高校時代に甲子園で果たせなかった日本一へ! 関学大アメフト・小田選手
甲子園は言わずと知れた高校球児にとっての夢舞台。その時代が過ぎ去ってしまえば、ここで日本一になることは、ほぼない。少なくともアマ野球でその機会が巡ってくることはない。しかし、別競技になると話は違ってくる。大学アメリカンフットボールの最高峰「甲子園ボウル」(関西学院大対早稲田大・16日開催)で、高校時代に果たせなかった「日本一」の夢を追いかける選手がいる。
4年前の夏、近江で甲子園へ
関西学院大の小田快人(4年)は大阪市の出身で、2014年夏、近江(滋賀)の中堅手として甲子園に出場(タイトル写真の前列右から3人目が小田。後列左から3人目が阪神・植田)。2回戦の鳴門(徳島)戦で、2回に2点適時三塁打を放って勝利に貢献した。
本人は、今でもその感触が残っていると言う。同期に阪神・植田海(22)がいて、小田は植田の前の2番を打っていた。チームは3回戦で敗れて日本一の夢を果たせず、進学に当たって小田は野球を続けるか悩んでいた。
野球からアメフトへ
「それまで漠然と、『将来はプロ野球選手に』と思っていたが、将来を考えたら大学を卒業して社会に出た方がいいんじゃないかと思い始めていた」矢先、中学時代のチームメイトの保護者にアメフトの関係者がいて、「関学でアメフトをやってみないか。一度、試合を見に来たらいい」と声を掛けられた。関学のスタッフも、中堅手としての目測の合わせ方や球ぎわへの体の寄せ方にセンスを感じていたらしい。それまでアメフトとは無縁の生活だったが、実際に観戦して、「これならやれそうやな」(小田)と、アメフトへの転向を決意した。
慣れるまでに1年かかった
しかし進学先の関学は、前出の甲子園ボウルで史上最多の優勝28回を誇る学生アメフト界のトップチームだ。小田が思っていたほど現実は甘くなかった。
選手の大半が高校以前からアメフトに親しみ、特有のルールや決め事を身につけている。小田のポジションはQB(クォーターバック)から、主にパスを受けて走るWR(ワイドレシーバー)。高校時代の守備センスと脚力を生かせるはずだったが、「戦術を覚えるのと、当たり(タックル)に慣れなくて」(小田)、試合に出るまで1年を要した。自身も高校時代はサッカー選手だった関学大・鳥内秀晃監督(60)は、「1年かかるのは当たり前。経験者でなくてもセンスと努力があればすぐ追い抜ける。大学に入ってから足も速くなった」と小田の頑張りを評価する。
実質、最後の日本一への挑戦
2年生で初めて出た甲子園ボウルでは優勝したが、直接、ボールに触れる機会はなく、日本一の実感もなかった。昨年はけがで試合に出られず、チームも日大に逆転負け。今回が、実質、最初で最後の日本一への挑戦となる。
今季の関西学生リーグでは、好選手が揃う関学WR陣でも出色の活躍で、1部8大学監督による攻撃選手ベスト11に選出された。甲子園ボウル出場を争った立命館大との2試合でも好捕を連発している。それでも小田の甲子園ボウルに懸ける思いは人一倍強い。「甲子園は高校時代と一緒で、憧れの場所。そこで活躍したいと思って入学したし、TD(タッチダウン)も取りたい。できたらMVPも」とどん欲だ。卒業後は、大手電機メーカーへの就職も決まり、競技生活もあとわずか。「僕は高校時代も甲子園でプレーしているんで、高校で負けて、大学でも負けるわけにはいかない」と、背番号83の『甲子園の申し子』は大舞台での活躍を誓った。