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コロナ禍を戦う元全日空CAの若女将に訊いた 温泉宿を変えた「プロの接客術」

山崎まゆみ観光ジャーナリスト/跡見学園女子大学兼任講師(観光温泉学)
元全日空CAでソムリエの資格を持つ“ソムリエ女将”(写真・山芳園より提供)

とうとう東京も、3回目の緊急事態宣言が発令される。コロナ蔓延は止まるところを知らないが、旅館業界にとって、春の大型連休は一年の中でも、大切な稼ぎ時である。

大型連休直前、関東近郊の温泉女将は何を思っているのだろう――。

貸切露天風呂(写真・山芳園より提供)
貸切露天風呂(写真・山芳園より提供)

『女将は見た 温泉旅館の表と裏』(文春文庫)にも取材協力してもらった静岡県西伊豆の秘湯・桜田温泉山芳園の吉田広美さんに心境を訊ねると、「今回の緊急事態宣言期間中は、従業員の満足度を上げるために業務を見直したいと思っています。従業員が希望する業務内容や勤務日数、またユニフォームを新調するためにも、従業員の声を聞く機会にしたいです」と動じる様子はない。

連休の予約状況を聞くと「感染症予防対策のために10室中で4室まで予約を取っています。現時点(4月22日)では、キャンセルは無く、ご予約で満室です」。

山芳園は、地中から湧きだした新鮮な温泉を空気に触れさせずに湯船に注ぐという独自のシステムを社長が開発したほど、源泉にこだわっている。そんな山芳園はコロナ禍の最中でも、コアなファンに支えられている。

生まれたてのお湯にはパンチがあり、温泉の概念を覆す。一度入れば確実にファンになる(写真・山芳園より提供)
生まれたてのお湯にはパンチがあり、温泉の概念を覆す。一度入れば確実にファンになる(写真・山芳園より提供)

「宿は非日常のお手伝い、オンラインショップは日常のお手伝い」

コロナ禍だからこそ、吉田さんが時間をかけて取り組んでいるのは「桜田温泉オンラインショップ」だ。元々、こだわりの源泉を販売するオンラインショップを開いていたが、目覚ましい稼動はなかった。昨年、最初に発令された緊急事態宣言中に、吉田さんはオンラインショップをリニューアルした。昨年の今頃、「コロナに関わらず、様々な理由で温泉地に出かけられないお客様もいると思いますので、“宿は非日常のお手伝い、オンラインショップは日常のお手伝い”をさせて頂きたいです」と話していた。

その後も、オンラインショップは充実し、「昨年5月18日には惣菜販売の営業許可を取得しましたので、宿でしか提供できなかった料理を宅配でお届けできるようになりました。宿で食べた味をご自宅で楽しんでいただいたり、ギフトの贈り物としてご利用いただいたり、宿泊以外にも、楽しんでいただける選択肢が広がったと思います。オンラインショップの売り上げは、旬の農産物や惣菜出品時期は月に30万円程、1年間で平均すると毎月10万~15万円程です」(広美さん)

何より、山芳園を定宿にしているお客のSNSは、自宅で山芳園の味を楽しむ投稿が目立つ。「桜葉パテ」「桜葉アヒージョ風」「おうちde金目鯛姿煮」等を取り寄せ、嬉しそうに食卓の写真を載せている。

コロナ禍において、リピーターがいる宿が強いのは周知の事実であり、広美さんは着実にファンビジネスを成功させている。

オンラインショップでも人気のツナのパテ(写真・山芳園より提供)
オンラインショップでも人気のツナのパテ(写真・山芳園より提供)

桜田温泉YouTubeチャンネルの視聴数が伸び続けているのも、広美さんの工夫の成果。緊急事態宣言発令でもし時間が取れたら、「オンラインショップの管理やワインや日本酒メニューリストをリニューアル、客室紹介のYouTube動画編集作業もしたいので、腰を据えてPCと向き合います」と、どこまでも前向きだ。

「素朴」と「洗練」の共演

そもそも山芳園は、冒頭で記したようにこだわりのお湯だけでなく、創業当初から里山農業でしいたけを原木で栽培していたり、現在はニューサマーオレンジと、有機農法の米栽培に力を入れたりと、お湯以外にもこだわる要素がいくつもあって、チェックアウトで宿泊料金を支払う時に、決して高いと思わせない宿だった。

この優れた「素材」と「素朴さ」がウリだった秘湯の宿に、全日空CAだった広美さんが嫁いだのは、2013年――。機上で培った「洗練されたもてなし」を宿に加えていった。

「指先に〝おもてなし”の気持ちを表します」

料理にあう地元伊豆産のワインを紹介してくれる。日本の資格も習得し、日本酒の案内にも力をいれる(写真・山芳園より提供)
料理にあう地元伊豆産のワインを紹介してくれる。日本の資格も習得し、日本酒の案内にも力をいれる(写真・山芳園より提供)

スラリと背筋が伸びた立ち姿の広美さんは、かつて全日空のCAだった頃を彷彿とさせる。女将定番の和装ではなく、シックな装いにエプロンにはソムリエバッチが光る。

広美さんにもてなしの心得を聞くと、いくつもの極意を教えてくれたが、もっともハッとさせられたのは「指先に〝おもてなし”の気持ちを表します」という言葉だ。

「人は指先など先端に視線がいきますので、『指先を揃える』ことを徹底しております。指先を揃えてご案内し、指先を揃えてお料理をお出しするなど、意識して揃えると丁寧な印象になります。また、『揃っている』というのは心地よいもので、足のつま先と膝の方向を揃える、髪の毛先を揃えるといった身だしなみや、靴を揃える、スリッパを揃える、ロゴや柄のあるものはロゴや柄を揃えるといった、提供する品についても『お客様がご覧になって心地よい気持ちになれること』を心がけております。ホスピタリティ業においては、自分がこう見られたい、ということ以上に、相手に心地よい気持ちになっていただきたい、ということが大切です。お客様が『丁寧に接してくれている』という印象を持ってくださると、その後、心地よく気分よくお過ごしになります」

広美さんは、こうも言う。

「視線がいく先端といえば顔、とりわけ『笑顔』ですが、『指先から気持ちを伝える』ことも笑顔と同じくらい大切にしております

機内でCAとして、乗客と近い距離でサービスを積み重ねてきたからこそのこだわり。温泉旅館には、これまでなかった発想かもしれない。広美さんが嫁ぐ前から山芳園を知る私としては、広美さんが宿に新たな魅力を加えたのだと実感する。極上の秘湯の宿に流れる空気が確実に、良い意味で変わった。

最後にコロナ禍への想いを聞くと、「緊急事態宣言に限らず、状況に応じて出来る事に取り組み、日々やるべき課題と向き合うようにしています。ピンチはチャンスと思っています」。コロナに負けていない広美さんのこれからの仕事ぶりが楽しみだ。

観光ジャーナリスト/跡見学園女子大学兼任講師(観光温泉学)

新潟県長岡市生まれ。世界33か国の温泉を訪ね、日本の温泉文化の魅力を国内外に伝えている。NHKラジオ深夜便(毎月第4水曜)に出演中。国や地方自治体の観光政策会議に多数参画。VISIT JAPAN大使(観光庁任命)としてインバウンドを推進。「高齢者や身体の不自由な人にこそ温泉」を提唱しバリアフリー温泉を積極的に取材・紹介。『行ってみようよ!親孝行温泉』(昭文社)『女将は見た 温泉旅館の表と裏』(文春文庫)『宿帳が語る昭和100年 温泉で素顔を見せたあの人』(潮出版社)温泉にまつわる「食」エッセイ『温泉ごはん 旅はおいしい!』の続刊『ひとり温泉 おいしいごはん』(河出文庫)が2024年9月に発売

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