【JAZZ】映画「ストックホルムでワルツを」には欧州ジャズの源流と親子の絆がシッカリと描かれていた
まもなく公開が予定されている映画「ストックホルムでワルツを」をひと足早く観ることができたので、感想をお届けしたい。
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モニカ・ゼタールンドは、スウェーデン出身の“伝説的な”ジャズ・シンガーだ。なにが“伝説的な”のかといえば、彼女が残した『ワルツ・フォー・デビイ』というアルバムゆえのひと言に尽きる。いや、尽きていた。
ジャズ・シーンで外国人すなわちアメリカ以外の国籍をもったシンガーがジャズを歌うことは、いまだに高いハードルがあるという不思議なフィールドだったりするのだけれど、そのハードルの高さをクリアしてジャズ史に名を残したのが『ワルツ・フォー・デビイ』というヴォーカル・アルバムだった。そしてそこには、2つの大きなエポックが含まれている。
ジャズ側にとっては、ビル・エヴァンス・トリオの参加というエポックが功を奏した面が大きく、もしくはそのことのみの評価であった時代も決して短くない。
もうひとつのエポックは、モニカ・ゼタールンドが母国語であるスウェーデン語でジャズを歌ったということで、これが前述の“そのことのみの評価”によって掻き消される原因にもなっていた。
20世紀半ばのジャズが背負っていた“差別と偏見”
映画では、後者に軸足を置いて彼女を再評価しようという意図が強く感じられる。
もちろん、製作したスウェーデン・スタッフの視点でスウェーデンの国民的歌手であるモニカ・ゼタールンドという人物を取り上げようという内容なのだから、当然といえば当然なのだけれど、アメリカ中心主義のジャズ視点に異議を唱えようというジャーナリスティックなニュアンスを混入させることによって、伝記的映画が陥りがちな平板なストーリー展開を回避し、立体的に肉付けすることに成功している。
ニューヨークを訪れたゼタールンドの体験をとおしてアメリカに残る人種差別を描いていた部分はとくに興味深かった。彼女の肌が“白すぎるから”という理由でジャズクラブへの出演を断られるシーンなどは、20世紀の半ばになってなおジャズが社会的にどのようなポジションに置かれていたのかを示すエピソードになりえている。
伝記的ノンフィクションと一線を画するドラマ性
モニカ・ゼタールンドはアメリカで、“白すぎる自分”と“英語を真似るシンガー”という命題を突きつけられて帰国し、ジャズにとって“外国人”である自分がジャズを歌う意味を探ることになるのだが、ジャズの意味を得るために“人生を捨てる”といったステレオタイプ的な演出が強かった点は少し残念だ。
国民的歌手と呼ばれ、ジャズを歌っても一世を風靡し、七転び八起きの人生を歩んだといえば、モニカ・ゼタールンドは美空ひばりに似ているかもしれない。そう考えると、いくつかのエピソードを選んでその才能と業績を語り尽くそうとするのは難しいのかもしれないのだが……。
とはいえ、事実の羅列に偏らずドラマチックな展開を取り入れてエンタテインメント性を高めることで“楽しめる映画”としての完成度を上げた点は非常に評価できる。親子関係のストーリーにはグッとくるものがあるし、演奏場面の挿入も効果的だ。
モニカ・ゼタールンドが何者であるかを知らずとも、ちょっとホロリとして、ジャズも楽しめて、なんとなく“高い木に登って将来を見たくなる”ような前向きな気分にさせてくれる、デートにもオススメできる映画である。
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映画「ストックホルムでワルツを」についてのインフォメーションはこちらから。
【JNV】モニカ・ゼタールンドは母国語という禁じ手をジャズ・ヴォーカルに持ち込んだ革命者だった
http://bylines.news.yahoo.co.jp/tomizawaeichi/20141007-00039734/