野宮真貴 新録の「東京は夜の七時」が話題 “渋谷系を歌う”旅に出た理由
「東京は夜の七時」に再び集まる注目
11月17日、『ミュージックフェア』(フジテレビ系)に野宮真貴が出演した。野宮が同番組へ出演するのは、1996年1月14日にピチカート・ファイヴとして出演し、「悲しい歌」を披露して以来22年振りだ。この日の放送では、野宮が乃木坂46と共に、小西康陽アレンジのニューバージョンの「東京は夜の七時」をパフォーマンスし、注目を集めた。また、この放送からちょうど2か月前の9月17日には、『ミュージックステーション ウルトラFES 2018』(テレ朝系)に初出演し。今回のニューバージョンの「東京~」でコラボレーションしている少林兄弟と共に同曲をひと足早く披露し、大きな話題になった。「東京は~」1993年にリリースされた、ピチカート・ファイヴの代表曲のひとつ、“渋谷系”の名曲として、発売から25年経った今でも様々なアーティストにカバーされ、シティポップのスタンダードになっている。2016年に行われた、リオパラリンピック閉会式でも使用され、ますます再評価の声が高まっている。
11月23日、野宮は「ビルボードライブ東京」のステージでも、軽やかにそしてクールに、新しい「東京は夜の七時」を歌い、ファンを喜ばせていた。2013年から毎年恒例となっている「野宮真貴、渋谷系を歌う‐2018‐」ツアーが今年も開催され、名古屋・大阪・東京で8ステージ行った。この日は、「渋谷系ベストライヴをお届けします」という野宮の言葉通り、野宮がこよなく愛する村井邦彦作曲のトワエモア「或る日突然」からスタートすると、「Summer beauty1990」「ウィークエンド」「ぼくらが旅に出る理由」「世界は愛を求めてる」など、渋谷系の名曲を次々と披露。さらに「カローラIIにのって」などの渋谷系CMソングコーナー等、様々な趣向、アイディアを凝らし盛り上げた。野宮が衣装チェンジをするたびに、客席からは、そのエレンガントでセクシーな姿にため息が漏れていた。極上のグルーヴを作り上げるバンドと、野宮の柔らかくも凛とした声とが、メランコリックなメロディが多い渋谷系の名曲の数々を、より印象的なものにしてくれる。
“野宮真貴、渋谷系を歌う”シリーズ5作のベストアルバム『野宮真貴、渋谷系ソングブック』
“渋谷系”とそのルーツミュージックを歌い継ぐ、“野宮真貴、渋谷系を歌う”シリーズがスタートして5年。これまで発表した5作品の中から、選りすぐりの12 曲をパッケージした『野宮真貴 渋谷系ソングブック』が、10月31日に発売され、好調だ。先述した「東京は夜の七時」は、小西康陽プロデュースで、野宮と少林兄弟による新録が収録されている。さらに貴重なライヴ音源を収録し、野宮と、これまでのシリーズ全作のプロデュースを手掛ける、音楽プロデューサー・坂口修氏とが、この作品で“渋谷系”を“定義”――グッドミュージックを探し、提示し続けてくれる2人にインタビューした。
――この『野宮真貴 渋谷系ソングブック』は、“野宮真貴、渋谷系を歌う”シリーズ5作の中から選ばれたベスト盤ですが、このプロジェクトは、2012年に、バート・バカラックのライヴで、野宮さんと坂口さんが再会したところから始まったんですよね。
野宮 そうです。2012年にバカラックのライヴに行ったとき、それまで坂口さんとはちょっとご無沙汰だったのですが、急に思い出して、坂口さん絶対来てるはず、と思って(笑)、何年かぶりに電話をしました。そうしたらやはりいらっしゃっていて、終演後にお茶をしました。私はその時、デビュー30周年記念アルバムをリリースして、そのライヴも終わって、これからどういうふうに歌っていこうかなと考えていた時期でした。そんなお話も坂口さんにして、それで、バカラックやっぱりいいよねって盛り上がりつつ、バカラックも渋谷系のルーツだし、彼のカバーというのもありだよね、というアイディアが出ました。ここ何年か、90年代のカルチャーや音楽が盛り上がっていますが、その時はまだ今ほど渋谷系や、90年代の音楽が取り上げられていなくて、でもやっぱり自分はシンガーとしてずっと歌ってきて、ピチカート・ファイヴをセルフカバーしたり、やっぱり渋谷系の歌はいいなと思っていました。
坂口 90年代はリバイバルブームでもありました。このシリーズのきっかけは野宮さんが30周年でセルフカバーをやったことが大きいと思います。
「私自身もこのシリーズをやることで、渋谷系のルーツミュージックを勉強していました」(野宮)
――毎回選曲が楽しみでした。
野宮 私もそうでした(笑)。私は坂口さんのように、たくさんレコードをコレクションしていないし、何となく子供の頃に聴いて好きだった曲とか、ピチカート・ファイヴとして活動しているとき、小西さんに色々な音楽を教えてもらって、それが知識としてあったものの、坂口さんやスタッフとの選曲会議は、毎回楽しみでした。その時、坂口さんが膨大な資料を持ってきてくださるんですけど、説明を聞いて、なるほどそうなんだと、初めて知ることも多いし、こんな曲があるんだ、じゃあ歌ってみたいとか、そういう感じで私自身もこのシリーズをやることで、渋谷系とそのルーツミュージックを勉強していました。
「巷で渋谷系が盛り上がっているので、もう一回焦点をしっかり浮かび上がらせるべきだと思った」(坂口)
――野宮さんも新鮮な気持ちで歌えていたということですね。
野宮 そうです。いい曲はみんなに聴いてほしいと思うし、いい曲は時代を超えるということを証明をしたいと思って、歌っています。
坂口 毎回、その時出会ったものを、どんどん取り入れていくという感覚でした。定例のビルボードライヴが毎年11月なので、クリスマスソングっぽいものも含めて、秋冬の雰囲気のものを選ぶことが多くて、それで、夏っぽい曲をセレクトした『野宮真貴、ヴァカンス渋谷系を歌う』を出したり。やってみてわかったのが、実は渋谷系は夏っぽい曲の方が多いということでした。その前の『男と女~野宮真貴、フレンチ渋谷系を歌う。~』は、その年の春に野宮さんがフランスに行ったことがきっかけだし。その時その時のタイミングで出会ったもの、人、コトを取り入れていく感じでした。なので、去年の時点では、まさか今年ベスト盤を出すとは思っていませんでしたよ。今年もテーマを決めてやろうかなと思っていたのですが、小西さんも『素晴らしいアイデア 小西康陽の仕事 1986-2018』という作品集を出したり、ポスト渋谷系のような若いバンドも活躍していて、巷で渋谷系が盛り上がっているので、もう一回焦点をしっかりと浮かびあがらせるべきだと思いました。色々な人が色々な渋谷系の概念を持っています。このシリーズは、渋谷系の時代から20年が経って、我々が考えている渋谷系も、いい曲がたくさんあるので、それをスタンダードにしたいという思いから続けています。なので、みなさんの色々な渋谷系の概念を一旦置いてもらって、“これが我々の渋谷系です”と、設定、提示することで、納得してもらえるのでは、と思いました。
「東京は夜の七時」と「渋谷で5時」
――これまでシリーズを5作発表してきて、色々な歌を歌い、色々な方とデュエットして、思い返すと様々なシーンが甦ってくると思います。
野宮 このシリーズで初めてご一緒できた方が多くて、すごく刺激でした。 例えばスウィング・アウト・シスターのコリーン・ドリューリーは、一緒に歌えたらいいなって思っていたら、実現して、「世界は愛を求めてる」を一緒に歌うことができました。コリーンもバート・バカラック&ハル・デヴィッドの音楽が、すごく好きという共通点もあって、ピチカート・ファイヴのことを知ってくれていたので、すごく盛り上がりました。クレモンティーヌも本当に素敵な女性でした。
――野宮さん、クレモンティーヌさんとマーチン(鈴木雅之)さんとの「渋谷で5時」も斬新でした
野宮 「渋谷で5時」がなぜ渋谷系なのかというと、マーチンさんもインタビューで当時「渋谷系を意識して「渋谷で5時を作った」」と言っているので、「東京は夜の七時」があるのなら「渋谷で5時」をカバーしたいと思って。ご本人とデュエットできることも光栄でした。1993年当時の渋谷と今の渋谷が、何が変わったのかというと、大勢の海外の方が来てくださり、待ち合わせをしてくれるようになって、私は、渋谷は世界一の待ち合わせ場所だと思っています。なので、海外のアーティストにも参加してもらえると、センスアップするのではと思い、クレモンティーヌにお願いをしました。
「「中央フリーウェイ」は、2015年のライヴに、ムッシュが飛び入り参加してくれた思い出深い曲」(野宮)
「このシリーズの全ての始まりはビルボードライブ。だから、みなさんにライヴに来てもらいたいという思いがすごくあって」(坂口)
――今回は、「中央フリーウェイ」のライヴ音源や、小西康陽さんプロデュースの野宮さんと少林兄弟による「東京は夜の七時」など、初収録の音源も入っていて、この12曲の選曲理由を教えてください。
野宮 歌いたい曲というか渋谷系の代表曲、わかりやすい渋谷系の楽曲をたくさんの中から選びました。ゲストの方を迎えての曲も多かったので、それもなるべく入れたかった。
――デュエットの顔ぶれがバラエティに富んでいて、名前を見ているだけでも、ワクワクしてきます。相手の方の個性を引き立てつつ、しっかりと野宮さんの歌になっています。
野宮 私はどういう人とも合わせられるタイプなんです。カジヒデキ君は渋谷系ですけど、マーチンさん、クレイジーケンバンドの横山剣さんは、歌も含めて男っぽいタイプの方で、でも声は合っていると思います。
――DISC2の「モーション・ブルー・ヨコハマ」でのライヴ音源では、横山剣さんとのデュエットを、たっぷり楽しむことができますね。
野宮 楽しいバレンタインライヴでした。ラヴソングを中心にやろうというコンセプトで、でもCMソングコーナーをやって、バレンタインなのでチョコレートのCMソングを歌ったり、横浜にちなんだCMソングを歌いました。
――「中央フリーウェイ」は、ムッシュかまやつさんがライヴに飛び入り参加した時の、貴重な音源ですね。
野宮 そうですね、これはどうしても入れたかった一曲です。2015年11月19日、「ビルボードライブ東京」でのライヴに、ムッシュが飛び入りで出演してくださって、デュエットした思い出深い曲です。、
坂口 本当はアルバムで「中央フリーウェイ」のカバーの時に、ムッシュにはコーラスで参加してもらう予定でした。でも体調不良で実現しなかったのですが、その後も色々とお声がけしようと思っていた矢先に、お亡くなりになってしまって。本当に残念です。
――グループサウンズも、渋谷系の流れですよね。
坂口 日本語ロックの走りです。これを入れたのも、先ほど出ましたDISC2がライヴ盤になっているのも、このシリーズの全ての始まりは、野宮さんのビルボードライブなので、みなさんにライヴに来てもらいたいという思いがすごくあって。
「「東京は夜の七時」が25周年。小西さんにリミックスをお願いしに行くと…」(野宮)
――少林兄弟との「東京は夜の七時」は、原曲のよさを残しつつ、ロックでエモーショナルな新しい作品になっていますが、小西さんプロデュースというのが、ピチカートファン、渋谷系ファンにはたまらないですよね。
野宮 「東京は夜の七時」が今年25周年なので、ベスト盤を出すにあたって、小西さんにリミックスしてもらいたいなと思い、お願いに行きました。そうしたら小西さんが「いいアイディアが浮かんだ」と、少林兄弟と一緒にやったらどうか、と。実はその前から小西さんから「少林兄弟という今好きなバンドがいるんだけど、絶対(野宮)真貴ちゃんと合うから聴いてみて」と人づてに言われていました。それで少林兄弟のライヴを観に行ったら、すごく面白くて。みなさんキャリアもテクニックもあって、カバーをやったり、一見コミックバンド的なノリもありますが(笑)、カッコよかったです。「東京~」のロカビリーテイストのロックバージョンは、絶対かっこいいと思って、小西さんプロデュースで新録することになりました」。
坂口 音楽は常にレコードで聴いているDJ小西さんからは、もちろん「アナログ盤出すよね」というオーダーがきますから(笑)、11月3日が「レコードの日」ということもあって、アナログ盤も作りました。
野宮 小西さんが「レコードだとB面の曲が必要だよね、「ハッピー・サッド」 もロカビリーが合うと思う」と言ってくれて、え、もう一曲やってくれるのって感じでした(笑)。「ハッピー・サッド」も、すごくカッコよくなりました。
――新しい「東京~」を歌ってみて、いかがでしたか?
野宮 すごく楽しかったです。バンドのレコーディングの時はスケジュールが合わず立ち会うことができなかったのですが、プリプロはスタジオに遊びに行きました。久しぶりにバンドの人たちとセッションできて、嬉しかったです。小西さんもすごく楽しそうにやっていたし、小西さんと一緒にスタジオに入ること自体も、ピチカート解散以来初めてでした。しかもエンジニアもマニピュレーターも、ピチカートをやってくれていた人が揃っていて、少林兄弟とは初めての作業でしたが、昔に戻ったような感覚になりました。
坂口 懐古主義的なものにならないように、さらに寄せ集め感が出てしまうようなベスト盤にはしたくなかったのでほぼ全曲、昨今のシステムでリミックスしましたが、そこに小西さんの手による新録が入ってきて、しかも小西さんがノリにノッって参加してくれたことが、嬉しかったです。小西さんも「仕事じゃなくて、本当にやりたいことを実現できて、すごく気に入っている」って言ってくださって、それもすごく嬉しかったです。
「2020年が還暦イヤー。そこに向けてホップステップジャンプしていきたい」(野宮)
「野宮さんが歌えばどんな歌も“渋谷系”と思ってもらえるようになって欲しい。ジャンルになり得る声」(坂口)
――野宮さんの中では、このベスト盤はひとつの区切りで、また気持ちも新たに次のことをどんどんやっていかなくちゃという感じですか?
野宮 そういう部分もありますね。2020年が還暦イヤーなので、そこに向けてホップステップジャンプしていきたいと思っています。そういう意味では、今年はホップの年と捉えて、このシリーズは長くやっていきたいので、逆に一回整理して、再来年にピークを持っていけるように、そこに向けて色々考えています。
坂口 このシリーズは、最初にも出ましたが、本当にその時に面白いものとかパワーを持っているモノ、人たちとやれたらなと思っている、どこか他力本願的な部分もあるので(笑)、だから逆に何がきても対応できるようにその受け皿は常に準備しています。テーマを決めないと、なんでこの曲が渋谷系なの?と、伝わりづらい部分もあるかもしれませんが、でも最終的には野宮さんの歌声イコール渋谷系となって、例え演歌でも童謡でも、どんな曲がきても、野宮さんが歌えば、それが渋谷系ですって思ってもらえるようになって欲しい。ジャンルになり得る声だと思っているので、一曲でも多く野宮さんの声を音源として残したいと思っています。
「人生を楽しく過ごすために提案を、常にしていきたい」(野宮)
――野宮さんは、歌で渋谷系のよさを伝え、著書も出版していて、よりよいライフスタイルの提案をしていますが、次にやりたいことありますか?
野宮 もちろん音楽が中心になると思いますが、全然ピチカートのことを知らないという人も、本で私のことを知って、好きになってくださる人も意外と多くて、そこからライヴに来てくださったり、CDを買ってくださったりして、すごく嬉しいです。本でも書いているのが、音楽って人生の中ですごく大切なものだから、好きでいてほしいし、ライヴに足を運んで生演奏、歌を体感してほしいということです。次にやってみたいのは、洋服が大好きなので、洋服関連のことにチャレンジしたいです。女性をきれいみせる洋服を提案したいというか、みなさん、何を着たらいいのかわからなくなる時期があるんですね。若い頃のものも似合わなくなったり、体型が変わってきたり、そういうことに悩まなくていいようにしてあげたい。それこそライヴに着ていく、素敵な洋服を提案してみたい。でもそれも、そんなに大きくやるというよりは、じっくり自分に合ったスピードと規模で、やっていきたいです。人生を楽しく過ごすための提案を、常にしていきたいです。