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第二次世界大戦に従軍した唯一のクマ、ヴォイテク

華盛頓Webライター
credit:unsplash

歴史に名を残した動物は数多くいますが、その多くが悪名です。

しかし悪名という形ではなく、兵士として名前を残した動物はほんのごくわずかでしょう。

今回は戦火の中を駆け抜けた奇妙な「兵士」について紹介していきます。

ポーランド軍の伍長になったクマ

1942年、イランの小さな村で少年が出会ったのは、親を猟師に奪われた、か弱いヒグマの赤ん坊でした。

少年は缶詰の肉と引き換えにこのクマをポーランド人難民に譲り、その後、なんとポーランド陸軍の保護を受けることになります

クマは「ヴォイテク」と名づけられ、空のウォッカ瓶に入れられたコンデンスミルクをすすりながら成長を遂げました。

名前の意味は「戦士」、つまり「戦うことを楽しむ者」。

愛らしい姿と屈強な名が見事に重なり合ったそのクマは、やがて軍の「一員」としての役割を担う運命を歩み出します

ポーランド陸軍第22弾薬補給中隊の「マスコット」として、兵士たちとのレスリングや敬礼を覚えたヴォイテクは、たちまち隊の人気者となります

ところが、イタリアへと向かう輸送船では動物の同伴が禁じられていたため、なんと「伍長」として正式に徴兵され、軍籍を取得したのです。

軍服を身にまとい、他の兵士と同じくビールやタバコを楽しみ、兵士たちの仲間意識を深めていきました

中でも語り継がれているのは、1944年のモンテ・カッシーノ戦における姿です。

悪路をものともせず、弾薬箱を運び続けたヴォイテクの姿は、兵士たちの士気を鼓舞したのです。

後にこの武勇伝を象徴する「砲弾を持つクマ」の紋章が、第22輸送中隊のシンボルとして採用されるまでに至ったのです。

戦後、スコットランドに移されたヴォイテクは、村人たちの愛される存在となり、名誉ある「文化協会会員」となりました。

しかし時が流れ、1947年にはエディンバラ動物園に預けられます

そこでも彼の存在は多くの人々に愛されたものの、投げ与えられたタバコに火を点ける兵士がいなかったため、やむを得ず「食べる」しかなかったとのことです。

1963年、ヴォイテクは22歳の生涯を閉じたものの、その足跡はクラクフやエディンバラなどに石板や銅像として残されています。

奇妙な戦士の物語は、後世にも語り継がれていくでしょう。

参考文献

Wiesław Antoni Lasocki; Geoffrey Morgan (1970). Soldier Bear. Glasgow: HarperCollins

Webライター

歴史能力検定2級の華盛頓です。以前の大学では経済史と経済学史を学んでおり、現在は別の大学で考古学と西洋史を学んでいます。面白くてわかりやすい記事を執筆していきます。

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