「息の長い女優が目標」と清水くるみ。現在公開中の主演作では、海底をさ迷うセーラー服の幽霊役に
作品に確実に厚みをもたらす清水くるみ
どんな役であろうとも見る者を納得させる説得力のある人物へと際立たせる――最近の彼女をみていると、そんな作品に確実に厚みをもたらす役回りで輝きはじめた印象のある女優の清水くるみ。
現在公開中の日本とフランスの合作映画「海の底からモナムール」では、セーラー服の幽霊というエキセントリックな役柄に取り組んでいる。
劇場公開はあきらめかけていた
はじめに断っておかなければならないのは、本作は2017年に完成した作品。諸事情が重なり、公開がここまで延びてしまった経緯がある。清水は劇場公開は叶わないと半ばあきらめかけていたという。
「このままお蔵入りしてしまうのではないか?と正直思っていて。考えると少し寂しくなってしまうので、いい思い出として自分の記憶に留めておこうと、ここ最近は思っていました(笑)。
そんな自分の心の中に封印しようとしていた矢先に公開決定の報せが入ったので、まずはびっくりして、その次に喜びがきましたね。
ただ、気づけば撮影は5年ほど前。私も10代を超えてあまり時間の経っていないころで、若い。新作映画なんですけど、まだまだ青いころの自分を見られてしまうところもあって、うれしさと恥かしさが半々というのが正直な今の気持ちです。
今はもうちょっと成長しているので、くれぐれも5年近く前の『清水くるみ』と思ってみていただければ幸いです(笑)」
監督が私を選んだ理由は今も謎のまま
本作は、フランスの巨匠、エリック・ロメールなどの映画音楽を数多く手がけ、日本映画にも影響を受けているというフランスのロナン・ジル監督の長編第2作。オファーは突然の事だったという。
「監督が、私の出演している作品をYouTubeで見たそうで、それで声をかけてくれたみたいなんです。でも、いくら聞いても、なんの作品か教えてくれないんですよ。だから、どの作品を見て、私をミユキという役に選んでくれたのか、いまだにわからない。でも、フランスの監督に私の何かが響いたところがあったからだと思うので、それはうれしかったです」
演じたミユキは、女子高生。とある島の高校に通う彼女は、クラスメイトからのひどいイジメを苦に崖から海へ身を投じる。そのまま海でゴーストとなった彼女は17歳のセーラー服姿で海底をさ迷いながら、唯一自分に優しかった同級生のタクマに思いを募らせる。
ミユキの事件から10年後、高校の卒業以来、島に戻ったタクマは友人や恋人とキャンプで海へ。そこで思いもしない事態に遭遇していく。
作品は、一見するとホラーにみえながら、純愛物語にもとらえられる不思議なテイストになっている。
幽霊というよりもミユキとしていることが大切
自身ははじめ脚本をどう受けとめたのだろう?
「私自身は、はじめ目を通したとき、ホラー映画と思いました。でも、監督と話したら、『ホラーではない』と。そうなんだと思って、改めて演じるミユキの目線で読んでいくと確かに、もうすでにこの世に存在しない女子高生の切ない気持ちの純愛ラブストーリーに思えてきた。『なるほど』と思いましたし、日本人監督とは違う、外国人の監督の感性だと思って、どんな作品になるのかと楽しみになりましたね」
幽霊役を演じたわけだが、なにか意識したことはあったのだろうか?
「幽霊には周りがしてくれるなと思って、どういう佇まいでいようとかあまり意識はしなかったですね。というのも、ロナン監督からは等身大で演じてひとりの女子高生としていてほしいといった指示を受けていて。幽霊というよりもミユキとしていることが大切という意識だった気がします。
実際、幽霊になったミユキは、日本のホラー映画に登場するような、恨みつらみをまとったおどろおどろしい幽霊とはちょっと違いますよね。もう少しナチュラルというか。そのときの姿のまま存在している。海外のゴーストに近い。それはそれで怖さはあるんですけど。
あと、今はこう振り返っていますけど、撮影時は20歳そこそこで。そこまでまだ役を多岐にわたって考察できていなかったと思います。
基本的に私は今もですけど、感覚でお芝居しちゃうタイプで。この役はこうと考えて練って練ってひとつひとつの演技を積み上げて役を完成させるというよりかは、現場で感じたこととかその場の雰囲気とか、自分の肌で感じたことを全部吸収して最後にすべて出すタイプ。今は少し考えるようにはなりましたけど、当時は幽霊だからこうあろうとか、そこまで考えられていなかったと思います。
もっと言うと、自分がそうした感覚的な役者であることを自覚したのはここ数年でのこと。だから、今は俯瞰で自分の演技を見ることができて、いろいろと話すことができますけど、ミユキを演じていたときはまだ俯瞰で見るまでいけていなかったので、ほんとうに感覚のまま演じていたと思います。
監督から『そのままでいてほしい』と言われて、言われるがままいた気がします。だから、20歳の私がそのまま映っているんじゃないかなと思います」
大変だった水中撮影。当時、一番体を張った役だったかも
海の底に漂う幽霊ということでほとんどが水中での撮影となった。
「出演場面の8割は水の中にいたと思います。もう手足はふにゃふにゃになるし、水の中で目をずっと開けているのってけっこう大変なんですよ。
私、視力が悪いのであまりよく見えないから、カメラがどこにあるのかもわからない。水中だから、スタートやOKカットの声もよく聞こえない。
海で暴れる人の足を引っ張らなくてはいけなくて蹴られるし、セーラー服で泳ぎづらいし、ほんとうにわけがわからず、もう無我夢中でやってましたね、水中の撮影は。
当時、一番体を張った作品だと思います(笑)」
制服はチャンスがあればまた着たい
制服に抵抗はなかったのだろうか?
「いや、全然着られます。当時20歳ぐらいでしたし、今も全然いく気持ちはありますよ。周囲から止められるかもしれないですけど、私はチャンスがあればまだ着たいです」
今、ミユキにはこんなことを感じているという。
「絶望する気持ちはわかります。自分の中でも、26年も生きてきてれば絶望の淵に立ったこととかありますから。
だから、ミユキの絶望はわかるんですけど、彼女はなにか自分でできることがあったんじゃないかと思うんですよね。自分でなにか動いた結果がダメで、世の中に絶望してしまうのだったら仕方ない。でも、動いていないのに答えを出してしまうのは残念というか。それが思春期のピュアでまっすぐな気持ちだったりするから否定はできないんですけど、もどかしい。
なにか少しでも希望が見えることがあったら彼女もきっと変わっていた。そう思うと、彼女に同情するところはある。
ただ、結末だから明かせませんけど、あの最後はほんとうに望みだったの?とミユキにききたいですね」
ひとりの映画ファンとしてはこういう感想を抱いた。
「監督がホラーじゃないと言った意味が何となくわかりました。ホラー要素はあるんですけど、確かに、女子高生の切ないラブストーリーというのがすごくわかりました。視点や切り口を変えると、こんなにも違う物語になるんだなと思いました」
自分が救われたドラマ「心の傷を癒すということ」の体験
話は変わるが、ここ数年の彼女を見ていると、ひじょうに役柄の幅が広がっている。コメディからシリアスな作品まで、しかも先に触れたように主人公を支えるような役でしっかりと演じ切って作品に確実に厚みをもたらしている。
個人的に忘れがたいのはNHKで今年の初めに放送されたドラマ「心の傷を癒すということ」。阪神・淡路大震災で自ら被災しながら被災者の心のケアに奔走した精神科医の安克昌をモデルにしたこのドラマで、清水は多重人格に苦しむ患者の片岡心愛という難役を見事に演じ切っている。
「実は、この作品に取り組む前が、ちょっといろいろとうまくいかないことが続いていたんです。
それでけっこう落ち込んでいたんですけど、『心の傷を癒すということ』は自分が今できる100パーセントを出せた感触があって。周囲の人からも『良かった』と言ってもらえた。
自分の手ごたえと周囲の意見がほんとうに一致したことが感じられて、自分がすごく救われたんです。
主演の柄本佑さんとお芝居させていただいたのも大きくて。ほんとうにいろいろなものを吸収させていただきました。あと、NHK大阪のスタッフのみなさんもほんとうに温かくて。ほんとうに当時の私にとってはこの作品も、佑さんも、NHK大阪のスタッフのみなさんもどん底から救ってくださった神様。この作品に関われたことは感謝しかありません。『心の傷を癒すということ』はほんとうに私の中の救世主でした」
主役の女優さんをしっかりと支えられる息の長い女優になれたら
その後も、人気ドラマ「わたし、定時で帰ります。」でまたちょっと違うタイプの女の子を演じたりと、あまり褒め言葉にならないのかもしれないが、脇で輝きはじめている印象がある。
「そういっていただけるのはありがたいです。自分としても息の長い女優になれたらと思っているところはあります。まだまだですけど。
俳優をやっているからには真ん中に立ちたい気持ちは忘れてはいけない。でも、ずっと主演をはっていけるような女優ではないんじゃないかと自分では思うので、主役の女優さんをしっかりと支えられる女優になりたい。たとえば主役の親友役で、その主演の女優さんを支えながらも、自身が演じる役もきちんと輝かせるような技術や経験をすべて身につけたいと今は思っています」
そうなるため、今は演じることと格闘しているところがある。
「今20代半ばに入りましたけど、この歳になってくると現場で周りからあまり助言をいただけなくなるというか。任されるところがある。
そうなったときに、現場にあまり迷惑をかけてもいけないとか、スムースにいっている進行を妨げないようにとかいった考えがよぎって、逃げるわけじゃないんですけど、当たり障りのない芝居でまとめようとしてしまうところがある。それなりに経験もありますから、無難なところでまとめられるものがあったりもするので。それで、結果的に、あまり思い切ったチャレンジをせずになにか守りに入ってしまう自分がいるんですよね。これじゃいけないんじゃないかと思いながら。
だから、時と場合にもよるんですけど、チャレンジするところは臆せずいかないとダメだなと。それこそさきほどお話しした『心の傷を癒すということ』は、安全なところを選ばなかったんですよね。不正解かもしれないけど、自分で『これ』ということを出し切った。もっと挑戦しないとなと思っています。答えのない仕事だと思うので」
まだまだこれからも試行錯誤が続いていくという。
「この間、あるワークショップで初めて教える立場を経験したんですけど、ものすごく勉強になりました。芝居の指導をする側に立ったときに、こういう芝居の表現のアプローチの仕方もあるんだとか、ほんとうに多くのことを吸収できて、改めて学んだんですよね。教える立場なのに。
今まで自分がやってきたことを言葉で説明することで、より理解が深まるところもあって。そのことでより深く考えることもできるようになったし、自分の中で咀嚼してまとめられる感覚もあって、多くの気づきがありました」
大学は総合人間科学部社会学科へ
このように客観的に自己分析をする彼女。そこに起因するのかもしれないが、大学は総合人間科学部社会学科へ進み、人間の尊厳などについて研究をしていた。
「まず、両親の意向で大学進学はマストとしてあって(笑)。で、芸能活動をする身としては演劇学科とかに進むのがたぶん定石ですよね。
ただ、私はあらゆる人間を演じることを考えたとき、芝居について学ぶよりも前に、人の心について知るべきではないかと思ったんです。人の心について学べる場に行きたいと。
で、はじめは心理学部だと思って調べてみたら、心理学って、脳の仕組みといった脳そのものについて調べたりすることが主体とわかって、これは私が求めていることではない。さらに調べたところで、社会学にたどり着いた。
社会学は、社会心理学とか、犯罪社会学とか、家族社会学とかほんとうに幅広くて。いろいろな角度から人の心について考えることができる。犯罪心理学だったら、犯罪者の心理が学べるし、社会心理学だったら、社会の中でこういう人の動きがあってこういう文化が生まれたとかがわかる。それで、ここだと思ったんです」
実際に学んで得たことは多いという。
「記憶に強く残っているのは、レポートに追われたり、テストの連続と、大変だったことばかりなんですけど(苦笑)、いい時間を持つことができました。
朝ドラを社会学的に考察して、時代の変化とともに朝ドラのヒロインの描き方も変わっていっていることを検証したりとか。自分に関わりがあって考えたかったことをある程度は極められたかなと思っています。
日本の芸能で生まれた作品を社会学的見地から考えられたのは、けっこう大きくて、今後にもつながっていくんじゃないかなと感じています。ドラマひとつとっても昔は男性上位だったのが、今はやはりそれなりにかわってきている。昔は男性を慎ましく支えるのがヒロインだったりするけど、今は結婚しないでひとりで働いて生きていく女性がヒロインになることもめずらしくない。
時代が変化する中で、どういう作品が求められるのかは、どういう人物が求められるのかにもつながってくる。そのことをキャッチして敏感に反応できるのは俳優にとって演じる上でフィードバックできるところがある。たとえば、ある人物を演じるとなったとき、こう演じた方がより共感を呼ぶ役になるとか、演じる上でのひとつの指針を与えてくれる。
また、今自分はこういう時代の流れの中に女優として身を置いているんだなということもわかったところがある。そういうことを含めて大きな学びになったなと思っています」
プロデュースはチャレンジしてみたい
そういうことから今自身にひとつ変化があるのだとか。
「もちろん演じ手としてこれからもやっていきたいと思っているんですけど、自分の中にプロデューサー的な脳といいますか。制作側への意欲みたいなものが出てきているんです。つい今の世の中にどのような作品を届けるべきかとかけっこう考えちゃう。
プロデュースはすごく興味があって、やってみたいです。作品を見てあれこれと分析するのは好きだし、この役者さんがこういう役をやったらぜったいにハマるとか、勝手に考えています」
「海の底からモナムール」
監督・脚本:ロナン・ジル
出演:桐山漣 清水くるみ
三津谷葉子 前野朋哉 杉野希妃
場面写真はすべて(c) Besoin d’Amour Film Partners