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竹雄、高藤、女性たち……『らんまん』の気になる描かれ方を脚本家に聞いた

田幸和歌子エンタメライター/編集者
写真提供:NHK

名パートナー「竹雄」が生まれた背景

神木隆之介主演のNHK連続テレビ小説(通称「朝ドラ」)『らんまん』も残り2週。

そこで、執筆を終えた脚本家・長田育恵さんに、どうしても聞きたいことを直撃した。

本作の設定や描写で唸らされたのが、牧野富太郎の史実とは異なる綾(佐久間由衣)との義姉弟関係、さらに保護者で恋人のようで、主従関係にあり、後には親友で義兄弟にもなる竹雄(志尊淳)との関係性とその変化などだ。

「もともと万太郎と綾が人権的にはかなり歪な状態にあって、その歪さ故に自己否定をしようと思えば、2人ともいくらでもできるんですよね。万太郎が家を継がないことも、金を稼がないこともそうだし、綾が女性なのに酒造りをやりたいと言うことも、嫁げと言われて嫌だと言うことも、時代の価値観に直面し、それぞれ周囲の批判に晒され、自己否定に走る要素はすごくたくさんあるので、そんな2人の身近に『あなたのその選択は間違っていない。あなたがその選択をするからこそ、あなたなんだ』と肯定してくれる人が必要だという思いがありました。それを幼馴染みの竹雄にしようというのは、最初から設定していました。

一方、竹雄は竹雄で、そういう槙野姉弟と一緒に自分が生きられることが、大きな喜びだと思っていて、その辺が愛情深い3人ですよね。また、この物語では、『お前は誰じゃ』と植物に語りかけ、名付けることを重要としているので、 互いをどういう風に呼び合うかということも、とても重要な要素で。万太郎と竹雄に関しては、お互いの呼び方がだんだん変わっていくあたりも、丁寧に描いていきました。生まれた時から生涯に渡る関係性というのは、現実世界ではちょっと難しいかもしれないけれど、この物語では最終週まで築かれる絆で、人間が持つ美しい部分の一つとして描いています」

写真提供:NHK
写真提供:NHK

高藤は最も純粋かつ切ないキャラだった

ところで、忘れられないのは、序盤で視聴者を大いに沸かせたキャラクター・元薩摩藩士の高藤(伊礼彼方)だ。

脇役にモブがいない、わかりやすい善悪もない本作において、一時的に女性視聴者たちの反感を大いに買い、後に愛されたキャラでもあった。

「実は高藤は、ものすごく純粋で、思っていることと口から出ている言葉が一致している、裏表がないキャラクターなんですよ。江戸から明治に移り変わる物語の序盤で出てきて、ずっと土佐を舞台にしていたのが、舞台が東京に移って初めて高藤が現れる。高藤の存在で、一気に日本の国の行く末や世界の列強に並ぶ一等国になるという、まさに国の中枢に繋がる最大級の夢を現実として提示するんですよね。高藤は純粋に、明治の初期に持ちうる1番大きな夢を見るキャラクターとして出てきて、ドラマの枠組みを押し上げます。ですが、今の私達の立場から眺めると、男女観も含めて、高藤の夢の限界がまざまざと見えていることで、明治という時代の夢の大きさとその限界点を、高藤を通じて痛感することができるんです。高藤は、当時における最先端で、本当に女性を大事にしているんですよ。寿恵子にも本当に幸せを与えようとしていましたし。彼の与えられている男女観は、彼が生きてきている中での限界値なので、それを今の私たちは『やばいね』と笑えるんです。

高藤が一生懸命生きれば生きるほど、その時代の目一杯の限界点を私たちに突きつけているという。じゃあ、翻って、現代の私たちは変われたのかという視点を高藤は突きつけてくれます。男女の価値観や社会性など、私たちもきっとまだ途上にいて。高藤は、そんな明治という時代性を序盤に提示するキャラクターとしては最重要キャラクターでした。実は、 国の中心でまっすぐに大きな夢を見るというキャラクターが、高藤を通りすぎると、 他にあんまりいないんですよね。あとは田邊さん(要潤)など、政治や国家に飲み込まれていかざるを得ない人たちで、夢をどうやったら維持し、届けられるのかという個人の話になるので。

まだ途方もない、明治という時代になりたての、この国はどこまででも行けるんだと、まっすぐな夢を純粋に語る高藤の存在を通して、私たちはその限界値を愚かにも切なくも見ることになる。そんな愛おしいキャラクターでした」

写真提供:NHK
写真提供:NHK

女性を「自立」を軸とした対比で描かなかった理由

もう一つ、本作の特異な点は、女性たちを「自立した女性」と「家を守る・従う女性」の対比・対立構造として描いていないこと。

自分の人生は自分で選ぶと決めた寿恵子は、万太郎の夢の伴走者でありつつ、家事も育児も資金繰りも、さらに仲居の仕事もこなしてみせた。

また、田邊の妻・聡子(中田青渚)は最初は夫に従い、守られる女性だったが、田邊を支え、守り、背中を押す存在として成長していく。

また、柳橋の有名芸者だったまつ(牧瀬里穂)は妾となり、自身が輝く人生から「旦那を待つ人生」に変わったが、それに後悔はないと言い、寿恵子に「誰かを待つことを暮らしの真ん中に置いちまうと、何をしててもさみしさでいっぱいになっちまう。まるで自分が、値打ちのない捨てられた気持ちになるからね」「男の人のために、あんたがいるんじゃないの。あんたはあんた自身のためにここにいるの。だからいつだって、自分の機嫌は自分でとること!」という奥の手を授ける。

そうした教えを受けた寿恵子は、万太郎を植物採集に送り出すとき「私は私で、八犬伝とか八犬伝とか、八犬伝とか」と言ってのける。

単純に自立を促すのでなく、それぞれに生きる環境や立場、背負うものの違いを受け入れた上で、自分の人生の咲かせ方を模索し、人生を謳歌している姿が描かれるのだ。

写真提供:NHK
写真提供:NHK

「実は世間の物差しに当てはまる女性像が全編通してあまり出てきてないんですよ。一見、聡子がそういうキャラクターに見えて、成長を描くためのスタートラインがそこというだけで。1番は自分が今感じている皮膚感で、自分がストレスなく描ける女性像を描こうということがありました。突き詰めればきっと誰もがみんなそうで、 ステレオタイプの設定になりそうな人物も本当に心の中までそうなのかという。『自立している人』ほど弱さを抱えていることもあるし、『家庭の主婦』だとしても、ものすごく大きな夢を見ていることもある。例えば印刷所のイチ(鶴田真由)は、ステレオタイプ的には『家庭内の主婦』で『支える女性』に位置づけられるのかもしれないですけど、彼女の特性や考え方、性格付けとか、個々で見つめていくと、全然そんなキャラクターにはならないんですよね。個人個人でそれぞれ与えられている設定や生い立ちによって、どういう考え方をするのか、どんな立ち居振る舞いをするのか、とことん個人を見つめることをとにかく徹底していきました」

「雑草ゆう草はないき。必ず名がある! 天から与えられ、持って生まれた唯一無二の名があるはずじゃ」と語った万太郎。その思いは生涯変わることなく、万太郎という広場に集まる人々や草花を等しく見つめ、愛し、照らしていく。

長田さんは最後にこんなメッセージを語ってくれた。

「槙野万太郎が生きとし生けるもの全てのありのままの特性を見つめて、その特性を愛していくというまなざしが貫かれています。だから、全ての登場人物が最後まで、自分の冒険を続けていくことになると思います。万太郎と寿恵子、それから周りの登場人物たち、それぞれの冒険はもう少し続くことになるので、皆の人生が咲き誇る行方を楽しみに見守っていてもらえたらと思います」

(田幸和歌子)

エンタメライター/編集者

1973年長野県生まれ。出版社、広告制作会社勤務を経てフリーランスのライターに。週刊誌・月刊誌・web等で俳優・脚本家・プロデューサーなどのインタビューを手掛けるほか、ドラマコラムを様々な媒体で執筆中。エンタメ記事は毎日2本程度執筆。主な著書に、『大切なことはみんな朝ドラが教えてくれた』(太田出版)など。

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