大鶴義丹、50歳になって噛みしめる父の思い
俳優、作家、映画監督、タレントと幅広く活動する大鶴義丹さん。4月で50歳になり、新たな節目を迎えましたが「娘も成人しましたし、この前も一緒に酒を飲みました。50歳って、そんなことができる歳なんだなとしみじみ思いました」と柔和な笑顔を見せます。自らの父親である劇作家・唐十郎さん作の新宿梁山泊第63回公演「ユニコン物語~台東区篇~」(6月16~25日、新宿・花園神社境内特設紫テント)にも出演。歳をとるごとに変わっていったという父への思いについてもストレートに語りました。
長女とお酒を
もう50歳ですよ(笑)。前の奥さんとの娘も成人しましたんでね。お酒も飲めるようになったんで、この前も一緒に飲みまして。大学生で芝居も好きなんで、芝居の話をしながら。「娘と酒を飲んで、そんな話もできるんだ…。50って」という感じですね(笑)。
僕は生意気なガキだったんで、27歳くらいで何でも分かるみたいなことを思ってましたけど、今から思うと、何にも分かってないんですよ(笑)。50だから分かること、言えることが間違いなくある。逆に、50になって失った言葉もあるのかもしれませんけど、テレビ番組などでも、こんなおっさんの言葉に耳を傾けてくださる方々がいてくれることに感謝です。
いろいろと風景が変わってきますよね。つい最近も同じ歳の友達が軽い脳梗塞をやりまして。それまで一緒に酒飲んでたヤツが一切遊べなくなって、一気に仙人みたいな生活になっちゃって。この歳になると、顔を合わすと、薬とか健康診断の数値の話なんてことはよく聞いてましたけど、結局、死の意識なんですよね。遠いかなたにあることではなく、もう見えるところに死がやってきている。それを前提に物事を考えるというか、何事も永遠にはできない。もうできる時間はよく考えたら、かなり限られている。そこをベースに物事に取り組むようになりましたね。
父への思い
おっさんになってきて、父親への気持ちも変わってきたんでしょうね。(2012年に)父親が頭の大きなケガをして、今までのように現役としてはやるのが難しくなった。父が立ち上げた「状況劇場」からのれん分け的にできた劇団「新宿梁山泊(しんじゅくりょうざんぱく)」代表の金守珍さんが「義丹がうちの劇団でやったら、おもしろいんじゃないか」とその頃に声をかけてくださって。父の流れで生まれたところに自分が入ってお芝居をさせてもらうというのも、今回で6回目になります。
別にうちの父とは仲が悪いわけでもないし、普通に仲良しの方だと思うんですけど、ま、父と息子というのは、一種のライバル関係というか「父親の世界に飲み込まれてなるものか」みたいな思いがあって。そんな思いから、映画を作ったり、ドラマなど映像の世界に入ったりもしたんですけど、金さんに声をかけてもらった時、その言葉がスッと体に入ってきたんですよね。「そうだな、オレももう40歳も超えてるし、おやじも現役じゃなくなったし」と。なんというか、割烹料理屋の息子が、ジャンル違いのホテルのレストランで修業して戻ってくるみたいな話があったりもしますけど、ま、そういうことだったのかなと(笑)。それはそれでおもしろいなと思いまして。
家が劇団の稽古場でしたし、小さな頃から大人たちが楽しそうにしている姿を見て、なんとなく、そちらの方向に進むことが自然な環境だったんだと思います。もちろん才能が追いつかなくて辞めていく人もいたし、思いどおりにならない人もたくさん見てきましたけど、それでも気づいたら、やっぱりそっちに行ってたんです。
仕事に行き詰って
そして、振り返ってみると、僕がいろいろな意味で仕事的に先が見えなくなったのが30歳の頃。もう若者としての役をやるには年齢がいってるし、ただ、次の役柄と言ってもなかなか見えてこない。当時所属していた事務所もダメになっちゃった時で、本当に「どうしたらいいんだ…」と思っていた時期でした。
当時、おやじは50代後半で脂が乗っていて、バリバリ仕事をやっていて。正直な話、しんどくなって「おやじの劇団に入ろうかな…」と思ったこともあったんですよね。なんとなく、用もないのに、稽古場に顔を出してみたり。そして、おやじはおやじで分かってたんでしょうね。もう若者でもなくなってきて、行き詰っているなと。ただ、何も言わない。あとあと周りから聞いてみると、おやじも「うちの劇団に(義丹が)交じってくれたらおもしろいよな」と思ってはいたみたいなんですけど、それは僕には言わなかった。
そうこうしているうちに、当時は2時間ドラマが華やかになった時代でもありまして、そのお仕事の話もいただけるようになった。ただ、若者の華やかな役をやっていた人間が2時間ドラマに出るって、当時の空気で言うと、なんとも言えない、恥ずかしいではないんだけど、そういう空気があったんですよね。でも、そんなこと言ってる場合でもなかったし、本当にありがたい話だったので、やらせていただくようになった。悩める若社長がいろいろあって犯罪に手を染めてしまう…みたいな、ちょっと訳ありの犯人みたいなことをやらせていただくようになって、また次の景色が見えてきたという感じでした。
父の言葉を追いかけて
そこを経て、40過ぎて父親のところから生まれた舞台にも出るようになりましたけど、一番しんどい時に父親のところに入らず、そこを越えてから入って、よかったなと今は思っています。打破する経験があったからこそ、今があるのだろうし、何より、そこで僕に声をかけなかった父親に感謝です。今、人の親になって、その時の親の気持ちを考えると、よくこらえられたなとも思いますし。歳をとると、いろいろ見えてくるものもあるもんですね(笑)。
おやじがインタビューとかでよく言っていたのは、「三度の飯を食うように芝居をしていたい」ということ。僕はその境地までたどり着いてないので、まだ“その心”はつかめてませんけど、とことん、やりつくさないと分からないということなんだろうなと…。いつかまた歳をとって本当の意味が分かるよう、これからも歩み続けていきたいと思います。
(撮影・中西正男)
■大鶴義丹(おおつる・ぎたん)
1968年4月24日生まれ。東京都出身。日本大学芸術学部中退。ケイダッシュ所属。父は劇作家、芥川賞作家の唐十郎。母は女優・李麗仙。中学時代から映像の世界に足を踏み入れ、日大在学中に映画「首都高速トライアル」で本格的に俳優デビュー。90年に「スプラッシュ」で第14回すばる文学賞を受賞し、小説家デビューも果たす。95年には映画「となりのボブ・マーリィ」で監督デビュー。94年に歌手・女優のマルシアと結婚。長女が誕生するが、2004年に離婚。フジテレビ系「アウト×デラックス」などに出演中。新宿梁山泊第63回公演「ユニコン物語~台東区篇~」(6月16~25日、新宿・花園神社境内特設紫テント)にも出演する。