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2016 ドラフト候補との対話/その4 森原康平[新日鉄住金広畑]

楊順行スポーツライター
雑誌『ホームラン』毎年恒例のドラフト号が発売になりました

●もりはら・こうへい/投手/1991年12月26日生まれ/184cm83kg/右投左打/近大工学部では1年秋からリーグ戦に登板し、通算23勝でベストナイン2回。社会人2年目の昨年エースに成長し、今季は151キロを計時

○…1991年生まれ、ということは広島カープがリーグ制覇した年。カープはそれ以来の優勝ですねぇ。

森原 広島出身ですから、もちろんファンですよ。ただ、生まれたのは日本シリーズのあとなので、僕にとっては初めての優勝です! その年は、日本一になっているんですか?

○…いや、西武に負けています。

森原 そうですか……もともと、祖父が野球好きでして。野良仕事をしながら野球中継を聞いているわきで、僕は壁当てをしていたし、小学生時代から広島市民球場にもよく見に行っていました。福山から、親に連れて行ってもらって。大学(近大工学部)時代も、休みになったら応援に行っていましたね。

○…それにしても、初めての都市対抗では驚きました。日本新薬の補強として、Honda熊本戦の9回にリリーフすると、いきなり151キロでしょう。そこから2者連続三振含む完璧な締めくくりです。

森原 新薬の岩橋(良知)監督からは、「ストレートが強く、まっすぐだけで勝負できる。抑えとして使いたい」というのが補強の理由と聞いていたので、1回戦はよかったですね。ただ、準々決勝の東京ガス戦が……リリーフで逆転ホームランを浴びたのが申し訳なかった。しかも、8回二死からフォアボールのあとでしたから。

○…大学では3、4年の2年間だけで19勝していますし、選手権も神宮大会も経験しました。ただ社会人1年目は、公式戦ではほとんど投げていませんね。

森原 都市対抗の2次予選で、1試合先発したくらいですか。タマも全然いかず、このままじゃ社会人でやっていけない、と痛感しました。また当時の近畿では、「広畑はエース不在」といわれていたのも悔しくて、2年目はエースになってやる、と思ったんです。それでオフに取り組んだのが、下半身強化でした。もともと大学時代から「もっと下半身を使えば……」という声は聞いていたんですが、それほど重視しなかった。だけど社会人でやってみて、「やっぱり基本は下やな」と思い直したんです。

なかでも、"股割り"。あらかじめ両足を開いて地面につけ、体重移動だけで繰り返しネットにボールを投げるトレーニングですね。けっこうきついんですよ。踏み出し幅は投球時と同じとはいかなくても、9割くらい足を開き、腰が浮かないようにしてまず左、右、そして左と体重移動して投げる。一箱、数にして100くらい投げたら、もう下半身はぱんぱんです。これが強化のいいトレーニングになりましたし、またフォーム固めにも役立ちましたね。球威とコントロールが増して、2年目は初戦を任せてもらえるようになりました。

近畿ナンバーワンになろう、と

○…確かに15年は、京都大会で完封するなど、エースに成長しました。そして3年目の今季は……。

森原 チームではエースになったので、今度は近畿ナンバーワンの存在になろう、と。それにはさらに下半身強化が必要だと思い、股割りに加えてしっかり走ったら、もう一段スピードが上がりました。でも実は、大学まではスピードにこだわりは一切なかったんです。それより、変化球が3、4種あって、コントロールさえよければある程度抑えられると思っていた。だけど下半身強化にともない、社会人になってスピードが10キロアップすると、やはり打者を押し込めるんですね。こんなことなら、もっと早くからスピードを重視していればよかった……(笑)。大学までもトレーニングはしていましたが、どちらかというと故障予防が目的でしたから。

○…野球を始めたときから、ずっとピッチャーですか。

森原 中学まではキャッチャーでした。中2で「ピッチャーをやってみろ」といわれて、高校は三原新二郎さんが赴任する年、山陽高に進みました。

○…三原さんというと、05年の夏に京都外大西で準優勝などをしている名監督。

森原 はい。ぼくらの年代で甲子園出場を狙う、ということで、同期は60人ほど入りました。ですが3年の夏は、僕がエースとして準決勝で如水館に負け、結局甲子園には行けませんでしたね。その高校時代、また大学時代も志望届は出していません。そこまでの選手じゃないと思っていましたから。ただ、大学の全国大会で投げ合った山崎(康晃・DeNA)や近藤(大亮・オリックス)らがプロ入りしていますし、意識はするようになりました。

○…今季は、ミスター社会人ともいえる佐竹功年投手(トヨタ自動車)と、岡山大会で途中まで0対0の投手戦を演じました。

森原 佐竹さんは、めちゃくちゃですよ。0対0とはいっても、内容が全然違う(笑)。VTRで佐竹さんの投球を見ると、たとえば左打者の外からストライクに入ってくるカットボールなど、コントロールが完璧なんです。あのカットを目ざしたいし、ほかにも腕を振ったSSFなどをモノにしたいといま取り組んでいるところです。

○…佐竹さんといえば33歳ながら、われわれだけではなく、社会人の監督までもが「1年だけプロでやらせてみたい」というほど、完成した投手です。そこに近づけば、プロでも通じるのではないですか。

森原 それが広島だったら、最高ですね。ただ広島は、ピッチャーがたくさんいるからなぁ(笑)。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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