ケンタッキーダービーにクラウンプライドと共に挑む男達のストーリー
「ドバイで出来た接点
アメリカのケンタッキーダービー(GⅠ)に挑むのがクラウンプライド(牡3歳、栗東・新谷功一厩舎)だ。
同馬の面倒を見ている調教助手の松田全史と私は20年以上の仲。イギリスやフランスなど、世界中で顔を合わせている。そんな流れで今春のドバイでも食事をした。その席で、彼は言った。
「ここは通過点だと考えています」
2011年にはこの地で毎朝、ヴィクトワールピサに跨った。結果、ドバイワールドC(GⅠ)を優勝した。かの地の最大のレースを制した事で、今年のUAEダービー(GⅡ)への参戦は「挑戦ではなく、通過点にしないといけない」と自らに言い聞かせていた。
その食事の席に、もう1人、男を呼び、松田に紹介した。
上原佑紀。ダイワメジャー等を育てた調教師・上原博之の次男で、調教師試験に受かったばかり。開業までの比較的自由がきく時間を利用して、現地入り。同じくUAEダービーに挑戦する武幸四郎厩舎のセキフウを手伝っていた。
そんな上原を、松田はクラウンプライドがUAEダービーを制した後、アメリカ遠征に誘った。
「英語も堪能だし、獣医師免許もあると聞いたので、助けてもらえると思って、調教師に進言しました」
これを受けた新谷は言う。
「現場の事は現場の人間が1番分かっているので、松田さんがそう言うなら、心強い味方になるのだろうと、承諾しました」
緊張する間もなくラッキー7
指揮官にも様々なタイプがあるが、新谷は最終的な決断や責任こそ担うものの、道程に関しては「現場に出来る限り口を出さないようにする」と語る。
この思考に至るまでには彼自身の1つの大きな経験がかかわっていた。
初めて彼と言葉をかわしたのは05年。オーストラリアの事だった。当時、森秀行厩舎で調教助手をしていた彼は、森の指示の下、長期で豪州に滞在していた。
「トーセンダンディらが遠征していた他、現地の馬の調教もつけていました。馬を運ぶのも自分達でやるような環境でしたが、森調教師は一切余計な口出しはせずに任せてくれました」
それが礎となった。
その当時、こんな事もあったと続ける。
「現地で最初からかかわった馬が新馬勝ちをした時の感動は今でも忘れません」
今回のアメリカへは1日の日曜日に日本を発ち、ダラス経由で翌2日にケンタッキーダービーの舞台となるチャーチルダウンズ競馬場近隣のルイヴィル国際空港へ降り立つ予定でいた。ところが……。
「乗り継ぐ予定の飛行機が欠航になったので3カ所も経由して、しかもルイヴィルではなくレキシントンの空港に到着してそこから陸路を移動して来ました」
枠順抽せん会に滑り込みで間に合うと……。
「1番最初に呼ばれたので、緊張する間もなく抽せんをすると7番を引けました」
新たなるパートナー・ルメールの感触
クリストフ・ルメールもまた、飛行機トラブルのため経由先で5時間待たされた。しかし、枠順を聞くと笑顔で「ラッキー7ですね」と言った。
UAEダービーでは高柳大輔厩舎のレイワホマレに騎乗。その最終追い切りでクラウンプライドと併せた時、次のようなエピソードがあったと語る。
「こちらの走りも悪くなかったけど、クラウンプライドの手応えが抜群で、ギューンと伸びていきました。それですぐに『凄いですね?!』と声をかけました」
声をかけられたクラウンプライドの鞍上で松田は答えた。
「UAEダービーを勝ってケンタッキーダービーへ行く予定です!!」
ルメールは更に返したという。
「じゃあ、その時は僕を乗せてください」
瓢箪から駒ではないが、それが実現する形で今回の遠征となった。
現地時間4日の朝、クラウンプライドの最終追い切りにルメールが跨った。
ダービー、オークスの出走馬はハロー掻け直後の7時30分から馬場入り出来る。しかし、最終追い切りという事で前運動に時間をかけたいクラウンプライド陣営は競馬場側にリクエストをして約20分前から向こう正面の引き込み線部分に入れてもらえる許可を得た。まずは松田が乗ってそこでじっくりと乗り運動。その様子を見るルメールに上原が最終的な確認をした後、乗り手が交代。新パートナーを背に本番へ向けた最後の追い切りが行なわれた。
その様子をスタンドから見届けた新谷は言う。
「無理する事無く、最後まで好手応えで、それでいてしっかりと伸びてくれました。良い追い切りでした」
上がって来たルメールもその言葉に首肯して語った。
「手前を勝手に変えてくれたし、コーナーもグイッと体を傾けて最後も自分から伸びてくれました。ポテンシャルの高さはよく分かったし、状態の良さも感じました。馬場も日本より軽くて走りやすかったので問題ないです」
それぞれの想い
再び上原の弁。
「僕も何回か跨らせてもらい、本当に状態は良いと思います」
思惑通り「上原調教師が力になってくれている」と語る松田は言う。
「上原調教師は調教後のクラウンプライドの筋肉のハリをチェックしてくれる等、助けてくれています。僕自身はトレセン入りする前に社台ファームで勉強させてもらっていたので、吉田照哉オーナーをウィナーズサークルにお連れ出来るように頑張ります!!」
そんな松田に言われて「ハッとした事があった」と言うのが新谷だ。
「松田さんに『アメリカは毎年2万頭くらいの生産がある中で、ダービーに出られるのは20頭だけですから本当に名誉ですね』と言われ『あ、そうだ、これがダービーなんだ!!』と改めて背筋が伸びました」
果たして今回、豪州の新馬勝ちを上回る感動が得られるだろうか……。
ルメールもまた松田との会話を述懐する。
「『ルメールさん、歴史を変えましょう!!』と言われました」
これに対し、次のように答えたと続ける。
「違うよ、マサ。新しい歴史を作るんだよ」
現地時間7日、日本時間8日早朝にケンタッキーダービーのゲートが開く。日本競馬界にとって新しい歴史が作られるのか。応援しよう!!
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)