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レバノン:ヒズブッラー(ヒズボラ)は「損得勘定抜き」の戦いに踏み切るか?

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

 2024年9月22日、20日のイスラエルによるベイルートのダーヒヤ地区への爆撃で死亡したイブラーヒーム・アキール、マフムード・ワフビーらヒズブッラーの幹部の葬儀が行われた。葬儀に参列したヒズブッラーのナイーム・カーシム副書記長は、現下のイスラエルとの紛争について「損得勘定抜きの戦い」の段階に入ったと述べた。カーシム副書記長は、ヒズブッラーの指導部の中では組織論やそれを裏付ける教理教学についての著述で活動する学究肌の人物で、同書記長の言葉はヒズブッラーの戦闘の前線や「抵抗の枢軸」のその他の当事者ではそれぞれの実情に合わせて「翻訳」なり「解釈」なりされて行動に移されることだろう。実際、22日にはヒズブッラーがイスラエルのハイファ周辺の軍需産業施設や空軍基地を今般の紛争では初投入されるロケット弾を用いて砲撃した。また、「イラクのイスラーム抵抗運動」が5件の対イスラエル攻撃を行ったと発表した。この件数は、彼らの攻撃としては最近見られなかった多さだ。「イラクのイスラーム抵抗運動」には、ヒズブッラーとは別の理由でイスラエルを撃たなくてはならない理由がある。

 これまで指摘してきたとおり、イラン、シリア、ヒズブッラー、ハマース、PIJ、イエメンのアンサール・アッラー、イラクやシリアで活動する「イランの民兵」諸派などからなる「抵抗の枢軸」は、イスラエルやアメリカとの対抗上結びついて連合を組んではいる。しかし、「抵抗の枢軸」は統一的な指揮・統制の下に置かれているわけでも、連合を構成する諸当事者が別の当事者のために組織の存亡をかけて立ち上がったりするようなものではない。これは、「抵抗の枢軸」を構成する当事者のいずれもが固有の利害関係や情勢判断に基づいて活動している上、諸当事者の全てがアメリカ・イスラエル陣営と全面対決しても勝ち目がないことを十分承知しているからだ。そうした事情もあり、これまでヒズブッラーはハマースによる「アクサーの大洪水」攻勢を契機とする今般の紛争を、既存の「ルール」の範囲内に制御しようとする対応に終始してきた

 一方、イスラエルの側には「アクサーの大洪水」を奇貨として「抵抗の枢軸」陣営の全部、あるいは少なくとも一部を一掃しようとする気運があった。7月30日のダーヒヤ地区爆撃、9月17日のページャー爆破作戦、18日の無線機爆破作戦、20日のダーヒヤ爆撃のような行動は既存の「ルール」を大きく逸脱して老若男女を問わず民間人もろともヒズブッラーの要員や幹部を多数殺傷しようとするものだ。ヒズブッラーとしては、同党の通信経路の複数が大規模な浸透を受けていること、イスラエルがその気になれば同党の幹部はいつでも暗殺できることという、両陣営の実力の差を見せつけられた形だ。レバノンの政界やアラブ諸国の為政者たちのなかには、ヒズブッラーがイスラエルに一方的にぶちのめされて大損害を被るのを大喜びしている者も少なくない。また、「イスラーム国」やその仲間たちもこの局面でイスラエルやアメリカの手助けをして「抵抗の枢軸」陣営を攻撃しようと思うだろうが、パレスチナで虐げられるムスリム同胞を助ける行動は起こさないだろう。かくして、ヒズブッラーはイスラエルに対してだけでなく、党の構成員や支持者、レバノン政界での対立勢力、陽に影に同党の足を引っ張るアラブ諸国の為政者たち、イスラーム過激派に対しても実力を見せつけて威信や抑止力を回復させることが必須の窮地に追い込まれた。

 ここで出てきたのが、冒頭のカーシム副書記長の「損得勘定抜き」の戦いの段階に入ったとの発言だ。イスラエルが幹部を含むヒズブッラーのものをいつでも殺戮できると示すことにより、恐れをなしたヒズブッラーの幹部が我が身可愛さに譲歩・屈服することを狙っているのならば、ヒズブッラー幹部はそんな損得勘定をしないという決意を表明した形だ。筆者としては、この局面でもヒズブッラーは紛争の強度と範囲を拡大する幅を最小限にする戦い方を選択し続けると考えるが、紛争の強度と範囲の拡大幅の最小をゼロ、最大を100とした場合、ヒズブッラーの選択肢は100に近い方の選択肢の比率がどんどん上がっている状態だ。それでは、ヒズブッラーの幹部らは、本当に「損得勘定抜き」の戦いに突入することができるだろうか。彼らには、2006年7月にヒズブッラーの要員がイスラエルに潜入してイスラエル兵やその遺体を確保した作戦を契機に発生したイスラエルのレバノン攻撃の教訓がある。この戦いは、ヒズブッラーの側にイスラエルの反応を過小評価していたという教訓とともに、犠牲を顧みずに抵抗し続けることにより、ヒズブッラーを嫌ってイスラエルを応援していたレバノン政界の諸派やアラブ諸国の威信を失墜させ、その後のレバノン政局を「抵抗の枢軸」陣営の勝利で運営したという成果も得た。ヒズブッラーが同党の犠牲を厭わずイスラエルと交戦することには、同党とイスラエルとの戦闘をはるかに超える反響があるわけだ。

また、ヒズブッラーの行動を予測する上では、同党が「12イマーム派のシーア派の」党であり、その世界観に基づいて状況を分析・判断することがある点が重要だ。12イマーム派のシーア派にとって、彼らの歴史は権力による不当な弾圧と抑圧の連続だ。弾圧と抑圧の理由は、12イマーム派のシーア派信徒から見れば彼らの信仰と政治的立場の正しさが原因だ。となると、現代でも12イマーム派のシーア派の共同体が周囲の権力や政治勢力から受ける攻撃や抑圧は、本質的には彼らの共同体の「正しさ」こそが原因であり、この「正しさ」故に彼らは攻撃や抑圧に「抵抗」しなくてはならないし、攻撃と抑圧とそれに対する「抵抗」こそが来世での救済に必要不可欠な条件とも言える。要するに、現時点でアメリカ・イスラエル陣営とそれに与する西側諸国(注:ヒズブッラーの表現だと「傲慢勢力」)が強ければ強い程、そこからの攻撃やそこから押し付けられる不正が大きければ大きい程、「信仰」という観点からは12イマーム派のシーア派の少なくとも一部は士気が下がるどころか「燃える」一方となるのだ。ヒズブッラーに本邦報道機関の多くが付する枕詞である「イスラム教シーア派組織の」という変な枕詞が、信仰上の帰属と政治的立場を混同したレッテル貼りでなく、宗教的な信条に基づくヒズブッラーの闘志の源泉を表現したい言葉なら、それは結構秀逸だったりする。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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