「人を包み込んだり、巻き込んだりできる場所をつくりたかった」京都で話題の「春巻がめっちゃおいしい店」
叡山(えいざん)電鉄「修学院」駅を降り、東へ徒歩わずか。ここに「春巻スタンド ラップ&ロール」があります。文字通り「春巻」が名物の軽食店。「春巻がさっくさくで、めっちゃおいしい」「春巻の固定観念をくつがえす未経験の味」と評判です。先ごろオープン5周年を迎えました。
店内は、サードウェーブ系のコーヒースタンドを思わせる、清潔でおしゃれな造り。ガラス張りのしつらえから陽の光がさんさんと降り注ぎ、背徳感なく、春巻をつまみに昼呑みが楽しめます。
■バラエティに富んだ創作春巻
「春巻」と聞けば、油で揚げた中華の惣菜を想像する人が多いでしょう。しかし、オーナーシェフの松山祐子さん(48)が作る春巻は、中華にこだわらない創作料理。香りが爽快なオリーブオイルで焼いた、さっぱり風味なのです。
松山祐子さん(以下、松山)「あえて薄い皮を使い、噛んだときにサクッと砕ける食感を大事にしています。揚げ油を使わないのは、胃がもたれず、たくさん食べられるように。私のトシになると、揚げ物がもうしんどくて(苦笑)」
春巻は定番商品のほか、月替わりのメニューが二種類。これがバラエティに富んでいて、楽しいのなんの。「タコス茄子」「パクチーコーン」「ほたてバジル」「しば漬けチキン」、鮭とひよこ豆を和えた「鮭ぴよ」などなど、この5年で約70種類もの多彩なオリジナル春巻が披露されました。
松山「手間はかけていますね。たとえばイワシだったら、一尾ずつここでさばくんです。もうキッチンが血だらけ、スプラッター。『ここ、何屋さんやねん』みたいなね」
「切干大根とトマトとサバ」など、驚きの組み合わせで極上の春巻を楽しませてくれるラップ&ロール。しかし、松山さんは意外にも過去に「調理の仕事に携わった経験はない」のだそうです。
松山「料理の仕事は、まったくしていないです。大学時代にバイトでホール係をちょっとやったぐらいかな」
本当ですか。具材の意外な組み合わせ、味付けのバランス、軽快な食感を残す絶妙な焼き加減、料理人修行の時代がないなんて信じられないテクニックです。
松山「子どもの頃から、味覚はけっこう発達していたかもしれません。というのも私、眠ったときに見る夢が“味つき&香りつき”なんです。夢のなかでも、しっかりごはんを食べているんですよ。味や香りや温度もそっくりそのままの、かなりリアルな食事の夢。目がさめたら、枕がヨダレで濡れていた日もありました(笑)。そういう特異な体質もあってなのか、『これとこれを組み合わせると、きっと美味しくなる』というイメージが湧いてくるんです」
■店は人を巻き込んでいく「遊び場」
数々の激ウマ新作を誕生させながらも、一か月の期間が終わると潔く次のメニューへと移るのもラップ&ロール流。
松山「確かに『あれは、もうないんですか』とガッカリされちゃう場合もあります。けれども、『今月はどんな春巻だろう』と期待してくださるお客様もいますし、同じメニューだと自分自身が飽きちゃうんですよ。春巻に限らず、『なんでもやってみたい。次へ行きたい』って気持ちが強いんです」
「次へ行きたい」。実は松山さん、以前から「春巻の店がやりたい」という強い意志があったわけではありません。人生の「次」へと進むきっかけとして、たまたま春巻だったのだそうです。
松山「私はここをお客さんの“遊び場”だと思っています。『おしゃべりを楽しみたい』『誰かに愚痴を聞いてほしい』『わずらわしい日々から解放されてくつろぎたい』、そんなふうに心を遊ばせる場所をつくりたかった。人を包み込んだり、巻き込んだりできる場所を。『だったら、春巻かなあ』と考えたんです」
人を包み込んだり、巻き込んだりできる場所、だから「春巻」。これほど理にかなった春巻専門店の開業理由があるでしょうか。
そして松山さんが「春巻」の境地に至るまでには、人と人とのつながりを考えながら、ローリングし続けた劇的な日々があったのでした。
■いじめに遭い「大人の正しさ」「子どもの正しさ」の違いに悩む
松山さんが「人と人とのつながり」について考えはじめたのは、小学生の頃。きっかけは「いじめ」でした。
松山「小学校2年生までは、やってみたいことはなんでも立候補してやる、頑張り屋さんキャラでした。先生にもかわいがられ、平和だったんです。けれども、3年生に進級してから、それじゃ通用しなくなった。私の病欠中に先生の推薦で学級委員に決まったんですが、『先生に気に入られているからって調子に乗るな』と、急に集団いじめに発展した感じでしたね。大人が考える正しさとクラスメイトの正しさが違っていて、大人の期待に応えると、さらにいじめられる。答えのない、しんどい日々でした」
■新たな道を照らしてくれたユースホステル
小学校~中学校といじめられていた松山さん。そんな彼女に、「学べる場所は学校だけではない」と、別の道を照らしてくれたのが、お母さんでした。
松山「小学校、中学校をのびのびと通えなかった私に、母が『*ユースホステルの一泊プログラムに参加してみないか』と勧めてくれたんです。ユースホステルだったら、さまざまな世代が仲よくしゃべったり遊んだりできると。実際に利用してみると、本当にすっごく楽しくって。いい想い出がたくさんできたんです」
*ユースホステル…世界最大の宿泊ネットワーク。青少年のための体験プログラムがある。
ユースホステルに助けられたり、高校進学で環境が変わったりしたこともあり、次第によい友人に恵まれるようになった松山さん。人と人とのつながりを学びたいと、当時はまだ新しかった「コミュニケーション学科」がある大阪国際女子大学(現:大阪国際大学)に進学します。
松山さんは大学2年生のときに、アメリカへ1か月間の留学をしました。しかし、「コミュニケーションをとりたいのに英語力が足りない。これではだめだ」と落胆。さらに「もっといろいろな国の人と喋りたい!」という想いが強くなり、アルバイトで資金を貯め、3年生を修了したあとの1年間、イギリス留学をしたのです。
留学中に利用したのが、やはりイギリス内のユースホステル。期待通り、「フレンドリーなスタッフや他の旅行者との関わりがとても楽しかった」といいます。旅や留学で得た知見や、新しい出会いに感動した大切な想い出、そういった経験を「多くの人に提供したい」。彼女は卒業後の進路として、京都ユースホステル協会の就職試験を、曰く「瞳をキラキラさせながら」受けたのでした。
■配属先にいたのは「やんちゃな中学生」。そこで人生の転機が
京都市ユースサービス協会(京都ユースホステル協会から移籍)で働く運びとなった松山さん。配属となったのは、青少年支援の部署でした。
松山「勤務先へ行ってみれば、そこにいたのは、やんちゃな中学生たち。『この子ら、もしも中学校で同じクラスだったら、私をいじめていたんとちゃうかな』と、怖さを感じてしまいました。でも、ともに日々を過ごすうちに、怖い気持ちよりも、『彼らをもっと知りたい』『関わりたい』、そんな気持ちのほうが勝ってきたんです」
いじめに遭った記憶がよみがえったものの、ときに「助けてほしい」と合図を発する彼らから、「居場所がない」「どこにも属せない」というメッセージを感じとった松山さん。「存在を否定して距離を置くのではなく、近づいて関わる大切さを学んだ職場だった」と、当時を振り返ります。
そうして、「もっとちゃんとユースワークを勉強したい!」と、*ユースワーカーの国家資格が取得できるイギリスの大学院留学を決意。英語の勉強に苦労したものの、「自分なりのユースワークの芯をつかんだ」と、自信を持って帰国しました。
ユースワーカー*発達障がい、ひきこもり、不登校などさまざまな悩みを抱える青少年に寄り添い支える相談員。
帰国後の松山さんは、ダンスや料理、陶芸にゴスペル、キャンプなどさまざまな「遊び」を通して、「居場所がない」と感じる若者たちを支援してきました。若者それぞれが安心して自分や他者と向きあえるよう、一緒に考え、支えてきたのです。
松山「家族以外にもう一人、誰かがかかわってあげられて、もう少しハッピーになってもらいたい。そのためのお手伝いをずっとやってきました」
20年のあいだには、忘れられない出来事もありました。それは松山さんが、ひきこもる若者を支援する部署に配属になった頃の話。
松山「部屋から出てきてくれない女の子に何度も手紙を書きました。顔を見せてくれた時は、本当に嬉しかった。一緒に遊ぶうちに、彼女が『将来は左官屋さんになりたい』と教えてくれたので、左官の技術が学べる学校を一緒に探しました。立派に左官職人になった彼女は、この店の壁の漆喰を塗ってくれたんです。うちの店は私と仲間たちとのDIYで仕上げた部分があるんですけれど、彼女がリーダーになって指導してくれて……。そのときは、感激のあまり、さすがに泣きましたね」
■38歳でがんに。だからこそ「少しでもポジティブに」
岐路に立たされる若者たちの背中をさすり、さまざまな人間模様に触れてきた松山さん。そんな彼女自身にも、重大な出来事が起きました。それは、38歳の時。
松山「がんになりました。病名をネットで検索したら、5年後の生存率は40%。『人生って、こんなふうに急に終わるのか』『仕事で若い人たちのチャレンジを応援している自分も、やりたいことをやらなければ』と思い、それがこの店を開くきっかけにもなりました。現在は手術の後遺症はあるものの、めっちゃ元気です」
がんで入院しているあいだ、多くの励ましや、仕事のサポートを受けた松山さん。ポジティブに生きる大切さを噛みしめたのでした。
松山「大変なことを乗り越えるのってすごくパワーを使うけれど、私の場合は、もらったパワーのほうが大きかったかも。今でもがんの時期に支えてくれた人や言葉を思い出します。そういった経験から、『ネガティブな話を聴くときには少しでも相手がポジティブになれるよう、私のパワーをお分けしよう』と思いながら、人とかかわっていますね」
■「社会には“ちょっと発散できる場所”が必要だ」
若者を支える仕事を続けた松山さん。そんな彼女が、人々が行き交う街角に「春巻スタンド」を開業したのは、自然な流れだったと言えるでしょう。
松山「支援の仕事をするうちに、『社会には、“ちょっと発散できる場所”が必要だ』と思ったんです。ふらっと訪れて、おしゃべりして、人どうしが気持ちの交換をして、ガス抜きできる。街にそんな止まり木があるだけで、救われる人がたくさんいるなって。あまりにも福祉っぽい雰囲気だと、ハードルが高いと感じる人もいるでしょう。ここを訪れる理由が、特別じゃない方がいい。あくまで『春巻を食べに来たんや』という理由だったら、もっと気軽にドアを開けてもらえるんじゃないかな、そう考えたんです」
壁をギャラリーとして利用できるよう、ピクチャーレールを設置したのも、支援の仕事をするなかで生まれたアイデアでした。
松山「知的障がいがある若者たちのアートワークのサポートを担当していたとき、壁に絵を飾ってもらおうと、喫茶店やカフェなどにお願いしてまわった経験があったんです。若者が社会へ飛び出してゆくきっかけとして、作品を展示できる場所がどれだけ助けになるか。だから自分が店をやるときは、『壁を展示のために開放しよう』『気軽に使ってもらおう』と決めていました」
松山さんは現在も少年鑑別所のレクリエーションや、グループワークなど福祉の仕事を続けながら、今日もおいしい春巻を焼いています。
松山「ユースワーカーをやっていた頃の利用者さんが『仕事に就きました』『学校へ行くことにしました』など近況報告に来てくれたり、会いに来てくれたりすると、めっちゃ嬉しいです。飲食店だから、お互いかしこまらず、『春巻、食べに来たよー』って気軽に遊びに来てくれる。この業態にして本当によかった。あと、知らぬ者どうしだったお客さんがいつの間にか仲よくなって、一つのテーブルで和気あいあいとしている姿を見ると、気持ちがアガります。『修学院に引っ越してきて、この店で初めてお友達ができた』と言ってくれるお客さんもいらっしゃるんですよ。この空気感を持続したい。それが私の目標です」
おしゃべりに興じてもいい。一人で訪れて、物思いにふけってもいい。ふらりと立ち寄り、絶品の春巻とビールをさくっと味わい、ふらりと去っていくでもいい。それぞれの楽しみ方、それぞれのガス抜きの仕方を楽しめる駅前の遊び場「春巻スタンド ラップ&ロール」。あなたも松山さんのあたたかな人柄に、巻き込まれてみてはいかがでしょう。
春巻スタンド ラップ&ロール
所在地:京都府京都市左京区山端壱町田町8−48
15:00~22:00
定休日:水・木・日(要確認)
電話:075-755-6504