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17日に引退試合開催。鈴木啓太に聞く「周囲からの小さな”サンキュー”を重ねて生き残る術」

現役時代の鈴木啓太さん。主に守備面での細かいプレーでチームに貢献し続けた(写真:FAR EAST PRESS/アフロ)

7月も中旬になった。首都圏では梅雨明けの気配もあり、夏が近づこうとしている。

暑い。ダレる。フレッシュさが落ちてくる。”新年度”にせよ、”2017年”にせよ、”新体制”にせよ、”新しい環境(会社組織、学校)”にせよ、だ。ちょっとずつ趨勢が見えてくる頃ではないか。新入社員だったら、飽きがきて辞める人も出る頃か。

周囲との差が見えてくる。出来る同僚や後輩へのジェラシー。目立つ結果が出せないジレンマ。「俺は大物じゃないんだ」というコンプレックス……そういう問題に悩む方に、ぜひこの人の言葉をガッツーンと伝えたい。

鈴木啓太さん。

7月17日(月・祝)に埼玉スタジアム2002で浦和レッズや日本代表レジェンドプレーヤー勢ぞろいの引退試合を控える。なにせこの方、"周囲が凄いやつらだらけ”という環境をある手法で生き抜いてきたのだ。

”周囲からの小さなサンキューを重ねる”

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177センチ、72キロ。大きくない。速くもない。テクニシャンではない。しかも守備的なMF・ボランチの位置にあって、自分ひとりで積極的にボールをバシっと奪うタイプでもない。攻撃に関しては「自分がゴールを決めるのは2年に一度ペースでしたね」とさえ言い切る。

それでも日本有数のトップクラブ浦和レッズで00年から16年シーズンで計443試合に出場。07年のアジアチャンピオンズリーグ優勝ほか幾多のタイトルを獲得した。日本代表ではイビチャ・オシムに重用され、28試合に出場した。

それはつまり、周囲から細かいプレーで「サンキュー」と思われ続けた、という証だ。「運動量、カバーリング、そしてチームのバランスを取るという役割が主でしたね」と言う。苦しい時にちょっと頑張って走る。中央のポジションからサイドのカバーに入る。ボールを奪っても派手なパスを狙わずポンと味方に預ける。攻撃参加するDFの動きを見て、自分は後方に留まる。細かい。でも味方にすれば本当に助かる。

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簡単なようで難しいことだ。気づいてもらわないといけないから。でも自分にスーパーな能力がない限り、これをやらないと組織で生き残れない。「小さなサンキュー」。これを積み重ねて生き残る術。周囲の”すげーヤツ”に嫉妬するくらいなら、さっさとこれに取り組もう。

まずは己を知れ。「今いる環境を当たり前を想うな」

これが第一条件だ。新しい環境に接するとき、多くはここに躓くのではないか。「なんで自分らしさを発揮できないんだ」と。「俺だって昔はすごかった(はずなんだが)」と思うか、はたまた「自分らしさがないな」と痛感することもあるか。

鈴木さんはサッカーどころ静岡県清水に育ち、この衝撃をかなり早くに受け入れた。

「僕だって、小学校の少年団ではナンバーワンの存在でしたよ。自分が攻守に渡って活躍する、という。『とにかく俺にボールをよこせ』というスタイルでした」

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しかし小学校3年生で早くも壁にぶち当たる。地域の選抜チームにして、ひとつ上の学年が全国大会決勝で6-0の大勝を収める強豪・清水FCに加わるのだ。

「レベルが完全に違ったんです。足の速い子、体の強い子、技術がある子がいる。あれ? こりゃマズいな……と思いまして」

エースだった自分が脇役に回る。その葛藤はあったが、子ども心に「自分が一番上手くなる」と誓った。小学校高学年になると、自分の立場を痛烈に認識する決定的な出来事が起きる。本人の記憶もあいまいだが、確か5年か6年の頃の話だ。

普段は楽しく接してくれたコーチが突然、こんな話をしてきた。

「もし自分が試合に出られなくなったら、どうする?」

その時、レギュラーだった鈴木少年はこう答えた。

「俺だったら、辞めるかな~」

コーチは突如、強い口調で言った。

「そんなんだったら、今すぐ辞めろ! 試合に出ていない選手にも失礼だし、協力してくれる親に対しても失礼だから」

ハッと気づいた。自分の今いる環境は当たり前のものじゃないんだ、と。一人でサッカーやっているわけでもないんだ、と。さらに言うと、「世の中、自分だけのために回ってるんじゃないとさえ思いました」。自分は下手な方じゃない。努力もしている。でもなぜ自分がそこにいるのかを考えられなくなったら、意味がないと思った。

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3カ月くらいで辞めようと考え始めている新入社員の皆様。ちょっと考えよう。そこまで支えてくれた家族のこと。入社の競争で負けた他の学生たちのことを。そこにいられることも恵まれているんじゃないか。じつは。

結局は自分の組織が勝てばいい。「スポットライトを間接的に浴びる方法もある」

鈴木さんは学生の頃、周囲に「なんでお前が試合に試合に出てるんだ」と言われた。今でも昔の仲間で集まると「啓太、下手だったよな」とさえ言われる。

2015年シーズンを最後に引退し、今改めて気づくことがある。

「自分は、チームが勝つことで自分の評価を上げてきたんじゃないか」

スポットライトは誰が浴びてもいいと思っていた。あるときはFWの誰かかもしれないし、DFの誰かかもしれない。あるいは自分かもしれない。でも勝たないとそれを自分たちに向けることができない。まずは勝つことが重要だった。チームの結果が出さえすれば、自分に注目が集まるチャンスが出てくる。

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04年から09年まで同じチームで戦った田中マルクス闘莉王がDFラインから攻めあがる。決勝点を奪う。するとインタビューでこう言ってもらえた。

「啓太がポジションを埋めてくれるから」

闘莉王の攻め上がりの際、自分は守備的な位置に留まり、それを助けたという意味だ。間接的にスポットライトが当たった瞬間だった。

”デキるヤツ”は決して敵じゃないのだ。

「能力の高い人こそ、どんどん活躍してもらう。そちらのほうが、自分が出て行くよりもむしろ楽なんですから。彼らが何をしたら喜ぶのか。そして何をさせたら勝てるのか。そういうことを考えていました」

05年から10年まで、レッズにはロブソン・ポンテという攻撃的MFがいた。ドイツのクラブでチャンピンズリーグ出場歴もあるブラジル人MFは、攻撃時の運動量は多いが、守備面ではそうではなかった。

鈴木さんは彼をこう諭した。

「休んでもいいから、まず一定のラインまで戻ってから休んで。するとボールが獲れるから。ボールが獲れると攻撃ができて、キミのチャンスも増えるから」

みんな自分が活躍したいと思っている。だから活躍を助ける。活躍すると、自分が目立ったことができなくても評価が戻ってくる、という。ギブアンドテイクが成立するのだ。

’デキる’というのは一種類じゃない。ときに「密集を避け、ゴールに」

「小さなサンキュー」で生き残った鈴木さんだが、決して子どもの頃から”自分も上手くなる”という思いを諦めたことはない。重要なのは、’上手くなる’という方向性だった。ボール扱いが上手く、たとえ試合に負けても評価される選手なら、それでいい。しかし鈴木さんにとっての「上手い」という定義は「勝利に貢献できる」ことだった。

本人にははっきりとした記憶がないが、父親から幼稚園時のエピソードを聞かされたことがあるという。

「小さな子どもって、みんなボールの周りにわーっと集まる『団子サッカー』になるでしょ。でも僕はそこから外れて集団の後ろにいたというんです。そしてボールがポロッと転がると、それを拾って、”団子”の外をドリブルして、シュートを打ったというんです」

それも十分にサッカーが”上手い”ということだ! 鈴木さんはこのことをはっきりとは覚えてはいないが、「団子の中はみんながゴリゴリとぶつかって痛かった」記憶はあるという。

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ドリブルで密集をぶち抜いても1点。その外を回っても1点。自分が取っても1点、周囲に取らせても1点。いまやってることの目的はなんだ? サッカーなら、ゴールを奪い、ゴールを守ること。90分が終わった時点で相手よりも1点でもゴール数が上回っていれば、勝ち点3が得られる。会社なら、最終的には「もうけ」ということになるんじゃないか。目的は何なのか。今一度そこから物事を逆算して考え直すのはとてもよい手ではないか。

自分のことがが認められない時。「嬉しいのは最後の一瞬だけ」でなければ「きっぱりと諦める」

鈴木さんが試合中の「小さなサンキュー」を嬉しいと感じた瞬間というのは、じつはあまり多くない。

試合中に細かい守備の動きで声をかけられることはあったが、「それは当たり前のことだと思っていた」。自分が周囲の犠牲になっている意識もなく、当たり前の仕事だと思っていた。

浦和レッズがシーズン優勝を飾った06年シーズンには、攻撃陣にワシントン、ポンテといったブラジルの名手たちがいた。シーズンの最後に彼らが「最後尾にギシ(GK山岸範宏)がいて、啓太が攻撃で空いたスペースを埋めてくれたおかげでリーグ最少失点を記録し、優勝できた」と言ってくれたことがあった。

この時、ああ、嬉しいなと思った。本当に最後の一瞬だけだった。

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もちろん、鈴木さんにも自分の力が評価されなかったことがあった。すべてがうまく行くわけではない。04年アテネ五輪では最終予選までキャプテンを務めながら、本大会ではエントリー外となる辛い経験をした。またフル代表ではイビチャ・オシム時代に全試合スタメン出場を果たしながら、監督交代とともに自身の病気もあり招集されなくなっていった。

「あんまり、くよくよ考えることがないんですよ。『自分に力がなかっただけ』ときっぱりと割り切るだけ。アテネ五輪の時だって、エントリー人数制限があって、監督がまずはグループリーグの戦い方をシミュレートして、結果自分がそこにハマらなかったというだけで」

そう割り切れるようになるためには、準備を徹底的にやることだ。

「代表でも所属チームでも、監督が何を望んでいるのか、しっかりと話を聞きにいきましたね。レッズで新監督が来たシーズンにはキャンプのスタート時点で体を完全につくっていく。すると戦術理解にぐっと比重が置けるわけです。『こいつは解っているな』と印象付けられますよね」

簡単に認められないからといって、すぐに投げ出さない。”上司”のやってほしいことを今一度確認する。諦めがきくほどの準備をすること。そういうことだ。

家庭での鈴木さんは……「素です」

”小さなサンキュー”を重ねて生き残る術。今回の取材を通じ、筆者の目からはこうやってまとめられると感じた。再度念押しすると、

■まずは己を知れ。「今いる環境を当たり前を想うな」

■結局は自分の組織が勝てばいい。「スポットライトを間接的に浴びる方法もある」

■’デキる’というのは一種類じゃない。ときに「密集を避け、ゴールに」

■自分のことがが認められない時。「嬉しいのは最後の一瞬だけ」でなければ「きっぱりと諦める」

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そんな鈴木さん……ちなみにご家庭ではどんなキャラクターなんですか? 

「家ではね……ボランチというか、審判かな? 娘2人と妻がいて、”女対女”みたいな戦いになるから、そのときは仲裁役になる。家では何もしないんですよ。それは素の自分ですね。だからふだんは僕に発言権がないんです。まあ逆に”審判”になるときは妻に立ててもらっているかな。『お父さんの言うことは絶対』という古風な考え方で、こちらを尊重してくれる。助けてもらってますね!」

素でいられる家庭あってこその、あの鈴木啓太ということ、か!

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鈴木啓太(すずきけいた)1981年7月8日生まれ。静岡県出身。東海大一中―東海大一高(現東海大翔洋高)―浦和レッズ。日本代表としてアジアカップ07年、U-23代表として02年釜山アジア大会、04年アテネ五輪アジア最終予選に出場。浦和レッズ一筋で16年プレーした後、引退後の道の一つとして起業家に。腸内フローラを研究する「AuB(オーブ)株式会社」を設立。腸内環境が人間のコンディションに与える影響を研究する。

鈴木啓太引退試合 2017年7月17日(月・祝) 17:00キックオフ(埼玉スタジアム2002)。【対戦カード】REDS LEGENDS(浦和レッズOB主体のチーム) vs BLUE FRIENDS(鈴木啓太氏と同じ時代に日の丸を背負った仲間たち主体のチーム)。チケットはプレイガイドで試合当日まで発売中。本人からのメッセージ「まあ僕のことはさておき、レッズの同窓会という感じで、懐かしいレジェンドたちを観にきていただきたいです! 現役日本代表選手も参加します!」

トップの写真以外はすべて筆者が撮影。

吉崎エイジーニョ ニュースコラム&ノンフィクション。専門は「朝鮮半島地域研究」。よって時事問題からK-POP、スポーツまで幅広く書きます。大阪外大(現阪大外国語学部)地域文化学科朝鮮語専攻卒。20代より日韓両国の媒体で「日韓サッカーニュースコラム」を執筆。「どのジャンルよりも正面衝突する日韓関係」を見てきました。サッカー専門のつもりが人生ままならず。ペンネームはそのままでやっています。本名英治。「Yahoo! 個人」月間MVAを2度受賞。北九州市小倉北区出身。仕事ご依頼はXのDMまでお願いいたします。

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