イタリア終身議員で91歳のアウシュビッツ生還者「映画ライフ・イズ・ビューティフルのような世界はない」
「可能だったことは死だけ。あの映画の中で事実と呼べるのはそれだけ」
イタリア系ユダヤ人でホロコーストの生存者のリリアナ・セグレ氏は1930年にイタリアのミラノで生まれた。ナチス・ドイツの迫害と差別で1938年には学校を追放され、1943年にはアウシュビッツ絶滅収容所に家族とともに移送。地獄のようなアウシュビッツを辛うじて生き延びることができた。セグレ氏は戦後も自身のホロコーストの経験を次世代に多く語り継いでいる。そして2018年にはイタリアのセルジョ・マッタレッラ大統領から、終身上院議員にも任命され、91歳の現在でも元気にホロコーストの経験を伝えている。
そのリリアナ・セグレ氏のホロコーストの体験を伝えている講演が『アウシュヴィッツ生還者からあなたへ: 14歳、私は生きる道を選んだ (岩波ブックレット NO. 1054)』(リリアナ・セグレ著、中村秀明訳、岩波書店、2021年)という本で出版されている。
著書の中で、セグレ氏はイタリアでのホロコースト時代を舞台にした映画『ライフ・イズ・ビューティフル』(原題:Life s beutiful movie)について以下のように述べている。
映画『ライフ・イズ・ビューティフル』は明らかにフィクション映画だ。セグレ氏が指摘するように映画に登場するようなおとぎ話は絶対に存在しなかった。主人公くらいの子供のほとんどは到着と同時に労働に適さないということからガス室に送られて殺害されていた。
▼映画『ライフ・イズ・ビューティフル』オフィシャルトレーラー
多いフィクションでのホロコースト映画と記憶のデジタル化
ホロコーストを題材にした映画やドラマはほぼ毎年制作されている。今でも欧米では多くの人に観られているテーマで、多くの賞にノミネートもしている。日本では馴染みのないテーマなので収益にならないことや、残虐なシーンも多いことから配信されない映画やドラマも多い。たしかに見ていて気持ちよいものではない。
ホロコースト映画は史実を元にしたドキュメンタリーやノンフィクションなども多い。実在の人物でユダヤ人を工場で雇って結果としてユダヤ人を救ったシンドラー氏の話を元に1994年に公開された『シンドラーのリスト』やユダヤ系ポーランド人のピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマン氏の体験を元に2002年に公開された『戦場のピアニスト』などが有名だ。史実を元にした映画は欧米やイスラエルではホロコースト教育の授業で視聴されることも多い。今回の映画のテーマのように次世代にホロコーストの歴史の真実を伝えていくことに多く活用されている。
一方で、フィクションで明らかに「作り話」といったホロコーストを題材にしたドラマや映画も多い。1997年に公開された『ライフ・イズ・ビューティフル』や2008年に公開された『縞模様のパジャマの少年』などはホロコースト時代の収容所が舞台になっているが、明らかにフィクションであることがわかり、実話ではない。
戦後75年が経ち、ホロコースト生存者らの高齢化が進み、記憶も体力も衰退しており、当時の様子や真実を伝えられる人は近い将来にゼロになる。ホロコースト生存者は現在、世界で約24万人いる。彼らは高齢にもかかわらず、ホロコーストの悲惨な歴史を伝えようと博物館や学校などで語り部として講演を行っている。当時の記憶や経験を後世に伝えようとしてホロコースト生存者らの証言を動画や3Dなどで記録して保存している、いわゆる記憶のデジタル化は積極的に進められている。デジタル化された証言や動画は欧米やイスラエルではホロコースト教育の教材としても活用されている。ホロコースト映画をクラスで視聴して議論やディベートなどを行ったり、レポートを書いている。そのためホロコースト映画の視聴には慣れてる人も多く、成人になってからもホロコースト映画を観に行くという人も多い。またホロコースト時代の差別や迫害から懸命に生きようとするユダヤ人から生きる勇気をもらえるという理由でホロコースト映画をよく見るという大人も多い。
世界中の多くの人にとってホロコーストは本や映画、ドラマの世界であり、当時の様子を再現してイメージ形成をしているのは映画やドラマである。その映画やドラマがノンフィクションかフィクションかに関係なく、人々は映像とストーリーの中からホロコーストの記憶を印象付けることになる。
そしてフィクション映画もホロコースト教育で使われることも多く、ホロコーストの記憶や歴史を印象付けている。セグレ氏が語るようにフィクション映画は実際のホロコーストや絶滅収容所での様子とは全く違っていることが多い。あくまでも作り話である。だが多くの若い世代は精確な歴史的な事実などを確認しないで、フィクション映画での映像やストーリーを鵜呑みにしてしまう傾向が強く、このようなフィクション映画での世界がホロコーストの事実だと思ってしまうことをホロコースト生存者やホロコースト博物館などは懸念している。