Yahoo!ニュース

トレードとはかくもあっけないものなのか。さらば、伊藤光。新天地での再ブレイクにエールを送る

阿佐智ベースボールジャーナリスト
電撃トレードが発表された伊藤光。日本を代表する捕手になるポテンシャルは十分にある(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

 突然のニュースだった。

 通常ならば、さほど驚かなかっただろう。なぜならば、十分に予想できたことだから。彼の力量を考えると、欲しい球団はいくらでもあるだろうから。現在置かれている立場と、その実力にギャップがありすぎる選手、それが私の伊藤光評だった。

 名門・明徳義塾高校から2007年の高校ドラフト3巡目でオリックス入団。捕手という経験値がものをいうポジションにありながら、ルーキーイヤーから一軍の舞台に立ったことは、球団の期待のあらわれだったと考えていいだろう。その後、椎間板ヘルニアという選手生命の危機がありながらもこれを乗り越え、ながらくオリックスの正捕手に君臨していた日高剛にかわる正捕手として2013年には規定打席数に到達、捕手としては十分すぎる.285の打率を残し、オールスターゲームにもファン投票で出場した。

 翌2014年も正捕手としてオリックスのホームベースを死守し、ソフトバンクとのデッドヒートの中心的存在として活躍した。シーズンの雌雄をほぼ決めることになる「10.2決戦」の死闘、延長戦でサヨナラヒットを浴び、優勝を逃した瞬間、ホームベースでうなだれ、人目を憚らず号泣した彼の姿に全国の野球ファンは胸打たれた。そして、このオフには前年オフに引き続いて侍ジャパンのユニフォームにも袖を通し、日米野球に出場している。

 この時、ジャパンのバッテリーコーチをしていた矢野耀大(現阪神二軍監督)に話を聞いたことがあるが、矢野は、「レギュラーシーズン最後の涙はね、ちょっと」と苦言を呈しながらも、「彼はまだまだ伸びますよ」と、日本球界を背負って立つ捕手になると期待をしていた。

 ところがである。その翌年から伊藤の成績は急降下する。春先から恒例の侍ジャパン強化試合にも出場し、開幕戦にもマスクをかぶったものの、次第に出番を減らし、二軍落ちも経験する。チームの低迷のため森脇浩司監督がシーズン途中で休養すると、チーム低迷の責任をひとりで背負い込まされたようなかたちで、投手が打ち込まれると、伊藤のリードのまずさが指摘されるようになった。

 そして、2016年に現監督の福良淳一が正式に指揮を執るようになると、チームは若い若月健矢を育てる方向に舵を切る。この年、投手陣が火だるまになった後、ベンチで伊藤が首脳陣から激しい叱責を受ける映像が流れた頃には、ファンの間でも、伊藤の立場がチーム内で極度に悪化していることが噂されるようになった。実際、「伊藤光」とネットで検索すると「干される」と言葉が続けて出てくる。

 伊藤の打力が現首脳陣からも評価されていたことは、昨年、サードの練習にも取り組まされ、公式戦でもスタメン起用されていたことからうかがえる。若月も強肩だが、伊藤もセカンド送球には定評がある。要はリード面が現体制から評価されていないのだろうが、しかし、確かな正解のないリードに関してはもう指導者の好みとしかいいようがないのではないだろうか。

 この頃の伊藤は確かに野球を楽しんでいなかった。一昨年、ファームの試合を取材したときの伊藤は、ここですらスタメンマスクをかぶらせてもらえなかった。そういえば、伊藤の前の正捕手、日高剛も晩年は、ファームの試合でファーストの守備位置についていた。そして、伊藤にポジションを奪われた日高は、機会を求めてFAでチームを去った。厳しいプロの世界、力の落ちた者は去るしかないのだが、この時の伊藤は、まだ27歳。衰えとはまだ無縁だった。髪を派手な金色に染め、試合中、ベンチ前で投手の球を受けているその表情は完全に曇っていた。

今シーズン開幕スタメンでスタートを切ったものの、打撃不振で4月中旬には早くもベンチを温めることになった(筆者撮影)
今シーズン開幕スタメンでスタートを切ったものの、打撃不振で4月中旬には早くもベンチを温めることになった(筆者撮影)

 そして今シーズン、伊藤は開幕スタメンマスクを勝ち取った。しかし、7試合で16打数無安打という成績に、正捕手の座は若月の手に戻った。しかし、首脳陣期待の若月も、課題の打力を克服できず、昨年ようやく手にしたと思われた正捕手の座をベテランの山崎に脅かされている。まるで、数年前の伊藤のように。そのような状況でも、伊藤に声がかかることはなかった。

 昨日、9日、私はファームの取材に大阪舞洲にあるバファローズスタジアムにいた。試合前のフィールドには伊藤の姿はなかった。3ケタの背番号を背負った捕手がかわるがわるマスクをかぶったその試合を観ている中、震えたスマホの画面を見ると、伊藤と投手の赤間謙が、横浜DeNAにトレードされた旨が報じられていた。

 

 試合後、スタンド下の通路にトレーニングウェア姿のふたりがいた。試合を終えた選手、コーチに頭を下げていた。ある種のシャッターチャンスではあるのだが、カメラを向けることはやめた。

「ある意味、本人にとってもいいチャンスですよ。お願いします」

 球団関係者がそう言った相手はDeNAのスタッフだった。そのままふたりを連れて行くのだと言う。

 選手、コーチ、監督、そして球団スタッフたちが、ふたりに声をかけ、手を握る。しかし、その声掛けも傍目から見れば非常にあっさりしたものであった。伊藤も赤間も、感情を押し殺したような不思議な表情で挨拶を続けている。確かにプロ野球の世界、トレードなどは日常茶飯事のこととして受け取らねばやってゆけないのだろう。

 しかし、ふたりにも家庭があり、生活がある。それがあっという間に激変してしまうのだ。その瞬間を今自分は目にしている。

 伊藤の入団時を知る、かつてのオリックスの正捕手、三輪隆育成コーチだけは、その姿を見るなり伊藤を抱きしめた。

「チャンス、チャンス」

 そう、伊藤光はまだ錆びついてはいない。これは求められてのトレードである。現在正捕手不在のDeNAにあって伊藤はのどから手が出るほど欲しい存在のはずである。そういえば、伊藤の将来を期待していた矢野も、中日では出番を得ることができず、阪神にトレードされてからその才能を開花させ、リーグを代表する捕手となった。

 当時の矢野の年齢は、29歳。伊藤と同じ年齢である。伊藤光のこれからに期待したい。

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

阿佐智の最近の記事