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父は夏の甲子園を制した名将。花咲徳栄・岩井監督の長男が背負っているものと将来の夢

上原伸一ノンフィクションライター
花咲徳栄高3年の岩井福。父は夏の甲子園を制した岩井隆監督だ(筆者撮影)

父のもとでプレーする自信はなかった

父親が監督で息子が選手。こういう話は高校野球でもたまに聞く。だが、全国制覇を果たした監督が父親となると、その数はかなり少なくなる。

現在行われている埼玉大会。甲子園優勝監督である父のもとで、5年ぶりの夏の甲子園を目指しているのが、花咲徳栄高の岩井福(ゆたか、3年。以下、福)だ。父・岩井隆は2017年、埼玉県勢初となる夏の日本一に導いた。

背番号は「17」。レギュラーではないが、2年秋から、控えの外野手兼代打要員としてベンチ入り。3塁コーチャーも務めている。

ただ、すんなりと花咲徳栄高への入学を決めたわけではなかった。「進路選びの際はかなり迷いました」。福は振り返る。

強豪の狭山西武ボーイズ(硬式)でプレーしていた中学時代、ポジションをつかめなかったからだ。同期には今年のドラフト候補である片井海斗(二松学舎大付高3年)らがおり、選手のレベルは高かった。

「そういう自分が、父が監督だからという理由で、(春、夏通算12回の甲子園出場がある)花咲徳栄高に行っていいものかと…父も僕の気持ちを察してか、『こういう学校もあるぞ』と、いくつか選択肢を示してくれました」

決断できずにいた福の背中を押したのが、狭山西武ボーイズの小野剛会長の言葉だった。

「小野さんから『頑張ってベンチに入れば話題になるし、岩井先生も喜ぶぞ』と言われたんです」

岩井監督は福が花咲徳栄高に入学することになっても、特別な話はしなかったという。「グラウンドでは親子でない」などと、覚悟を問うこともしなかった。

「何も伝えませんでした。かえって関係がぎくしゃくしますからね。一緒にやるのがどういうことか、よくわかっているはずですし」

室内練習場でノックの順番を待つ岩井福。高校入学後に出場機会を求めて捕手から外野手に転向した(筆者撮影)
室内練習場でノックの順番を待つ岩井福。高校入学後に出場機会を求めて捕手から外野手に転向した(筆者撮影)

10歳の時に問われた覚悟

そう、福はとっくに覚悟を決めていた。話はこの5年前にさかのぼる。チームに入って野球をしたいと言い出した息子に対し、岩井監督はこう考えていたという。

「まだ小学3年でしたし、他のスポーツを経験してからでもいいのでは、と。それに入りたいチーム(新所沢ライノーズ)が、地域では強いところでしてね。果たしてやっていけるのかと、そこも気がかりでした」

そこで岩井監督は10歳の福に問いかけた。

「入ったら簡単にやめられないぞ。途中でやめたら、(高校野球の監督をしている)岩井の息子なのにと言われ、自分が恥ずかしい思いをするよ。それはわかっているか、と聞いたんです」

福はやがて、問いの意味を知ることになる。小学3年だった2015年は、花咲徳栄高の夏の県5連覇が始まった年である。2年後には全国制覇を達成。岩井監督の名は全国区になり、地元・埼玉では誰もが知る存在になった。

「野球をしていると『あれが岩井監督の息子らしいよ』といった声が耳に入ってくるんです。いつも周りの目を気にしながらプレーしてました」

岩井監督は、平日はグラウンドに隣接している合宿所に泊まり込み、家に帰るのは日曜日の晩だけ。福は小学、中学とほとんど、技術的な指導をされたことはないが、1度だけ強烈な「特訓」を受けたのを覚えている。

「小学4年の時です。父が初めて試合を見に来てくれたんです。当時は捕手をしていて、父からは『捕手は絶対にボールを後ろに逸らしてはいけない』と聞かされていたので、とにかく止めようと。でも緊張のあまり、バウンドしていない投球まで胸で止めてしまって…家に帰ったら、特訓が待ってました」

岩井監督は「(教え子で現・オリックス・バファローズ捕手の)若月(健矢)とストップの練習をしていた時のような感じだったかもしれません」と笑う。

父の前で「晴れ姿」を見せられたのが、小学6年の時だ。副主将で4番打者だった福は、埼玉8地区の代表が集結する「ウィナーズカップ」に出場。埼玉の「聖地」である県営大宮球場でプレーした。「いつもはグラウンドにいる父をスタンドから見ていたんですが、この時は父も僕も反対の場所にいました」。福少年は誇らしかったに違いない。

選手としてプレーするのは今夏が最後。大学では裏方に回り、分析や指導者になるための勉強をするつもりだという(筆者撮影)
選手としてプレーするのは今夏が最後。大学では裏方に回り、分析や指導者になるための勉強をするつもりだという(筆者撮影)

探求心の強さは子供の頃から

福は野球を始めた頃から、野球を見るのも、野球関係の本や専門誌を読むのも好きだった。高校野球の知識も豊富になり、岩井監督が自宅に帰ってくると質問を浴びせた。

「こちらは家にいる時くらい、野球から離れたいのに、夕飯の席で、あの選手は実際はどうだとか、いろいろと聞いてくるんですよ(苦笑)」(岩井監督)

小学時代から野球の知識欲が旺盛だったことは、高校で活かされ、ベンチ入りにもつながった。

「外野なら試合に出られる可能性があると自ら転向し、努力をしてました。それも認めてましたが、1人の野球部員として、私がやりたい野球をよくわかっているのも、ベンチ入りの決め手の1つになりました。福なら他の選手に真意を伝えられるのでは、と思ったのです」

福は「野球を見る目」も評価されており、対戦校の視察や分析の担当にもなっている。

険しい道のりを経て、メンバーの座をつかみ、初めて花咲徳栄高で背番号を付けた時は、足がふわふわしたという。「(2年秋の)県大会が始まってからも浮ついてました」。そんな福の姿勢を正したのはある新聞記事だった。

「2回戦で代打に起用されたんですが、それだけで“岩井監督の長男が県大会初出場を果たした”と書いてありまして。父のもとで野球をするのはこういうことかと、その重さがよくわかり、言動や行動により気をつけるようにもなりました」

代打要員でもある岩井福。昨秋の県準々決勝では代打で公式戦初安打をはなった(筆者撮影)
代打要員でもある岩井福。昨秋の県準々決勝では代打で公式戦初安打をはなった(筆者撮影)

選手として苦労したのもあり、メンバーに入れない同級生の気持ちにも寄り添っている。

「守備だけ見たら、あるいはバッティングだけ見たら、自分より上の同期はいます。なぜ自分は背番号をもらえたのか、果たすべきことは何なのか、それはいつも考えています」

前U-18日本代表監督の言葉も励みに

福は入学以来、父親を「岩井先生」と呼んでいるが、父と子であることは変わらない。監督の息子だから味わった苦い思いもあった。

「岩井先生が選手に求める野球はとても難しいんです。練習試合で相手校の監督さんが指摘しないようなことも指導されます。なかには理解できない選手もいて、何でそこまで…という声が耳に入ることもあります。監督であっても父なので、はじめは複雑でした」

一方で、監督が父だから生まれた出会いもある。岩井監督は練習試合の際、相手校によく知る間柄の監督がいると、必ず福に挨拶をさせた。福は大学では裏方に回り、野球を学びたいと考えている。「教員免許の資格を取りながら、アナリストと指導者の両方の勉強をするつもりです」。それを知っての、人脈作りのサポートでもあるようだ。

今年3月の四国遠征では、福は明徳義塾高の名将・馬淵史郎監督にも挨拶をしている。岩井監督は昨年までU-18高校日本代表の監督を務めた馬淵監督をヘッドコーチとして支えた。

いつものように「花咲徳栄3年の岩井です。いつも父がお世話になっております」と頭を下げると、こんな話をしてくれたという。

「馬淵監督には『父親が監督だと嫌な思いもするだろうが、我慢してついて行けば、きっといい景色が見られる』と言っていただきました。あれだけの(甲子園には通算で37回出場)実績がある方の言葉は大きな励みにもなりました。馬淵監督も息子さん(烈氏、現・拓殖大監督)が選手だった時は苦労されたようで、岩井先生の立場も代弁してくれました」

野球人として父を超えたい

岩井監督は高校野球を通して、福が成長したと感じている。「もともと一本気な性格で、これはこうと決めつけがちなんですが、他人やチームはそんなに簡単でなく、一筋縄ではいかないと、よくわかったようです」。

そしてこう続けた。

「福が高校野球を終えて、少し経ったら、野球の話をしてみたいですね」

父である岩井隆監督は福が高校野球を終えて少ししたら野球の話をしたいと思っている(筆者撮影)
父である岩井隆監督は福が高校野球を終えて少ししたら野球の話をしたいと思っている(筆者撮影)

福には夢がある。「野球人」として父を超えることだ。

「父が前監督の稲垣人司さんから教わった技術論をベースに指導法を築き上げたように、僕も父の野球に科学的な根拠や裏づけをプラスしながら、さらなるものを作りたいと思っています」

ところで、花咲徳栄高の1年には次男の虹太郎がいる。狭山西武ボーイズでは中軸を打っていた内野手だ。岩井監督いわく「福とは全く違うタイプ」。兄の福も「僕はプレーするよりも野球を見ることが好きでしたが、虹太郎は真逆。本能でプレーする選手です」と弟を見ている。

岩井親子の物語はまだ第1章の途中だが、第2章も控えている。

ノンフィクションライター

Shinichi Uehara/1962年東京生まれ。外資系スポーツメーカーに8年間在籍後、PR代理店を経て、2001年からフリーランスのライターになる。これまで活動のメインとする野球では、アマチュア野球のカテゴリーを幅広く取材。現在はベースボール・マガジン社の「週刊ベースボール」、「大学野球」、「高校野球マガジン」などの専門誌の他、Webメディアでは朝日新聞「4years.」、「NumberWeb」、「スポーツナビ」、「現代ビジネス」などに寄稿している。

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