北朝鮮がまたまた中国を非難
朝鮮労働党の機関誌、労働新聞は中韓国交正常化25周年の日にあたる昨日(24日付)中国を非難する論評を掲載した。中国が5日に採択された米国主導の国連制裁決議「2371」に賛成したことへの反発である。論評では制裁決議に同調したロシアも併せて批判していた。
「公正性を投げ捨てたカカシ機構」との見出しの論評は個人の署名によるものだが、実質的には労働党、即ち金正恩政権の両国への感情をストレートに代弁したものと言える。
(参考資料:虐める姑(米国)より止める振りする小姑(中国)のほうが憎い北朝鮮)
論評は中国とロシア両国を「反共和国制裁決議のでっち上げに共謀した国々」とレッテルを張った上で「共謀した国々は交渉による問題解決を騒いでいるが、結果は朝鮮半島の緊張状態を一層強化し、核戦争の暗雲を一層黒く垂れ込めさせている」と、制裁への同調そのものが朝鮮半島緊張激化の要因になっていると不満を表明している。
中国を「『ズボンを売ってでも核を持たなくてはならない』と言って制裁と圧力を跳ね除け核保有の夢を実現した国」、またロシアを「現在、米国から必要な制裁を受けている国」と呼称し、「こうした国は過去と今日の立場を全く省みず、自尊心もなく、我が共和国の核と大陸間弾道弾ミサイル事件発射にむやみに言いがかりをつけ、米国の制裁騒動に加わっている」と辛らつに批判している。
「ズボンを売ってでも核を持たなくてはならない」と言ったのは中国が核実験を行った1964年当時外相だった陳毅副総理の言葉で、陳副総理は「ズボンを質屋に取られたとしても何としてでも核を造らなければならない」と言っていたそうだ。
北朝鮮の対中批判は珍しいことでも異例でもない。核とミサイルの問題で中国が国連の制裁決議に同調する度に北朝鮮は反発する形で対中批判を展開してきた。
例えば、初めて核実験を実施した2006年には「干渉を受け入れ、他人の指揮棒によって動けば、自主権を持った国とは言えない。真の独立国家とは言えない」(労働新聞)と中国の説得を無視する論評を掲載していた。
中国が2度目の核実験(2009年)を批判し、国連制裁決議「1874」に賛成した時は「大国がやっていることを小国はやってはならないとする大国主義的見解、小国は大国に無条件服従すべきとの支配主義的論理を認めないし、受け入れないのが我が人民だ」(労働新聞)と中国への反発を露わにした。
また、2012年4月のミサイル(衛星)発射で安保理議長声明が出された時は「常任理事国が公正性からかけ離れ、絶え間ない核脅威恐喝と敵視政策で朝鮮半島核問題を作った張本人である米国の罪悪については見て見ぬふりして、米国の強盗的要求を一方的に後押ししている」と不満を露わし、「最も多く核兵器を持っている安保理理事国が他国の核問題を論じる道徳的資格もない」名指しこそ避けたものの中国を間接的に批判した。
さらに、2013年1月に制裁決議「2087」が採択された際には「間違っていることを知りながら、それを正そうとする勇気も責任感もなく、誤った行動を繰り返すことこそが、自身も他人も騙す臆病者の卑劣なやり方」(23日の外務省声明)と糾弾し、翌24日の国防委員会の声明では「米国への盲従で体質化された安保理事国らがかかしのように(決議賛成)に手を挙げた」と中国を「米国のかかし」とまで言い放った。 それでも、北朝鮮は名指しによる対中批判は避けてきた。
北朝鮮が初めて中国を名指しで批判を展開したのは中国の国営メディアが連日、核実験を強行した場合、原油供給を止めるべきとか、中朝友好相互援助条約を見直すべきと報道していることに朝鮮中央通信が5月3日に「我々を露骨に威嚇している」と強く非難する論評を掲げたのが初めてだ。北朝鮮による全面的な対中批判の展開は初めてのことだった。
「朝中親善がいくら大事とはいえ、命である核と変えてまで中国に対し友好関係を維持するよう懇願する我々ではない」「制裁を強めれば手を上げて、関係復元を求めてくると期待することこそ子供じみた計算である」として中国が説得しようが、圧力を加えようが「国家の村立と発展のための我々の核保有路線を変更することも揺るがすこともできない」と中国に釘を刺していた。
朝鮮中央通信は4月も「我々の意志を誤判し、どこかの国(米国)に乗せられ、我々に対して経済制裁に走れば敵から拍手喝さいを浴びるかもしれないが、我々との関係に及ぼす破局的な関係を覚悟せよ」(21日)と警告していた。
今回の労働新聞の批判は5月の朝鮮中央通信の時よりも若干トーンダウンしているが、それでも北朝鮮の対中反発が依然として根強いところをみると、中国の説得、仲裁も容易ではない。