新型コロナウイルス 全国一斉休校の是非 学校教育の立場から考える
衝撃的な「要請」だった。
昨日安倍首相は、全国すべての小学校・中学校・高校・特別支援学校等に、3月2日から春休みまでの期間、臨時休業とするよう要請する考えを表明した。感染症対策として、子どもが集まる学校を休みにすることの効果が見込まれる一方、学校や家庭は突然の知らせに混乱に陥っている。
■いつもと変わらぬ学校に…
これまで感染症においてはインフルエンザ対策として、局所的(特定の学級や学校)で短期的(長くて一週間)な臨時休業は、たびたび実行されてきた。今回は、全域的(全国すべての小中高校等)で長期的(約3週間)な臨時休業であり、前代未聞の決断と言える。
さて、私自身は学校安全に関心をもっているが、感染症の専門家ではない。ただ、すでに新型コロナウイルスの感染が拡がっていることを踏まえれば、全国一斉休校もやむなしと評価したくなる。
私はこの数週間、各地の教員の声を聞く中で、全校での集会等がとりやめになっているとはいうものの、それでも学校はややのんびりしているのではないかという危機感をもっていた。
学校は年度内に、教科書による指導を確実に終えなければならない[注1]。ところが、臨時休業の可能性が高まっているにもかかわらず、多くの小学校では3月の荘厳な卒業式に向け、例年と変わらず着々と準備が進められているようだった。
近いうちに休校になるかもしれない。卒業式は規模縮小も避けられない。だが、教科書を優先的に終えようとするわけでもなく、荘厳な卒業式のために時間が費やされていた。
■首相による「要請」の強制力は?
学校はやるべき業務が多すぎて、目の前のことをこなすのに精一杯だ。迫り来る危機に十分な備えができていない。
このような状況においては、学校みずからのマネジメントによる感染症対策を待つわけにはいかない。緊急性が高く、かつ安全・安心に関わることについては、行政のリーダーシップに期待したくなる。その意味に限定して言えば、首相がトップダウンで全国一斉休校を要請したことは、よく理解できる。
だが原則に立ち返るならば、下記のとおり、感染症予防のための臨時休業は、学校保健安全法第20条により、学校の設置者の権限と定められている(通常、実務は同法第31条により、校長に委任されている)。
上記の「学校の設置者」とは公立校の場合には地方公共団体を指し、教育委員会が学校の管理運営について最終的な責任を負っている。つまり、感染症予防のための臨時休業は、けっして首相や文部科学省の権限ではなく(さらには地方公共団体の首長の権限でもなく)、教育委員会の権限である。
首相からの「要請」という点では、その影響力はとても大きい。だが、臨時休業の実施やその期間を判断する主体は、あくまで教育委員会である。
■患者数報告の都道府県格差
私が教育委員会の判断を強調する理由は、もう一つある。それは現時点では、感染者数の都道府県格差がきわめて大きいからだ。
厚生労働省の発表によると、27日12時時点において全国で156名の患者(チャーター便とクルーズ船の患者を除く)が確認されている。多い順に北海道が38名、東京都が33名、愛知県が25名と、計16都道府県で感染者が報告されている。その一方で残り31県では、報告された感染者数はゼロである。
これは検査をとおして「新型コロナウイルス感染症」と診断された数であって、診断の網にかかっていない感染者がどれだけいるかは、もちろん誰にもわからない。そうは言っても現時点ではまだ、都道府県間で感染の拡がり具合にはそれなりの差があると推測される。
そうだとすれば、いまのところは各自治体の判断が尊重されたほうがよいように思える。感染のリスクを軽視するという意味ではなく、校内で感染防止の対策を徹底しつつも、全国一斉の休校に急ぎ踏み込むのではなく、各教育委員会でそのタイミングを精査してもよいのではないだろうか。
■家庭の体制は万全か?
リスク研究の分野には、「目標リスク」と「対抗リスク」という言葉がある。前者は、低減されるべきリスクで、後者はその低減によって増大してしまう新たなリスクを指す[注2]。たとえば、頭痛(=目標リスク)を減らすためにアスピリンを服用したとき、胃痛や潰瘍(=対抗リスク)が引き起こされるような事態を考えるとよい。
全国一斉休校は、感染症(=目標リスク)の対策としてはそれなりの効果があるのだろう。だが、学校関係だけが動いて、事態が落ち着くものではない。
なぜなら、学校を休めば、子どもは自宅にとどまることになるからだ。はたして、家庭の受け入れ体制は万全なのだろうか。
インフルエンザの感染症予防のように局所的で短期的な臨時休業であれば、個々の家庭が臨機に尽力してなんとか乗り切りうるのだろう。だが今回は、全域的かつ長期的な休業である。家庭への負荷(=対抗リスク)は、インフルエンザのときと比較にならない。
とりわけ、保護者が一人の家庭あるいは非正規雇用の家庭にとっては、子どもの面倒をみるために連日仕事を休むこと自体が難しかったり、それによってもたらされる不利益がとても大きかったりする。しかもその役割が母親に課せられることで、女性が多い職場に負の影響が偏って生じうるという懸念も聞かれる(2/27:AERAdot)。
また保護者側の負荷だけでなく、そもそも家にいることがしんどいと感じている子どもたちにも目を向けなければならない(拙稿「夏休みがつらい 家庭に居場所がない子どもたち」)。とくに今回の休校の場合には、部活動も中止になるはずだ。学校という居場所はなくなり、家庭という場に子どもたちは長期間にわたって身を置かざるをえない。家庭からの逃げ場(かつ感染のリスクが低い場)も考慮したい。
■学校を超えた関わりで臨時休業を支えていけるか
新型コロナウイルスへの対応は、学校関係だけが動けばよいということではないはずだ。企業(保護者)の働き方改革や、子どもの居場所づくりなど、多面的な対応を同時に進めなければ、対抗リスクが増幅していくことになる。日本社会全体での取り組みが不可欠だ。
最後に念のため、私はけっして臨時休業を取りやめるべきと主張しているのではないことを確認しておきたい。
学校はそもそも、感染症や自然災害等の不測の事態に備えて、多めに登校日数を設定している。また、3月の卒業式(や卒業生を送る会)とその練習は中止にしたところで、法律的な問題が生じるわけではない(拙稿「卒業式の練習 必要か?」)。
だから、臨時休業という選択は大いにありうる。対抗リスクを見極め、また企業の協力も得ながら、各自治体が限られた時間のなかで有効な答えを出していくことを期待したい。
- 注1:ただし授業内容だけは、消化しなければならない。学校は国が定めた年間の標準授業時数にしたがって、年度内に授業をおこなう必要がある。2019年度についていうと、たとえば小学校5・6年生は年間995時間(2020年度は1015時間)、中学校では各学年1015時間(2020年度も同じ)である。なおここには、学校行事の時数は含まれていない。つまり、卒業式を含む行事に充てるべき時数が決まっているわけではない。
- 注2:Graham, John. D. and Jonathan B. Wiener eds., 1995, Risk vs. Risk, Harvard University Press. (=1998、菅原努監訳『リスク対リスク』昭和堂。)