現代将棋界ではみんな「ひえー」と叫び、神武以来の天才・加藤一二三九段(80)は「ひゃー」と叫ぶ
先日の記事は、再び大きな反響をいただきました。
今回は神武以来(じんむこのかた)の天才、加藤一二三九段の「伝説」について補足をしたいと思います。
1982年、加藤一二三十段は名人戦七番勝負で中原誠名人に挑戦しました(肩書はいずれも当時で、十段はかつて存在したタイトルの名称です)。両者3勝3敗1持将棋2千日手という死闘の末に最終局にもつれこんだので、この七番勝負は通称「十番勝負」とも言われます。
持将棋も千日手も引き分けです。持将棋は1局とカウントして、正式には最終第8局。勝てば名人という大一番で、加藤挑戦者は苦戦をしのいで、ついに形勢は逆転しました。中原名人の玉には詰み筋が生じています。しかしその詰みは、そう簡単ではありません。
加藤挑戦者には時間がほとんど残されていません。残り時間が切迫する中で、加藤挑戦者は自陣の受けの手段を探します。しかしそれも見つからない。万事休すかと思われたその時、加藤挑戦者の脳裏には、天啓のように中原玉の詰み筋が浮かびました。
2017年の引退会見の際、加藤九段は次のように述べています。
「私はその時ですね、勝つ手を見つけた時に、その瞬間に『あ、そうか』と叫びました」
これは将棋史上における最も劇的な場面の一つです。加藤挑戦者は中原名人の玉を詰ませて「十番勝負」に終止符を打ち、ついに名人位を勝ち取りました。
加藤九段の記憶では、詰みを見つけた際に「あ、そうか」と叫んだ。そして現代に伝わる「伝説」ではこの時「うひょー」と叫んだということにもなっています。
棋士が驚いた時に思わず声を発することがあるのは、以前の記事で記してきた通りです。加藤九段は確かに「あ、そうか」と叫んだとして、もしかしたら他にも何かつぶやいていたのかもしれません。その言葉は「うひょー」だったのかどうか。
対局者であった中原誠16世名人は後年、こう述べています。
当時の映像や音声記録はおそらく残されておらず、現在では既に、客観的に確かめる術はないものと思われます。
一方で、目撃者の目と耳を通して記された文献上の記録としては、次のようなものがあります。
筆者の個人的な推測では「うひょー」よりは、どちらかと言えば対局直後に新聞記事に記された「ひゃー」という叫びの方が、真実に近いのではないかという気がします。
筆者自身も加藤九段が「ひゃー」と驚く姿は間近で何度も見たことがあります。また現代の映像記録からも確認できます。
2007年度NHK杯2回戦▲羽生善治二冠-△中川大輔七段戦(肩書はいずれも当時)。解説は加藤一二三九段が務めました。終盤では中川七段が勝勢。さすがの羽生二冠もこれは・・・というところから、羽生二冠は手段を尽くして指し続けます。
勝勢の中川七段は駒音高く、羽生二冠の飛車を取ります。しかしこの自然に見えた手がなんと敗着。中川玉には思わぬ頓死筋が生じていました。
解説の加藤九段は頓死に気がつきます。その時の発言を、できるだけ正確に書き起こしてみます。
頭の回転の早い加藤九段が早口で解説をする間、何度も「ひゃー」と驚いているのがわかります。NHK杯戦史上、そして将棋史上に残るこの大逆転劇は、羽生二冠の恐るべき強さ、そして加藤九段の解説によって「伝説」となりました。
羽生現九段も加藤九段の「ひゃー」については、印象深い思い出があるようです。
天才は天才を知る、というエピソードでしょう。
加藤九段の公式アカウントのツイートでは「うひょー」という伝説を否定しつつも、おおらかに「ネタ」にしていると見受けられるところもあります。
「加藤一二三 うひょー」で新聞データベースを検索すると、加藤九段と藤井聡太四段(現七段)の対談記事がヒットします。以下は岡崎将棋まつりの席上対局(非公式戦)について、両天才が語り合ったところです。
引退してますます人気の加藤九段は、今年で満80歳。数え年では将棋盤のます目の数と同じ81歳を迎えました。「盤寿」の記念に、再び対局する姿を拝見したいものです。