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「Yahoo!ニュース個人」は既存のメディアから筆者と読者を奪うか

治部れんげ東京科学大学リベラルアーツ研究教育院准教授、ジャーナリスト
12月1日(火)に開かれたYahoo!ニュース個人オーサーカンファレンスの様子

組体操問題の筆者が年間アワードに選ばれる

12月1日に開かれた、Yahoo!ニュース個人のオーサーカンファレンスに参加しました。見どころは3つありました。1)名古屋大学の内田良准教授が年間最優秀賞を贈られたこと、2)人気オーサーによるパネルディスカッション、3)Yahoo!からオーサーへの経済的インセンティブに関する新制度の発表です。

1)の内田先生は組体操の危険性を指摘し、実際に教育現場や読者が動き始めたことが評価されました。記事を読んだ人の行動が好循環を生み、社会を変えることにつながった好例で、聞いていて元気が出ました。

新しい報酬体系は紙メディアの相場観に近い

多くの書き手にとって、気になるのは3)だと思います。どういう原稿を書くといくらぐらいもらえるのか。この点については、プレスリリースとしてYahoo!が既に発表しているので、こちらをご覧下さい。

「Yahoo!ニュース 個人」、オーサーへの原稿発注、海外への記事翻訳配信、新たな表彰制度など書き手を支援する新プログラムを発表

本稿では、新しいインセンティブが、どんな書き手を惹きつけるか。ようするに、既存メディアからYahoo!が書き手や読者を奪取するのか、2)のパネルで出てきた議論も随時ご紹介しつつ、考えてみたいと思います。

書き手の移動は起こりそう

第一に、Yahoo!ニュース個人の新しいインセンティブ制度は、今より多くの書き手を惹きつけると思います。具体的に言うと「新しい記事のために、新たに取材して書く」ことができる訓練された/センスのある書き手の多くが、既存のウェブメディアから、Yahoo!に移る可能性があります。カンファレンスで発表を聞いていて「自分があと10歳若かったら、これ専業で食べる挑戦をしたいな」と思いました。

背景には他のウェブメディアの原稿料が安いため、専業で生活を支えるのは厳しいことがあります。Yahoo!が提示した数々の経済的インセンティブと金額設定は、それでも紙媒体と比べてむやみに高くはなく、リーズナブルな水準だと感じました。

一定水準以上の取材執筆を持続可能にするのは、適切な報酬の設定です。お金にならなくても、楽しいから書く人もいるかもしれませんが、手間暇かけて取材して書き続けるには、生活を支える糧が必要です。経済的に魅力的な環境をつくれば、紙メディアで生活できなくなった書き手が、Yahoo!ニュース個人に移ってくるのは、当然の経済原理です。

拡散性の面で魅力的な翻訳サービス

第二に、経済的なインセンティブ以外の魅力について。私自身は、現在、書く仕事で得る収入は、全体の10~20%くらい。Yahoo!ニュース個人のオーサーには、様々な分野の専門家(コンサルタント、研究者等)がいます。彼・彼女たちは、ここで書くことを、生計の手段にしてはいません。

それでは、何が魅力かと言えば、拡散性が高いことです。今年私が書いた記事で一番読まれたものは、9カ月累計で167万PVに達しました。子どもの性虐待を扱った重い記事で、当事者が率直に話してくれた内容をまとめたものです。

取材に協力してくれた女性に、多くの人が読んでくれたことを伝えると、とても嬉しいと言っていました。彼女は、今では自分の辛い経験を克服し、家庭を築き(配偶者も過去のことを知っています)、同じ経験をした人を支援する活動をしています。勇気をもって話てくれた取材協力者にとって、多くの人に問題を知ってもらうことは、励みになるのです。記事を読んだ四国の医師会から講演依頼をいただいたりもしました。

拡散性という観点から新しい施策を見ると、海外翻訳サービスは魅力的です。日本の課題は、時に外国メディアから間違った報道をされることもあります。違う視点を海外の人にも提供できたら、嬉しいと感じる筆者は多いのではないでしょうか。

調査報道を支える仕組みは、まだない

第三に、では、Yahoo!ニュース個人が既存メディアを駆逐するか…というと、短期ではそこまでいかない、と私は見ています。今の体制は調査報道を支えられないからです。

パネルディスカッションでは、江川紹子さんがオウム事件を取材した当時のことを話すシーンが印象的でした。今でこそ、数々の犯罪が明らかになっていますが、江川さんが取材していた当時、教団側はボロを出さなかったため、訴訟や誤報リスクを恐れた権威あるメディアは、及び腰であったこと。そんな中、江川さんが書く場は週刊誌だったと言います。

江川さんのお話で、事実確認や、細かい部分のチェックは、社員編集者に期待したい…というニュアンスがあり、同感でした。編集者は外部寄稿者の原稿を読み、名前や数字、事実関係などを調べます。読みにくい文章を直したり、筆者に書き直しを依頼することもあります。メディア企業で訓練を受けた人にとっては、当たり前のことですが、Yahoo!ニュース個人を始め、書き手が自分で投稿権限を持つブログ形式の「メディア」は、編集や校正が入りません。

普通の記事で編集や校正がなくても、起こるリスクは「間違い」であり、メディア側は「訂正」を出せばすむでしょう。でも、権力を敵に回すような本当の大きな問題だったら、どうでしょう。そういう取材執筆では、やはり組織に守られた編集者が事実確認やリーガルチェックで筆者を支援し、フリーの筆者が訴訟という形で嫌がらせをされた際、バックアップする必要があります。

「清水さん」はウェブメディアから生まれない?

こういう話で思い出すのは桶川ストーカー殺人事件で警察の不正を暴いた、清水潔さんです。清水さんの書かれたものは、ストーカー規制法の成立につながりました。清水さんはこの他にも、栃木県・群馬県で起きた幼女連続誘拐殺人事件で、冤罪を暴くと共に、警察より先んじて真犯人に迫りました。その取材は緻密で、根気のいるものです。こうした取材をしていた時、清水さんは大手出版社やテレビ局の社員でした。そこには、若手に仕事を教える、蓄積された仕組みと、潤沢な資金がありました。

読者の立場で見ると、Yahoo!に限らず、新しいウェブメディアが、既存の紙メディアを駆逐するかどうか、というのは、実はどうでもいい話かもしれません。大事なのは、メディアの形式ではなく、そこからどういうコンテンツが生み出されるか、ですから。

ネット上には既存メディア批判があふれています。でも、日本ではまだ、ネットメディアで権力に真っ向から対峙し、その誤りを正すような報道はありません。それは、ひとりで出来ることではないからです。

ヴァーチャルな「チーム」は筆者を支えきれるか

組体操問題を告発した内田先生は、ソーシャル署名Change.orgを使い、文部科学大臣宛に「組体操の段数制限」を求めています。本稿執筆現在(12月2日午前1時過ぎ)、1万2000筆超が集まっています。こういう形で多くの人の声を集めるのは、新しい形のチームワークかもしれません。

「安全な組体操の実現に向けて 馳浩文部科学大臣に組体操の段数制限を求めます」

カンファレンスの中で、内田先生は、発信すると情報が集まってきて最初は辛い、と話していました。でも、続けていくと変化が生まれ、希望が見えてくる、ということも。

読者の「支え方」も問われている

紙メディアにしろ、ウェブメディアにしろ、社会を変える情報提供は公共財です。本当の変化を起こすためには、地道な取材を可能にする経済的な支えや、変化を求める多数の人の声が必要です。公共財を、あなたは買い支えるのか、大きな声援で支えるのか。問題は、メディア企業だけではない。受け手の選択と行動も問われています。

今回、Yahoo!という潤沢な資金に恵まれた新しいメディア企業が、公共財を買い支える決意を示したことに少なからぬ希望を感じました。これまでも「メディアはどうあるべきか」という議論はよく耳にしましたが、良質なコンテンツを長期的に買い支えるための具体的な解決策は、初めて見たように思います。

東京科学大学リベラルアーツ研究教育院准教授、ジャーナリスト

1997年一橋大学法学部卒業後、日経BP社で16年間、経済誌記者。2006年~07年ミシガン大学フルブライト客員研究員。2014年からフリージャーナリスト。2018年一橋大学大学院経営学修士。2021年4月より現職。内閣府男女共同参画計画実行・監視専門調査会委員、国際女性会議WAW!国内アドバイザー、東京都男女平等参画審議会委員、豊島区男女共同参画推進会議会長など男女平等関係の公職多数。著書に『稼ぐ妻 育てる夫』(勁草書房)、『炎上しない企業情報発信』(日本経済新聞出版)、『「男女格差後進国」の衝撃』(小学館新書)、『ジェンダーで見るヒットドラマ』(光文社新書)などがある。

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