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無期懲役で服役中の「日野不倫殺人事件」北村有紀恵受刑者に面会した

篠田博之月刊『創』編集長
逮捕を報じた新聞記事(1994年2月7日付毎日新聞)

 2018年5月9日、無期懲役で服役中の「日野不倫殺人事件」北村有紀恵受刑者に面会した。事件は1993年に起きたものだ。彼女が不倫相手の男性に裏切られ、家に放火して、幼い子ども2人を焼死させることになった。ベストセラーになった「八日目の蝉」のモデルとなった事件としても知られている。

 彼女は自分の罪を当初から認めていたが、子どもたちに対する殺意を認定されたことに納得せず、子どもたちを殺害する意図はなかったとして最高裁まで争った。しかし殺意を認定した無期懲役の1審判決はそのまま確定し、服役して16年、逮捕されてからもう24年も獄中生活を送っている。

 この事件と北村受刑者については、1年前にヤフーニュースに記事を書いた。事件の経緯などはそちらを参照していただきたい。

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20170707-00073039/

「日野不倫殺人事件」北村有紀恵受刑者をめぐる24年目の新展開

 そのもととなった月刊『創』2017年8月号に掲載した記事も全文を下記に公開している。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180510-00010000-tsukuru-soci&p=1

 有紀恵さんは刑が確定する前に『創』に手記を書いており、私は彼女がまだ東京拘置所にいた時代に何度か面会していた。しかし、刑務所に移ってからは今回が初めてだ。手紙のやりとりはずっとしていたので実は以前、面会を申し込んだこともあるのだが、刑務所側に不許可とされた。以前は家族と弁護人以外の「知人」にも面会を認めていた時期もあり、彼女が入信したキリスト教関係者なども面会していたのだが、今は厳しくなって「知人」は基本的に面会が認められていない。

 だから今回、私の面会が認められたことはひとつの意味を持っているといえる。そのことについてここに書いてみたい。

 昨年ヤフーニュースに書いた記事に「24年目の新展開」とタイトルをつけた「新展開」の意味とは、彼女に古畑恒雄さんという強力な弁護士が就き、仮釈放へ向けて具体的な動きが始まったということだった。現在、無期懲役受刑者の仮釈放は30年過ぎないと難しいと言われている。以前は20年だったのだが、重罰化の流れの中で2005年に有期刑の最長期が30年に引き上げられたのを機に30年になった。

 この10年の違いの意味は実はかなり大きい。一定年齢を超えて犯罪を犯した者は刑務所で一生を終えるケースが増えたし、仮釈放されても身寄りはいないケースが増えた。

 無期懲役受刑者の仮釈放というのは、人間は罪を償い更生することが可能だという考え方に基づいているのだが、その趣旨が現実には生かされないことになってしまったのだった。ちなみに有紀恵さんは逮捕されてからは24年になるのだが、最高裁まで争ったために刑務所の服役期間は16年。30年までにはあと14年もある。80代後半の高齢の両親を含め、仮釈放となっても14年後には帰る家もなくなっている可能性がある。

 両親のもとへ帰りたいという思いが断たれてしまえば、それをめざして生きる希望もなくなってしまう。罪を償うことは生きる希望があってこそだし、古畑弁護士ともその点で意見が一致した。日弁連も、無期懲役受刑者の仮釈放については現状を変えることに取り組みを行いつつある。私もそのためにできることをやってみようと思ったのが、昨年記事を書いたきっかけだった。制度を変え、現実を動かすというのが大変なことであるのはわかっているが、一歩ずつでもその取り組みをしない限り、永遠に現実は変わらない。

 実はその刑務所とは、以前、これも『創』に手記を書いていた放火事件の「くまぇり」が服役していたところだった。「くまぇり」には何度も面会し、ヤフーニュースにその報告も書いた。

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20150710-00047417/

連続放火事件で服役中のくまぇりに8年ぶりに面会した

 だから有紀恵さんにも面会可能だと思って以前試みたのだが、予想外の不許可だった。やはり有期刑と無期懲役では刑務所の認識が違うらしい。何が一番の違いかと言うと、私は「仮釈放後についての相談」という理由で面会を申請するのだが、その「仮釈放」の具体性・現実性が、有期刑と無期懲役では違うということなのだろう。

 それではなぜ今回、許可されたかといえば、有紀恵さんと仮釈放後の身元をめぐって書類を交わしたり、古畑弁護士からも刑務所に文書を送ってもらったり、この間、幾つかの試みを行ったためだ。だから今回、面会できたのは一歩前進と言ってよいかもしれない。もっとも実際の仮釈放実現にとってそれがその程度の一歩なのかはわからないが。

 許可された面会時間は30分以内だった。制限付きの面会だったため、例えば彼女の健康状態を尋ねた時にも、立ち合いの係官が「それは仮釈放の雇用とどういう関係があるのですか」と割って入るという具合で、落ち着いた話ができる状態ではなかった。手紙のやりとりは認められ、比較的自由な内容が書けているので、面会だけをそんなふうに制限することの意味はわからないのだが、面会は事前検閲できないリアルタイムのコミュニケーションだからという理由なのだろう。

 それでも有紀恵さんとはいろいろな話をした。彼女は東京拘置所にいた頃は、社会科学を勉強したいと大学の通信教育に申し込んだり、いろいろなことに前向きに取り組んでいた。面会で話したのは、仮釈放をあきらめずに、以前のように生きることに前向きになってほしいということと、同時に「罪を償う」「罪と向き合う」とはどういうことなのか考えてほしいということだった。

 仮釈放というのは、物理的な手続きの問題なのではなく、「罪を償う」とはどういうことなのかという洞察をどれだけできるのか、それが刑務所や、さらに「社会」にどのくらい認められるかを抜きにしてはありえないように思う。

 昨年、ヤフーニュースなどに彼女の事件についての経緯と仮釈放についての記事を公開した時、大きな反響とともにいろいろなコメントがつけられた。『創』編集部あてにいろいろな方から手紙やメールも届いた。自分も不倫相手の男性からこの事件と同じような仕打ちを受け、他人事とは思えなかったと書いてきた女性も少なくなかった。

 しかし、大多数の意見は、子どもを2人も殺害しておいて仮釈放を望むとは何事かというものだった。不倫相手の男性を殺害したというならまだ同情の余地はあるが、罪もない子どもを死なせたのは許せないという意見が多かった。これは確かに納得できる意見だと思う。

 実際に有紀恵さんもそのことは理解しており、『創』2002年3月号の手記にもこう書いていた。

《私は、刑を受けることにはなんの不満もありません。結果を見れば当然ですし、事件を起こす前から、中絶をしたことで私は死刑になっても当然だという深い罪悪感を持っていました。事件によってたくさんの方にご迷惑をおかけし、辛い思いをさせました。無論、無実でもありません。ですから刑を受けることには不満はないのです》

 死刑となっても仕方ないという反省を行うのは理解できるが、刑務所で生涯を終え獄死することが罪を償うことになるのかどうかについては、私自身懐疑的だ。これまでも多くの死刑囚とつきあってきて、いろいろなことを考えさせられた。例えば奈良女児殺害事件の小林薫死刑囚(既に執行)のように、本人は生きることに未練はないと言って自ら死刑を望んだ者が死刑になった後も、被害者遺族はいまだに苦しんでいるといったケースもある。

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20161117-00064547/

 小林死刑囚にとって「罪を償う」とは自ら望んでいたように死んでしまうこととは違うのではないかと、私は彼の死刑確定までつきあう過程でもずっと感じてきた。

 

 だから有紀恵さんについても、物理的に仮釈放への手続きを進めるのでなく、それを通じて2人の罪のない子どもを死なせてしまったことを含めて、罪を償うとはどういうことなのか考えていってほしいと思う。

 前回の記事で、彼女の両親や妹などの家族が事件後、どんなにつらい目にあってきたかも詳しく書いた。有紀恵さんとも家族ともこれからも交流を続け、「罪を償う」とはどういうことなのか、一緒に考えていこうと思う。そして記事を読んだ人にも一緒に考えてほしいと思う。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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