい。

つまり、かつての「江戸」しぐさを取り戻せ、ではなく、街中でのよりよいマナーを身につけよう、ということだ。当然、「江戸しぐさ」と呼ぶ必要はない。江戸発祥だという証拠はないんだし、歴史と関係なく、地域とも関係なく、これから日本全体で普及すればいいということだしというわけで、ちがった呼び方をすれば丸く収まるんじゃないかな。せっかくだから「日本しぐさ」とでも名付けたらどうか(もちろん別の呼び名でもよい)。折しもクールジャパン政策なるものが推進されているではないか。日本人のスマートなふるまいは、まさしくクールジャパンの中核をなすものだと思う。

もちろん、「江戸しぐさ」も、教科書に載せるとかでなければ、どんどん活動していただいていいと思う。私たちは(少なくとも私は)、日光江戸村の忍者ショーだって好きなのだし。

※追記

登録商標のデータベースを見ると、「江戸しぐさ」での登録は3件ある。「焼のり,干しのり,味付けのり」については株式会社井上海苔店(出願日2008年3月26日)、「飲食物の提供」で株式会社オールフロンティア(出願日2008年9月17日)、 「紙類,文房具類,印刷物」及び「セミナーの企画・運営又は開催,書籍の制作,電子出版物の提供,教育・文化・娯楽・スポーツ用ビデオの制作(映画・放送番組・広告用のものを除く。) 」で特定非営利活動法人江戸しぐさ(出願日2009年1月21日)。件のNPO法人は最後なんだね。「江戸しぐさ」関連の書籍は1992年には出てるらしいので、前の2社に登録されちゃって、あわてて「本家」も登録したってところなのかな。それとも「関係者」なのだろうか。

駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部教授

専門は経営学。研究テーマは「お金・法・情報の技術の新たな融合」。趣味は「おもしろがる」。

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