「西側はロシアを分割して統治しようとしている」。プーチン大統領の心の声か:なぜウクライナに侵略したか
「西側は、歴史的なロシアを分割しようとしている」。
12月25日(日)にロシア公共放送で、プーチン大統領のインタビューの短い抜粋が放送された。
「分割して統治する。彼らは常にそうしようとしてきましたし、今もそうしようとしています。しかし、私たちの目標はまったく異なります。ロシア国民を団結させることです」と言った。
ロシア軍はウクライナで「正しい方向で行動している」のであり、 「我々は国益と我々の市民、我々の人民の利益を守ります」とも述べた。
「分割して統治せよ」とは、古代ローマ帝国による、支配地域の統治術をさしたものとも、フランス国王ルイ 11世による言葉に由来するとも言われる。列強による植民地支配も、この術策を用いたとされる。
つまりプーチン大統領は、西側は、ロシアの内部で互いに民族等が対立するように策を弄し、自分たちがロシアを支配しやすいようにしていると言いたいのだろう。もちろん、ウクライナを始めとする旧ソ連の国々も「ロシア」に含むに違いない。
欧州連合(EU)を通して欧州をみつめてきた筆者には、この言葉は、胸に迫るものがあった。これはプーチン大統領の心の声なのではないだろうか。
プーチン大統領は、なぜウクライナ戦争を始めたのか。これは開戦時から10か月間、ずっと繰り返されてきた問いであった。
「もういい、欧州の一員になれないのなら、もう勝手にやる」という、老齢のプーチン大統領の挫折と決意のように、筆者には思えてならない。
冷戦が終了して、どのような欧州を構築するかーーこれは欧州大陸の大問題だった。今に至るまで解決しておらず、とうとう戦争になってしまった。
ロシアがEUに加盟を望んだことは一度もない。ロシアは、欧州(当時は西側)と対等な立場で、新しい欧州を構築するプレーヤーになることを望んできた。
しかし実際に起こったことは、ロシアは欧州基準で見れば、どうしようもない「後進国」であり、欧州である資格に足りない、永遠に足りないという立場になってしまった。これは、かつて世界を二分したソ連を支配したロシア人のプライドを、大きく傷つけただろう。
このことは、EUの拡大とリンクしている。東欧諸国が、バルト三国が、次々とEUに加盟していった。そしてウクライナである。ウクライナの市民は、EUへの加盟を望んで、ロシアのくびきから離れようとしたのだ。ウクライナ市民にとっては、NATOは関係ない。
その前には、グルジア(現ジョージア)問題があった。
2009年、チェコの首都プラハで、東方パートナーシップ政策は始まった。連合協定という形で、EUはどんどん旧ソ連の国々と、結びつきを強めていった。遠い将来には、EUに加盟することを想定して。
冷戦時代、「プラハの春」という自由を求める運動が1968年に起こった。しかしソ連の戦車につぶされた。それから41年が経っていた。
プラハの春は、その前の1956年のハンガリー動乱と異なり、共産主義政権に抗議し、打倒して民主化を果たすといったものではなかった。「人間の顔をした社会主義(共産主義)」を求めるものだった。それでも潰された。
そんな歴史が刻まれたチェコが初めてEUの議長国になったときに進めたのは、東の国々に同じ欧州の仲間となるべく、民主化を促す政策だったのだ。これがチェコの「くにのかたち」なのだろう。
ただしEU側はロシアに対し、これはロシアを脅かすものではなく、共に豊かになり発展していくものであると説明していた。
一方、ロシア側では、今までの外交が通用しなくなっていた。
それまでロシア側の政治家と外交官の頭の中は、欧州は国民国家の集合体だった。つまり大国であるドイツ、フランス、イギリスなどの各国と交渉すれば、外交ができて、欧州に影響力を駆使できると思っていた。何世紀にもわたって行われてきた、伝統的な外交術である。
この方法が、だんだん通用しなくなっていった。EUが政治統合を着実に深めていったからである。各国がバラバラにロシアと対応して行動するのではなく、EUとして行動することが増えていった。
ヨーロッパの側も、甘かった。プーチン政権がクリミアを併合し、ドンバス地方に侵略してもなお、EUと旧ソ連国の経済的な結びつきは、ロシアにも利益をもたらすはずだと論じている識者たちが欧州にいた。
なんという楽観論、なんという甘さだったのだろうか。プーチン政権側では「自国の利益を守る」と決断しての行動だったのに。
それでもまだ、プーチン大統領は、話のわかる人間のフリをしていた。交渉で平和をもたらすフリをしていた。
甘々のヨーロッパ側は、ドンバス地域ではロシアが背後で内戦を仕掛けていることを知っていながら、ロシアが主張する「分離独立派に、我々はどう対応するべきか」という姿勢を信じたフリをして、和平交渉に臨んでいた。
ヨーロッパ側は、牙をオブラートに包みながら、それでも一応ヨーロッパ人らしく表面上はふるまうプーチン大統領と、どのように欧州大陸をロシアと共に築くべきなのか、わからなかったのだろう。
(この問いに答えようとして、マクロン大統領が提唱したのが「欧州政治共同体」である。話がそれるので、別の稿に譲るとする)。
今回のプーチン大統領の、ロシアは「分割して統治」されようとしているという発言。EUの拡大は、結果的にプーチン大統領にそのような感情をもたらしたのかと、胸に訴えてくるものがあった。
ヨーロッパ側に存在するほとんどの旧ソ連国で、特に若者は、西側にあこがれ、民主主義国家のほうを向いている。そして自分たちの国は遅れていると思っている。彼らの「反乱」は、プーチン大統領にとって、ロシアから手足がもぎとられていくように感じたのだろう。
しかし、民主主義化は、歴史の必然である。この政治体制が、ロシアや中国といった領土が広大で、複数の民族を抱える国でどのように機能できるのかという問題はあるものの、西側にあこがれ、民主主義体制を望んでいるのは、人々である、市民である。国は変わらないわけにはいかないのだ。
どのくらい未来のことかはわからないが、ロシアも同様である。
プーチン大統領は、ロシアがそのままではいられないのが、耐えられなかったのだろう。それは、プーチン大統領が若くないからだ。国の大変革には、若い指導者が必要だ。ナポレオンがフランス革命の救世主として第一統領となって権力を握ったとき、彼は30歳だった。プーチンは今、70歳である。
それでもプーチン大統領は、ウクライナがEUに加盟しようとするのを「構わない」と、意に介さないフリをしてみせた。
このことは、プーチン大統領が欧州をあきらめきれない表れだと思う。おそらくプーチン氏自身は、ユーラシア主義に完全には染まっていない。ロシアは歴史的に、欧州の国なのだ。
それに、ユーラシア主義に回帰しようとしまいと、ロシアの西側が欧州と接している地理は変わりようがない。ロシアの国益のために、EUの国々とのつながりを絶つわけにはいかない。EUは欧州大陸をどうするか、話し合わなくてはならない相手なのだ。
だから、やり玉にあがるのは、遠いアメリカでありNATOである。実際に、軍事となれば、脅威となるのはアメリカ=NATOなのだ。
そしてこのことは客観的には、EUという存在が、いかに理解が難しいかを物語っている。
EUは、軍事的統合の方向性は、存在することはするが、まだまだ薄い。ロシアによるクリミア併合とドンバス侵略がこの方向性を深めていったが、欧州の軍事はアメリカを中心としたNATOである。
EUは圧倒的に経済統合の組織としてみられているし、実際にそうである。
冷戦崩壊後、どんどん政治的な統合を深めていった。EUという歴史的に新しい挑戦と存在を、ロシア政府もロシア人もほとんど理解できていないのだろう(おそらく日本人も同様だ)。
そんな状況で、プーチン政権は、ウクライナ戦争で、もっと欧州を揺さぶれると考えていたのではないかと、筆者は疑っている。特にエネルギーを使って、ブルガリアやハンガリーを始めとする主に東欧諸国に、ロシアのほうこそが、EUを分断して揺さぶりをかけ、支配とまではいかないが、影響力を及ぼそうとしていた。
しかし、ほとんど成功していない。ここまでEUが一枚岩となっていることに、プーチン政権は驚いているのではないか。
この戦争で、プーチン政権には二つの大きな誤算があったと思う。
一つはウクライナの首都キーウとドンバス地方を、初期の段階で素早く占領できると思い込んでいた誤算、そしてもう一つの大きな誤算が、EUの結束なのに違いない。
このことがますますプーチン大統領とロシアが孤立感を深めている主な原因の一つなのではないかと考えている。
それでも、なぜ2022年2月にプーチン大統領が戦争を始めたのかは、正確なところはわからないのだ。
大国ドイツのメルケル首相が引退し、プーチン氏にとって、かつての時代を分かち合う指導者は、EU加盟国のリーダーに一人もいなくなった。みんな自分より若い新顔だ。
冷戦終了から、約30年が経った。冷戦時代に分けられた欧州の東西が融合する時代は、EUへの統合で終わったのだ。今問題になっているウクライナは、旧ソ連である。
東西分断の時代を知るがゆえに外交に有利だという時代も、終わろうとしている。
なぜ、あれほど何十年にもわたってヨーロッパ人であろうとし続けたプーチン大統領が、少なくともヨーロッパ人であるフリをし続けたウラジーミルが、なぜこの2022年2月に、「もういい」と言わんばかりに、すべてをかなぐり捨てたかのように、戦争を始めたのか。おそらく、数十年後にならないと、わからないのだろう。
ただ一つ言えることは、ウクライナ戦争は、パックス・アメリカーナの時代における、欧州のものがたりであるということだ。