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クイーンS勝ち馬が、米国遠征した際の、師弟調教師と今は亡き厩務員との逸話

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
米国遠征時。朝日をバックにしたアサヒライジングと故・宗像昇厩務員

師匠と共にアメリカ遠征

 今週末、札幌競馬場でクイーンS(G3、3歳以上牝馬、芝1800メートル)が行われる。2007年にこのレースを勝利したのがアサヒライジング。美浦で開業する当時42歳の古賀慎明にとって、この牝馬は思い入れの深い1頭だった。

アメリカでのアサヒライジングと古賀
アメリカでのアサヒライジングと古賀

 リーディングトレーナーの藤沢和雄の下で調教助手をしていた古賀が開業したのは前年の06年。厩舎としての2走目で、アネモネSを優勝したのがアサヒライジング。同馬は古賀にとって開業後初勝利をマークした馬だった。

 更にそれから4ケ月と経たない7月2日には、この馬でアメリカへ遠征していた。現在は廃止となってしまったハリウッドパーク競馬場。そこを舞台にしたアメリカンオークス(G1、芝2000メートル)に挑戦させた古賀は当時、その心境を次のように語っていた。

 「開業して間もなくで、普通なら海外遠征なんてあり得ないですよね。師匠の馬が一緒だったから遠征に踏み切れました」

現地プレスに囲まれる師匠・藤沢和雄
現地プレスに囲まれる師匠・藤沢和雄

 師匠とは藤沢和雄。古賀がこのカリスマトレーナーの下に調教助手として所属していた時代、タイキブリザードのブリーダーズCやタイキシャトルのジャックルマロワ賞など、数々の海外遠征の舞台裏を目の当たりにしてきた。そして、不惑の年齢だった2年前、アメリカへ飛んだのがダンスインザムードで、同馬はこのアサヒライジングの時も再度、遠征したのだった。

 「藤沢先生のスタッフが一緒で心強かったです」

アサヒライジング(右)とダンスインザムード
アサヒライジング(右)とダンスインザムード

人生初の海外

 アサヒライジングを担当する厩務員は当時56歳の宗像昇。まるで同馬を担当するのが運命だったような名を持つ彼は、この時すでにキャリア29年目の大ベテラン。しかし、海外遠征はこれが初めて。いかにも人のよさそうな笑顔で言った。

 「海外遠征どころか海外へ行く事自体が初めてでした。当然、パスポートもこのために生まれて初めて取得しました」

調教時のアサヒライジング(後ろ)とダンスインザムード
調教時のアサヒライジング(後ろ)とダンスインザムード

 調教は常にお姉さん代わりのダンスインザムードが先導。アサヒライジングは後ろをついて歩く事でスムーズにスケジュールを消化した。パドックや装鞍所のスクーリングは競馬場側が「コースで調教した後、厩舎までの帰り道で行ってください」という要請をしてきたが、これにはかぶりを振った。その順番だと本番とは真逆の進路になってしまうのがその理由。結果、厩舎から装鞍所、パドックからコースと本番同様の順路を歩かせてもらうようにリクエスト。この要望を通してスクーリングをすると、宗像はここでも笑いながら言った。

 「ダンスインザムードが2年前に来ていたので、藤沢厩舎のスタッフと相談、協力して進めていました。まぁ、協力と言うか、僕は言う事を聞いて従っていただけですけど……」

アサヒライジングと宗像
アサヒライジングと宗像

 アメリカンオークスの前日に行われたキャッシュコールマイル(G3)をダンスインザムードが優勝。バトンは良い形でアサヒライジングにつながれた。

 西海岸にあるこの競馬場は1年を通してほぼ晴天。アメリカンオークスが行われた日も同様で、古賀は馬房の前にひっきりなしに打ち水をしていた。発走時刻が迫り、その馬房を出たアサヒライジングが馬体に水をかけられていた時、宗像はポケットから出した紅色のネクタイを締めた。そして、そのネクタイを裏返して、こちらに見せながら言った。

 「このネクタイはオークスに出走した際、記念で配られたモノです。裏には“第67回優駿牝馬出走記念 アサヒライジング号 宗像昇”と刺しゅうされています。あの時みたいに好レースをして欲しいという縁起を担いで日本から持ってきました」

 この上にゼッケン1番を意味する赤いビブスを身に着けると、愛馬を曳いて装鞍所へ向かう。そこで藤沢厩舎の腹帯を着けられるとパドックへ。そしてヴィクター・エスピノーザを乗せると本馬場へ入り、返し馬に移る。ここで初めて安堵の表情を見せた宗像。その後、いかにも暑そうな仕種でビブスを脱ぐと、再び紅色のネクタイが顔を出す。そして、呟くように言った。

 「何とかここまで無事に来ました。後はジョッキーに任せるだけです」

本馬場入場後のアサヒライジング
本馬場入場後のアサヒライジング

帰国後クイーンS制覇

 しかし、万全を期しても勝てるとは限らないのが競馬である。残念ながらこの時のアサヒライジングもそうだった。日本では逃げて良績を残していた同馬だが、ここではハナへ行かせてもらえなかった。それでも能力で追い上げてみせたが2着までが精一杯。勝ち馬からは4馬身半、離されてのゴールとなった。

 その晩、競馬場から車で15分ほど行ったガーデナ地区にある中華料理店で行われた残念会で若き指揮官の古賀は次のように語った。

 「自分の形ではなかったのに2着に来た。負けたのは残念だけど、収穫はありました」

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 また、宗像は言った。

 「藤沢厩舎の皆さんのお陰もあって、無事に走り終えてくれました。アサヒライジングがこれで終わりというわけではないので、満足はしています」

 彼等の言葉を裏付けるように帰国後もアサヒライジングは活躍を見せた。アメリカンオークス以来となった秋華賞(G1)で2着すると、翌春のヴィクトリアマイル(G1)でも2着。そして、その後に出走したクイーンS(G3)は優勝。この時、2着に負かしたのは藤沢厩舎のイクスキューズだった。

 それから13年の時が過ぎた。残念ながら宗像は現役のまま鬼籍に入った。彼は今週末のクイーンSを、空の上からどんな気持ちで見るだろう……。

アメリカンオークス直後のアサヒライジング。紅色のネクタイの宗像と古賀(右)
アメリカンオークス直後のアサヒライジング。紅色のネクタイの宗像と古賀(右)

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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