正しく恐れよ「千人計画」
「千人計画」に関心が集まるが…
日本学術会議の会員任命拒否が大きな話題となるなか、中国の「千人計画」なる計画に関心が集まっている。
発端は自民党の甘利明議員のブログのようだ。日本学術会議が千人計画に関与していたとの記載をしており、訂正されている。
前回の記事でも書いたが、日本学術会議と中国科学技術協会間の協力覚書は高々A4一枚程度の長さのもので、実効性は乏しい。日本学術会議も否定しているし、加藤官房長官も否定している。
そもそも千人計画とは?
ここで中国の千人計画とは何かをみてみたい。
上記などによれば、千人計画とは、中国から欧米などに流出した人材を呼び戻す「海外人材呼び戻し政策」の一環とされる。
現在このプログラムに関わる者は1万人を超えるとされる。上述の通り、主に中国から国外に流出した研究者の呼び戻しが中心だが、日本人含め様々な国の研究者がこのプログラムに関わっているとされる。
千人計画と知的財産のトラブル
この千人計画であるが、各国でトラブルを引き起こしている。
その一つは、アメリカで千人計画に関わっていることを隠し、給料を二重取りしたケースだ。
他にも同種のケースが報告されている。
千人計画に参加するアメリカ在住の研究者が知的財産を盗むのではないかという懸念をアメリカ政府は持っており、2019年には上院が報告書を出している。
ほかアメリカ以外でも知的財産がらみのトラブルが発生している。
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知的財産の流出、そして流出した技術が軍事転用される可能性を考えれば、各国で千人計画に対する警戒感が高まっているのも無理はない。
中国に渡る若手研究者
ただ、トラブル事例をよく見ると、外国の有力研究者をスカウトし、特許などの知的財産を中国で申請してもらうなどの手口が多い。それは深刻な問題であり、日本も対処しなければならない課題であると言えるが、千人計画参加者の中でも基礎研究者、特に若手研究者に関しては、知的財産の問題と切り分けて考えなければならないのではないか。
というのも、こうした若手研究者は、日本ではやりたい研究ができない、活躍の場がないということで現地に出向いており、受け渡す知的財産を持ってはいないからだ。
若手研究者の苦境は長らく言われてきたが解消されてこなかった。
チャンスを求めて外国に渡る者が出るのは当然だ。しかも、基礎研究では論文執筆が全てであり、論文は世界に公開される。
しかし、現在こうした若手研究者に対するバッシングが起こっている。
「武者修行」を奨励している日本政府
この10年ほど、「若手研究者の内向き志向」が様々な場で言われ、政府も留学の促進や日本人研究者の海外進出を奨励していた。
グローバル化が重要だ、海外留学は「武者修行」だと、大学生から研究者まで、外国留学を奨励し続けている。
また、先にあげた若手研究者の苦境に、「職がないなら外国へ行け」という声を多数聴いてきた。
それなのに、中国にチャンスを求めて行く若手をバッシングするのは矛盾なのではないか。
科学研究における中国の存在感は日に日に増している。
大学ランキングでも、中国の大学の中には東大や京大より上位の大学もある。
戦前はドイツやイギリス、戦後はアメリカと、日本人研究者は世界の研究の中心地に渡り、最先端の知見を身につけてきた。
現在分野によっては中国が世界の中心となりつつあるなか、中国に渡る基礎科学研究者がいるのは無理はないことだ。
そもそも科学者はチャンスを求めて国をまたぐのが当然だ。日本人ノーベル賞受賞者の中にも、アメリカなどで研究を続けたものが何人もいる。
ゲノム編集という画期的な技術を開発し、2020年のノーベル化学賞に選ばれたEmmanuelle Charpentier博士も、職を転々としてきた一人だ。
憂うべきは日本の現状
知的財産をめぐる国と国との争いは綺麗事では済まされない。同盟国日本とアメリカでさえ緊張感がある問題であり、逮捕者なども出ている。
こうしたなか、中国との知的財産の紛争や、日本の技術が軍事利用される懸念が上がるのは当然だ。
ただ、その主体は企業の研究者だ。
リストラやチャンスを求めて中国や韓国、アジアに渡っていった技術者がいる。
こうしたエンジニアの流出は大きな問題だが、流出すべきものを持ち合わせていない若手基礎科学研究者を、軍事研究に結び付けてバッシングすること、明らかに筋違いと言えるだろう。
日本も含め、世界各国が外国人の高度知識人材の獲得に奔走しているのは、もちろん慈善事業ではない。自分の国の利益のためにやっているわけだ。高度知識人材が大学の、研究機関のランキングを上げ、人材を育成し、知的財産を生み出す。
中国だけではない。アメリカが世界中から人材を集める国であることは知られているが、シンガポールや中東の国々なども含め、世界各国で人材獲得競争が起こっている。
日本とて同じだが、高度人材の受け入れは課題が多いようだ。
今やるべきことは、外国に人材が引き抜かれてしまった現実、外国では活躍できる人材を国内に止めることができなかった現実を分析し、対策を立てることなのではないか。真に恐れ、憂うべきは、千人計画そのものではなく、自国にいる本来活躍できるはずの人材に活躍の場を与えられなかったことにあるのではないか。
日本学術会議を批判するとするなら、こうした人材流出に有効な手段を提案できなかったことにこそすべきであり、実効性の乏しい日本学術会議と中国科学技術協会間の協力覚書などは枝葉のことだ。
「外科的アプローチ」で取り除け
まずは現状を分析することから始めないといけない。
中国に強い警戒感を示すアメリカだが、その戦略はしたたかだ。
トランプ政権で対中戦略を主導するポッティンジャー大統領副補佐官は、9月末の会合の中で以下のように述べる。
背景には外国人人材に依存するアメリカの科学研究の現実があるのだが、国益を踏まえたリアルな対応だと言える。
問題があるなら個別に対処すれば良い。しかし残念ながらネット上では、日本学術会議と千人計画の関連や、中国に流出した若手基礎科学研究者も含めて十把一絡げで叩くだけで、現状の分析もしないし、より安全保障上のリスクの高い部分への対応を立てるべきという具体的な議論はあまり耳にしない。
これでは、外科手術で患部を取り除くのではなく、病気になった人を殺すことになってしまうのではないか。
表面だけアメリカをまねても怪我をするだけだ。
研究者が外国に行くことが、送り出した国にも、受け入れた国にも利益をもたらすことは様々な研究で知られている。
国際共同研究は研究の質、論文引用度をあげる。こうしたことを否定することは、いわば鎖国しろというようなものであり、世界の最先端から外れ、日本の「研究力」はますます低下するだろう。
無意味なバッシングで時間や人材を浪費することで利益を得るのは誰か、よく考えた方がいい。