【JAZZ】ケイコ・リーのザ・ビートルズ・カヴァーには換骨奪胎による“声の美学”が潜んでいる
2014年10月にリリースされたケイコ・リーの新作は、全編ザ・ビートルズのカヴァーというちょっと度肝を抜かれるものだった。
どういうふうに度肝を抜かれたのかというと、野球に例えれば敬遠でキャッチャーが立ち上がっているのにピッチャーがど真ん中のストライクを投げちゃった、みたいな。あ、野球に例えたほうがわかりづらかったかな……。
根っからの“ポップス歌い”を公言して、これまでもアルバムやライヴで機会があればレパートリーにザ・ビートルズを入れていた彼女だから、「ケイコ・リーがザ・ビートルズを歌う」と言っても意外ではない。ただ、「ザ・ビートルズも歌う」というのと「ザ・ビートルズだけを歌う」というのではかなりハードルの高さが違ってくるだろうから、その意味でこのアルバムがポピュラー音楽業界で全盛のカヴァー集とも、みんなが歌っているスタンダードをワタシも歌う的なジャズ・アルバムとも一線を画しているということに注意しなければならないだろうね。
ゲストの役割にも度肝を抜く要素が?
そういうプレッシャーがあったほうが張り切っちゃうというのが、ケイコ・リーを含めたジャズ・ミュージシャンたちのいいところでもあって、原曲に対して遠慮会釈なしのアレンジと演奏でまったく異なるザ・ビートルズ像を描き出しているところに圧倒されてしまうんだな。
忘れちゃいけないのがゲストの参加だ。「渡辺貞夫の艶やかなサックス vs ケイコ・リーのヴォーカル」そして「ムッシュかまやつのひょうひょうとしたヴォーカル vs ケイコー・リーのヴォーカル」という構図。いずれもケイコ・リーと“デュオ”のためにゲストが迎えられていて、“ヴォイス・アーティスト”としてこのアルバムをまとめようとした意図を感じさせるものになっている。
彼女はこれまでも自らの声を多重録音するなど、声が生み出す波長をどのようにサウンドへ取り込んでいくかについて独特の考え方をもっていると感じることが多かったのだけれど、ここでもそのようなアプローチで“伴奏”や“コーラス”といった枠からはみ出した声の魅力を発見しようとしているんだと思う。
このような「歌う」だけにとどまらないアイデアが盛り込まれているから、やっぱりこのアルバムには度肝を抜かれるという表現が適切なんじゃないだろか。