「文書保存のあのマークは何なの?」の時代へ。思考が停止してしまったUIデザイン
マイクロソフトの最新OSのWindows8を入手して、バツイチ知人の、子どもに見せびらかしていた。
すると、このマークは「保存」でしょ。でも何のマーク?と尋ねられた。
ボク「フロッピーだよ」
彼女「フロッピー?」 という怪訝な顔…。
すでに256KB1.44MB しか入らない、フロッピーディスクを日常、見かけることはすっかりなくなってしまった。
しかし、教育業界では、予算がつかないと今でもフロッピーディスク付きのワープロで仕事をしているところが少なくないと伺う。
このカタチが保存するマークのメタファーとしてデザインされてからすでに数十年が経過している。
フロッピーが存在する間は、これでも良かったが、ハードディスクやUSBメモリ、そしてクラウドがこれだけ増えているにもかかわらず、「保存する」に対しては、今となっては意味をなさない過去の遺物のアイコンのまま残されている。
これに対して、UIデザインは何も考えずに過去の遺物をそのまま、単に「今まで、そうだったから的論理」で採用していなかっただろうか?
恐らく、数万人の誰もが、このアイコンの不思議さに疑問を持っていないのだろう。
ありがちだが、大多数は、不満のないところに改善しようと思うものはいない。
なぜ?windowsのハードディスクはC:ドライブから始まるのかに疑問を抱く人は非常に少なかった。
これに気づかなければならない。
「A:ドライブとかB:ドライブはなぜないんだ?」と質問すべきだろう。
これは、フロッピーディスク時代に、A:ドライブには日本語FEPやアプリケーション B:ドライブにはデータ保存用のフロッピーを挿入していたからだ。本体にはRAMしか搭載されていなかった。しかもギガとかではない、メモリ容量がたったのキロバイトの時代だ。メガの1/1000の時代。今やテラバイト時代だ。あと数年で、ペタバイト時代へ、さらにエクサバイト時代へと加速していく。
それが、進化というエヴォリューションの歴史だ。
未だにCドライブとかをそのまんま呼称し続ける慣習をなぜ、社内で疑えないのだろうか?ボクには全くの意味不明だ。
自社のプロダクトに愛と責任を持つ人は、そこに対して本当は厳格なはずだ。そこの人が数万人の社員にいないのが不思議なのだ。
まぁ、マイクロソフトさんは、昔からアイコンに対して、それほどのクリエイティヴィティを感じるに値しなかった。
でも、アップルさんとなれば違う!
でも、残念ながら、アップルのiPhone5のアイコンを見て、ガッカリする。
これだ…。
情けない限りである…。
アップルの最高のUIデザインチームでさえ、電話といえば、このあのワイアードな100年も前からの受話器のデザインをモチーフにしている。モバイル誕生から、かれこれ20年が経過しようとしているのにこのアイコンはプアすぎるのではないだろうか?
カール・ベンツが、1885年に初めてガソリンで走る車、パテント・モートルヴァーゲンを発売する時に、使ったメタファーは歴史的な名コピーとなった。
活気的な新たなメタファーを伝える時には、古いメタファーを再定義し、アナロジーを駆使しなければならなかった。
カール・ベンツは、自動車を、これは「馬がいなくても走る馬車である」と自動車を説明した。
さらに「Cargo=荷車」 から、「go」 を取り除き、「Car=クルマ」と命名している。
自動車はガソリンで走るという機能を説明するよりも、よほど、当時の人たちには、馬車が馬がいなくても走るほうが画期的だった。
さらにその「馬がいなくても走る馬車」をデモする為に、ベンツ婦人は子どもをつれて、ドライブという喜びを自ら伝道しドイツの街道(ベルタ・ベンツ・メモリアルルート)を走り、観光名所となっている。
130年も前のほうが、古いメタファーの使い方は画期的だったのだ。
UIデザイナーたちよ! もっと真剣に真摯にアイコンの役割を考える時期が来ている。