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「NBA最年少MVP」の引退

林壮一ノンフィクション作家/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属
撮影:筆者

 ひとつの時代が終わりを告げた。

 2011年にNBA史上、最年少の22歳でMVPを受賞したデリク・ローズが引退を表明した。現地時間、9月26日のことである。

撮影:筆者
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 昨年12月29日、ローズはメンフィス・グリズリーズの一員として、ロスアンジェルス・クリッパーズのホーム、Crypto.comアリーナにやってきた。Tip Off前は、両チームの選手たちが、思い思いにウォーミングアップを重ねる。やがて開場時間となり、ファンが客席に着き始めた。

 クリッパーズとグリズリーズがコートを半々に使いながら、各々がシュート練習を繰り返す。ある程度のメニューをこなすと、それぞれ控え室に消えていった。

撮影:筆者
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 グリズリーズの主力選手たちが引き上げたTip Offの67分前、ベンチ外だったローズがコートに入ってきた。かつてのMVPはコートの5カ所から何度もシュートを放った。

 そして、水色のトレーニングウェアが汗で染まると、上半身裸になり、自軍のエンドラインから、敵チームのエンドラインまで走る。途中でキャリオカステップ、バックステップ、サイドステップを交えながら、8本×2セットをこなした。それぞれを終えると、腹筋運動、サイドプランクを行いロッカールームに消えた。

撮影:筆者
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 筆者は2009年からNBAの現場に出ているが、ファンの前でボールを使わずに自身を追い込むスター選手を目にしたのは、この時が初めてだった。とはいえ、ローズは鬼気迫る様子でもなく、淡々と、敢えて述べるなら爽やかにメニューをこなしていた。

撮影:筆者
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 MVPを獲得した翌年のプレイオフに左膝前十字靭帯断裂、2013年に右膝半月板損傷、2015年にも右膝半月板部分損傷と、ローズのキャリアはケガとの戦いでもあった。デビューから8年在籍したシカゴ・ブルズでは、256試合に欠場。最初の故障から9年間で、4度メスを入れた。

写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ

 絶対的存在でなくなったローズは、ニューヨーク・ニックス、クリーブランド・キャバリアーズ、ミネソタ・ティンバーウルブズ、デトロイト・ピストンズ、グリズリーズと渡り歩く。そんな日々を送りながらも、2018年10月31日、ローズはキャリアハイとなる1試合で50得点を挙げ、復活をアピールした。

 試合後、彼は涙ぐみながら「死ぬほど練習しました。チームの為、ファンの為にやって来た結果です。あなた方無しでは、私はプレーできません」とコメントした。

撮影:筆者
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 2020年2月23日、筆者はローズをインタビューした。

 彼は「このところ、頭を使ったプレーをしている実感があるんです。与えられた仕事を確実にこなしていきます。私は終わっていない。自分自身を創り上げている最中です。先のことは考えずに“今”この瞬間に全力を尽くします」と語った。

撮影:筆者
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 昨年末、Crypto.comアリーナで黙々と己の作業を続けるローズを目にしながら、その言葉が蘇った。そして今、思い起こすのは、彼の人間としての姿である。

 Too BIG(存在自体が大き過ぎ)、Too Strong(強過ぎ)、Too Fast(速過ぎ)、Too Good(良過ぎる)ーーと評された男は、NBAに確かな爪痕を残し、コートを去った。

ノンフィクション作家/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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