【京都府長岡京市】ガラシャ祭開催中の勝竜寺城で紅葉が見ごろ 442年前の惑星食は本能寺の変の引き金?
かつて明智光秀の娘・玉(後の細川ガラシャ)が城主細川忠興に輿入れし、新婚生活を送ったとされ、光秀最後の砦ともされる勝竜寺城。その跡地に整備された記念公園で、2022年11月8日、境内のあちこちに植樹されている紅葉が良い感じで色づいていました。折しも、11月13日まで長岡京ガラシャ祭が開催されており、イベント会場の一つともなっています。
さて11月8日夜、月全体が地球の影に入る「皆既月食」と、月食の最中に月が惑星を隠す「惑星食」が同時に起こりましたね。国立天文台によると、日本で皆既食中に惑星食が起こったのは、安土桃山時代の1580年7月26日の土星食で約422年ぶりなのだとか。まさに織田信長が明智光秀によって討たれる2年前となります。
信長は、当時朝廷が使用していた宣明暦を元にした京暦を、「日食さえ予想できない」として関東や東海地方で使用されていた三島暦に改暦するよう再三迫っていたといいます。そして本能寺の変の前日、6月1日に同寺で行われた大茶会には、陰陽師の天文博士・土御門久脩も参加していました。この日に起きた日食が京暦に記載されていなかったことで、再度三島暦への改暦を迫ったと言われています。
この2年前の土星食を京暦が予想していたかどうかは定かではありませんが、暦の制定は朝廷にとっては、天皇大権の最後の砦ともいうべきもの。このことを光秀はどうとらえていたのでしょうか。そしてこれが信長の四国政策などと合わさって。本能寺の変のきっかけとなったことは十分に考えられるのではないでしょうか!
さて、勝竜寺城の名の由来ともなった、ガラシャゆかりの勝龍寺では、期間限定の御朱印「ガラシャの夢」と「ガラシャ祭」が授与されています。空海の開基とされる「恵解山勝龍寺」は勝運、ぼけ封じの寺としても知られています。歴史ロマンあふれる長岡京市へぜひこの期間にお越しください。
勝竜寺城公園(外部リンク) 長岡京市勝竜寺13-1 075−952−1146
恵解山勝龍寺(外部リンク) 長岡京市勝竜寺19−25 075−951−6906