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東京五輪の金メダル目指す奥原、ストリング職人が希少サポート

平野貴也スポーツライター
奥原は、ミズノ社の専属ストリンガーの現地帯同サポートを受けている【筆者撮影】

 金メダル獲得へ、脇役も全力サポートだ。スポーツで世界一を競うために時間を捧げているのは、アスリートだけではない。多くの場合、選手の活躍の陰には欠かせないサポートがある。15日まで開催されたバドミントンの全英オープンでベスト4と健闘し、東京五輪の出場権獲得を確実にした女子シングルスの奥原希望(太陽ホールディングス)には、ラケットにストリングを張る職人が帯同している。ミズノ社のストリンガー、市川裕一さんだ。

 サポートを受けている奥原は「会場の環境によって、シャトルの飛び方が変わりますが、現地でオーダーをして微調整をしてもらうことも可能で、本当に良い環境でサポートしていただいています。会場の特徴による違いは(対応を一緒に考えることで)自分も勉強して、今は、その違いを感じて(環境の特徴への対策も)こだわってプレーできています」と感謝を示した。

世界でも珍しい選手専属ストリンガー

バーミンガムまで機材を持ち込み、奥原のラケットにストリングを張るミズノ社の市川さん【筆者撮影】
バーミンガムまで機材を持ち込み、奥原のラケットにストリングを張るミズノ社の市川さん【筆者撮影】

 全英オープンでも、現地で奥原のラケットにストリングを張る市川さんの姿があった。ストリングは、繊細だ。一度張っても、長時間のフライトでは気圧の変化によって、伸びてしまう。また、試合中に切れてしまうこともある。

 多くのトップ選手が、大会中はストリングの調整を現地でメーカーに依頼する。いずれかのメーカーが公式スポンサーとなっており、無償でストリングの張り替えを受け付けることが多いが、選手は契約メーカーによる調整を望むため、スポンサーとなっていない各メーカーも現地のスタッフなどを当地に手配して、選手の要望に応えているケースもある。しかし、奥原のように、専属ストリンガーが大会に帯同するスタイルは、珍しい。

電圧の違いも微調整で対応

 2018年から奥原のサポートをしている市川さんは「試合会場の近くに宿を取り、持ち込んだ機材でラケットにストリングを張っています。海外では電圧が異なるため、同じ数値のテンションに設定しても、使用した感覚が異なるという事象が起こるので、はじめは苦労しました。張る人や機械が毎回違えば、少し感触の違うものになります。私の役目は『同じ数値の設定で作業をすること』ではなく、奥原選手に常に『いつもと同じ』と思ってもらえる状態を作ることなので、現地で私が微調整を行っています」と現地帯同の理由を教えてくれた。

 ほかにないサービスの実現は、地味で大変な苦労の連続だ。機材を持ち込むため頑丈な箱を特注したが、重量オーバーを回避するため、3つに分解することにした。すると、2人ほどで運び込むのも一苦労。タクシーに乗り切れず、2台に分けて荷物を運搬することもある。また、荷物がメインのため、自身の荷物はリュックだけしか持ち込めないなど大変だが、市川さんは大きなやりがいを感じているという。

張りの違いがプレースタイルに影響

プレースタイルに適したストリンギングが、奥原の躍進を支えている【筆者撮影】
プレースタイルに適したストリンギングが、奥原の躍進を支えている【筆者撮影】

 ところで、ストリングの張り方で何が変わるのか。強いテンションでストリングを張れば、シャトルコックは素早く跳ね返り、相手コートへのリターンが速くなる。一方、面に弾力が出ないため、コントロールは難しい。また、高く遠くまで飛ばすロブなども打ちにくくなる。会場の環境やプレースタイルに合わせた調整が必要だ。

 たとえば、風の影響が強い会場では、高く上げる球はコントロールが難しい。低めの球を多用する傾向が強いため、わずかに弾きの強い仕上がりにするなどの工夫が行われる。ミズノ社は、15年に奥原とラケット使用の契約を結んでから、選手の意見を反映させたラケット作りに取り組んだ。同時に、ラケットの性能を最大限に生かすために、市川さんを専属ストリンガーに任命。以降、現地サポートを続けている。

スウィートスポットを広くキープする調整技術

張りが弱ければ緩むが、強過ぎるとフレームは曲がる。ストリングを張っていないフレームと、張ったフレームに違いが出ないのが、市川さんの技術の証明だ【筆者撮影】
張りが弱ければ緩むが、強過ぎるとフレームは曲がる。ストリングを張っていないフレームと、張ったフレームに違いが出ないのが、市川さんの技術の証明だ【筆者撮影】

 市川さんのこだわりは「ラケットのフレームの形を変えないようにストリングを張ること」だ。たとえば、奥原が使用しているミズノ社のラケットは、先端部が細くなっている。そのため、先端付近のストリングを強く張るとフレームが変形して幅が狭まりやすい。すると、面の中央で最も球をコントロールしやすいスウィートスポットが縦長に狭くなってしまい、ラケットが本来持っている性能を生かしきれなくなる。

 意外なことに、ストリングの張り方によってフレームが変形する例が多いという。市川さんがフレームのオリジナルシェイプを大事にするのは、ラケットの性能を最大限に引き出すためだ。

テニス界を席巻した結び方をアレンジ

フレームの内側にある結び目の一つ一つにも、職人のこだわりが詰め込まれている【筆者撮影】
フレームの内側にある結び目の一つ一つにも、職人のこだわりが詰め込まれている【筆者撮影】

 市川さんは、1本1本のストリングをねじれることなく同じテンションで張り、指で弾いて音を確かめながら、電圧や気圧の変化に対応する。フレームの内側には、糸の結び目があるのだが、この結び方には、一流のストリンガーを目指してきた道のりが反映されている。

 市川さんは、大学を卒業してスポーツ用品の販売店に勤務していた2013年、ストリング張り替えサービスの事業拡大プロジェクトを任され、ラケットのスペシャリストとして見識を深めていった。テニスの大会などでは、各ラケットメーカーのブースでストリンガーを務め、国内外のトップ選手のラケットにストリングを張るなど、トップレベルの現場で経験を積んだ。そのうち、自分の腕が世界でどこまで通用するか試したくなったという。

 そこで、パーネルノット(RPノット)と呼ばれるストリングの結び方(ラケットのフレームの内側にあるストリングの結び目)を開発したことで知られる世界最高峰のストリンガー、リチャード・パーネル氏に師事。スペインに渡って学び、2015年に欧州ストリンガーズ協会最高レベルのプロツアー資格(PTS1)を取得した。

 パーネルノットの利点は、緩みにくく、周囲を傷付けにくい特性だ。ラケットのフレームの内側には、ストリングを通すためのグロメットと呼ばれる丸いリングがあり、結び目がそこに引っ掛かる仕組みになっているのだが、結び方によっては、グロメットを通り抜けて緩んでしまったり、きつすぎて摩擦が大きく、ストリングが切れる要因になったりする。バドミントンは特に切れる事例が多いため、市川さんは、パーネルノットをバドミントン向けに独自にアレンジしている。

職人プレー×職人調整で金メダルへ

奥原は16年リオ五輪で銅メダルを獲得。2度目の挑戦となる東京五輪では、金メダルを狙う【筆者撮影】
奥原は16年リオ五輪で銅メダルを獲得。2度目の挑戦となる東京五輪では、金メダルを狙う【筆者撮影】

 わずかな調整のために、学んできた多くの技法を惜しみなく注いでいる。本気のサポートだからこそ、試合では我が身のことのように選手を応援する気持ちになる。自身も幼少期からバドミントンをプレーしてきた市川さんは「選手の勝敗が、自分のことのように嬉しかったり、悔しかったりしますし、すごく光栄だと思っています。その分、責任もあるので、試合中、サポートした選手がラケットを眺めて首をかしげると、すごく不安になりますけどね」と笑った。

 奥原は、2016年のリオデジャネイロ五輪において、バドミントンのシングルス種目で日本勢初となる銅メダルを獲得。翌17年には世界選手権を制した。進化を続けた先で2度目の挑戦となる五輪の目標は、もちろん頂点だ。市川さんが工夫する用具の細やかな調整と、奥原が磨き抜いた正確なストロークという、職人芸の掛け合わせで、東京五輪の金メダルを獲りに行く。

スポーツライター

1979年生まれ。東京都出身。専修大学卒業後、スポーツ総合サイト「スポーツナビ」の編集記者を経て2008年からフリーライターとなる。サッカーを中心にバドミントン、バスケットボールなどスポーツ全般を取材。育成年代やマイナー大会の取材も多い。

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