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ヘンリー王子とマークルさんの結婚式直前、挙式が行われるウィンザー城周辺はどんな感じ?当日の予定は?

小林恭子ジャーナリスト
ヘンリー王子とマークルさんの結婚が近づく。一足先にレゴが完成(写真:ロイター/アフロ)

 英国のヘンリー王子とメーガン・マークルさんの結婚まで、いよいよあと数日となった。

 19日の挙式から1週間前の土曜日となる12日、筆者はウィンザー城と周辺の商店街に足を運んでみた。

 ウィンザー城を訪ねるには、ロンドンの中心部から行く場合、まずパディントン駅からグレートウェスタン鉄道でスラウ(Slough)駅まで電車に乗る。スラウから1駅でウィンザー&イートン・セントラル駅へ。このほかに、ウオータールー駅からサウスウェスタン鉄道でウィンザー&イートン・リバーサイド駅に行く方法もある。

 筆者は、前者の方法で行ってみることにした。電車に乗ったのは曇り空の日だったが、午前10時過ぎ、スラウからウィンザー&イートン・セントラル駅までの電車はかなり混んでいた。子供連れの人も多い。筆者のように、「結婚式の前に一目見たい」という人が多いのだろう。

 電車がウィンザー&イートン・セントラル駅に到着し、プラットフォームに降りると、「お知らせ」の掲示板が置かれていた。これによると、19日には数千の規模の人がやってくる見込みで、城内に入るには地元警察による入念なチェックがあるため、時間の余裕をもって来てほしい、ということだった。

プラットフォームにあった「お知らせ」。数千人規模で訪問者がやってくると予想(筆者撮影)
プラットフォームにあった「お知らせ」。数千人規模で訪問者がやってくると予想(筆者撮影)
駅のお土産屋はヘンリー王子とマークルさんのグッズで一杯(筆者撮影)
駅のお土産屋はヘンリー王子とマークルさんのグッズで一杯(筆者撮影)

 駅を出てから、城に向かう人々の後ろについて歩いていった。

 ウィンザー城に入るためのチケットを買うために並ぶ人々の列があり、筆者も並んでみた。こちらの列にいる人は少しずつ前進していたが、道の両端に並び、動かない人々もいた。「?」と思っていたが、しばらくすると歓声が聞こえた。午前11時は衛兵の交代の時間で、道の両側にいた人たちはこれを見ることが目的だったのだ。

午前11時の衛兵交代の儀式を見逃した(筆者撮影)
午前11時の衛兵交代の儀式を見逃した(筆者撮影)

 チケットを買って、空港の検査体制並みに厳しい検査を経て、ようやく城内の探索に向かう。列に並んだ時からここまで来るのに、1時間以上かかってしまった。

チケットを得て中に入ると、すぐに見えてくる光景(筆者撮影)
チケットを得て中に入ると、すぐに見えてくる光景(筆者撮影)
芝生部分は野外パーティー用のテントが準備されていた(筆者撮影)
芝生部分は野外パーティー用のテントが準備されていた(筆者撮影)

 敷地内に入ると、結婚式に向けた準備があちこちで進んでいた。芝生の一部に野外パーティー用のテントができており、テレビ局が放送用の太いケーブルをセッティングしていた。

兵士がここから外敵に銃を放った(筆者撮影)
兵士がここから外敵に銃を放った(筆者撮影)

 ウィンザー城には他の観光地同様に音声で城内の説明を聞くための携帯器具が用意されており、筆者は日本語版を借りたが、これが1人で歩き回るのに非常に都合が良い。スマホ形式になっていて、画面上で聞きたい部分をタッチしながら説明を聞き、ウィンザー城の過去と現在を学ぶことが出来た。

ウィンザー城とは

「ウィンザー城」は、英国ではどんな位置にあるのだろうか。

 英王室の宮殿の中で、最も有名なのはバッキンガム宮殿。これはエリザベス女王の公邸で、原則、月曜から金曜まで女王はここにいる。ウィンザー城は週末を過ごす公邸だ。ロンドンの中心部から西34キロメートルの位置にある。

 元々は、11世紀にウィリアム1世が作った砦だった。それがその後何世紀もの間に石造りの建造物として建設され、時には一部が取り壊されたり、再建されたりして現在に至っている。

 城内は上郭(アッパー・ウォード)、中郭(ミドル・ウォード)、下郭(ロー・ウォード)の3つの部分に分けられる。

 約4万5000平方メートルの床面積を持ち、部屋数は951。公式晩さん会が開催される聖ジョージ・ホールには最大で160人の席を設けることが可能だという。

 一般市民に公開されるようになったのは1840年代、ビクトリア女王の時代だ。19世紀後半までに年間約6万人の見学者が訪れるようになった。1830年代後半にグレートウェスタン鉄道が開通し、ウィンザーはロンドンから日帰りできる距離となったため、1842年からは女王自身もロンドンとウィンザーの行き来に鉄道を利用し始めるようになった。

 ウィンザー城と言えば、1992年の火災を思い出す方もいらっしゃるかもしれない。

 音声によるガイドは、どこが火災の被害に遭ったのかを教えてくれるが、その1つは「ステート・アパートメント」の中にある、「接待の大広間(グランド・レセプション・ルーム)」だ。漆喰の天井が焼け落ち、壁が著しく損傷を受けた。水の被害も受け、シャンデリアも破損した。

 室内には、大きな緑色の壺(「クジャク石の壺」)が置かれている。1839年にロシア皇帝ニコライ1世からビクトリア女王に送られたもので、重さは200キロはあるという。火災時、消火に使った水がお湯となって中を満たし、クジャク石張りの表面の大部分がはげ落ちた。その修復には時間がかかったが、今ではなんの被害もなかったかのような姿になっている。

 室内の金箔は一新され、ピカピカだ。床は寄せ木細工でできており、火災で焦げてしまった。そこでどうしたかというと、焦げた部分の板をひっくり返してはめ込んだという。

聖ジョージ礼拝堂とは

 ヘンリー王子とマークルさんの挙式が行われるのが、聖ジョージ礼拝堂。

 中の撮影は許されていないが、見どころの一つは支柱が床から天井に扇形に延びる内装だ。天井の装飾が良く見えるように、鏡も置かれている。

 ここにはエリザベス女王の祖父母にあたるジョージ5世、メアリー王妃の記念碑があり、両親ジョージ6世とエリザベス皇太后、それに妹のマーガレット王女の遺体もここに収納されている。

 礼拝堂はヘンリー王子が洗礼を受けた場所であり、復活祭(イースター)のミサには王室一家が参加する場所でもある。王子にとっては、新しい家族の一員を迎えるためにもっともふさわしい場所だったに違いない。

聖ジョージ礼拝堂の外観(筆者撮影)
聖ジョージ礼拝堂の外観(筆者撮影)
聖ジョージ礼拝堂のこの入り口から参列者が入る模様(筆者撮影)
聖ジョージ礼拝堂のこの入り口から参列者が入る模様(筆者撮影)
礼拝堂から出てきた時に目に入る光景(筆者撮影)
礼拝堂から出てきた時に目に入る光景(筆者撮影)

 城内の見学を終えて外に出る前にお土産屋に寄ってみると、ヘンリー王子とマークルさんの結婚を祝う様々なお土産のコーナーがあった。

城内のお土産屋にも洗練された記念のお土産が一杯(筆者撮影)
城内のお土産屋にも洗練された記念のお土産が一杯(筆者撮影)

 

 結婚式の当日は開いているのかと聞いてみると、店員は「閉まっている。水曜日から休みになるわ。準備がものすごく、大変だから」という。結婚式の翌日(日曜日)も休みになるという。

 最後に、衛兵の動きを見る機会があった。数歩歩いて「カチリ」と足を合わせて方向を変え、歩く。その後にまた「カチリ」とやって、逆の方向に歩き出す。これを数回繰り返した。最後まで見ていたのは筆者だけだったので、「グッド・ワーク!」と声をかけてみた。チラリとこちらを見てくれた。

衛兵の動きをやっとキャッチ(筆者撮影)
衛兵の動きをやっとキャッチ(筆者撮影)
最後の姿(筆者撮影)
最後の姿(筆者撮影)

街の様子は

 

 ウィンザー城を出て、改めて後ろを振り返る。チケット売り場に続く道には頑丈な防御壁が作られており、不審な人が警備の目を逃れて敷地に入らないような工夫がされていた。

城の外側には頑丈な防御壁が(筆者撮影)
城の外側には頑丈な防御壁が(筆者撮影)

 城の向かい側にある商店街には旗がひらめく。商店街の真向かいにはビクトリア女王の像が立っている。

商店街に向かって立つ、ビクトリア女王の姿(筆者撮影)
商店街に向かって立つ、ビクトリア女王の姿(筆者撮影)
雨降りの中、商店街を訪れる人々(筆者撮影)
雨降りの中、商店街を訪れる人々(筆者撮影)

 商店街のあちこちは、結婚を祝う飾り付けで一杯だった。

商店街の八百屋にヘンリー王子とマークルさん(筆者撮影)
商店街の八百屋にヘンリー王子とマークルさん(筆者撮影)
文房具店の軒先に立つ、あの2人の看板(筆者撮影)
文房具店の軒先に立つ、あの2人の看板(筆者撮影)

当日の予定

 19日はどのような予定で進んでいくのだろうか。

 午前9時半から11時までの間に、挙式の一般参列者が「サウスゲイト」の入り口から聖ジョージ礼拝堂に入る。

 午前11時20分。王室のメンバーが「ガリレー・ポーチ」と呼ばれる、礼拝堂の東の端に集まる。

 午前11時45分。ヘンリー王子と兄のウィリアム王子(ケンブリッジ公爵)が聖ジョージ礼拝堂の「ウェスト・ステップス」(西側階段)に到着する。敷地内に招待された一般市民約1200人とウィンザー城の職員などが並ぶ中を通って、ここまでやってくるかもしれない。

 11時55分。エリザベス女王がガリレー・ポーチにいる他の王室のメンバーに加わる。

 11時59分。マークルさんが花嫁付添人等と共にウェスト・ステップスに車で到着。ここに来るまでに、マークルさんと母親ドリア・ラグランドさんを乗せた車はウィンザーの「ロング・ウォーク」と呼ばれる道を通ってくる見込み。車がお城についた時点で母が車から降り、代わりに花嫁付添人たちが乗る。ラグランドさんはガリレー・ポーチから礼拝堂に入る。同じ頃、マークルさんの父トーマス・マークルさんが礼拝堂に入り、挙式の前に娘の姿を見る機会が設けられる。(補足:15日時点で、父親は出席しない可能性が出てきた。)

 正午。カンタベリー大司教、ウィンザー城の首席司祭、約600人の参列者を入れた挙式の儀式が始まる。メイ首相やコービン労働党党首は招待されていないという。

 この参列者のほかに、「ゲスト」の一般市民とウィンザー城の職員らの合計約2000人が敷地内に入っており、聖ジョージ礼拝堂への2人の出入りを生で見ることが出来る。

 午後1時。儀式が終了。ヘンリー王子とマークルさんがウェスト・ステップに姿を見せる。

 1時5分。2人は、フロントシート部は屋根付きで、リアシート部分だけがオープントップになっている乗用車「アスコット・ランドーレット」に乗り込み、商店街、シート・ストリート、キングス・ロード、アルバート・ロード、ロング・ウォークを通り抜ける。所要時間は25分を想定。

 1時半過ぎ。式の参列者600人はエリザベス女王主催の聖ジョージ・ホールでの祝宴を楽しむ。ヘンリー王子とマークルさんも後、参加。マークルさんはこの時に、スピーチをするとも言われている。

 結婚式のケーキは米カリフォルニア生まれのクレア・プタクさんが作るもので、レモンとエルダーフラワーを使うという。

 花はロンドンで生花店を経営するフィリッパ・クラドックさんが担当。

 公式写真家はヘンリー王子とマークルさんの婚約発表の際の写真を撮った、英国生まれで米国に住むアレクシー・ルボミルスキー氏。

 3時半。ゲストが聖ジョージ・ホールを去る。

 7時。チャールズ皇太子主催の晩さん会がウィンザー城から1-2キロの距離にあるフログモア・ハウスで開催され、ヘンリー王子、マークルさん、先の600人にさらに200人(人気グループ「スパイス・ガールズ」の元メンバーを含む)を加えたゲストが集まる。

 結婚式にかかわる費用は、すべて英王室が負担する。

 ハネムーンがどこになるかは公表されていないが、結婚から1週間後には新たな王室のカップルとして、公式業務を開始するという。

一目見ようと巨額を払う人たちも?

 結婚したばかりの王子とマークルさんに声援を送りたい、その姿を目にしたいと思うのは、誰でも同じだろう。

 5月12日付のデイリー・テレグラフ紙は、「スリー・タンズ」というパブが「ザ・プリンス・ハリー」(ハリーとはヘンリー王子の愛称)と名前を変えるとリポートしている。近隣のホテルの部屋はメディアの間で取り合いとなり、一晩600ポンド(約8万8000円)、あるいは1700ポンド(約25万円)にまで値上げしたという噂話が紹介されている。

 当日、ウィンザーはごった返しそうだ。それでも、生の姿を見たい、興奮を共有したい人はウィンザーに向かうだろう。

 多くの国民は、当日はテレビの生放送を視聴しながらソーシャルメディアで情報を共有しあい、翌日は新聞で大々的に報道される記事を読んだり、カメラマンが競って撮影した写真をじっくりと眺めたり・・・ということになりそうだ。同時に、「マークルさん効果」で、マークルさんが身に着けたウェディングドレスや指輪、結婚式で使われた花、ケーキへの注文も殺到するに違いない。

***

参考

Royal wedding 2018: Prince Harry and Meghan Markle's plans

ジャーナリスト

英国を中心に欧州各国の社会・経済・政治事情を執筆。最新刊『なぜBBCだけが伝えられるのか 民意、戦争、王室からジャニーズまで』(光文社新書)、既刊中公新書ラクレ『英国公文書の世界史 -一次資料の宝石箱』。本連載「英国メディアを読み解く」(「英国ニュースダイジェスト」)、「欧州事情」(「メディア展望」)、「最新メディア事情」(「GALAC])ほか多数。著書『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)、『英国メディア史』(中央公論新社)、『日本人が知らないウィキリークス』(洋泉社)、共訳書『チャーチル・ファクター』(プレジデント社)。

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