2011年春 シリア紛争"10年前”の私的記録
自由を求める民衆蜂起から10年
2月21日、米CBSテレビの看板番組「60ミニッツ」が、シリア紛争10周年に合わせて「シリアのバシャール・アサド大統領と彼の政権による戦争犯罪レガシーの証拠」という特集を放送しました。
The evidence of Syrian President Bashar Assad and his regime's legacy of war crimes - CBS News
大量拷問処刑、病院や学校への空爆、一般住民への毒ガス攻撃などの戦争犯罪を大規模に続けてきたアサド政権は、ロシアとイランの支援と、その他の国際社会による放置によって、今も存続し、人道犯罪を続けています。
民衆蜂起「前夜」
10年前、自由を求める人々が立ち上がったとき、よもや10年も非道な弾圧と殺戮が続くとは、筆者はもちろんわかってはいませんでした。では当時、どのようなことが起きていたのでしょうか?
筆者はブログで事態の推移を記録していました。2011年2月から3月にかけての経緯を、振り返ってみたいと思います。
まず、民衆蜂起が始まる約1か月前、筆者は“アラブの春”のシリアへの波及について、こう書いています。
(※アシフ・シャウカトはアサドの義兄)
(※文中クリックすると元ブログにリンクします。以下同)
その頃、すでにチュニジアやエジプトの政権は打倒されていて、リビアなど他の国々でも民衆蜂起が始まっていましたが、シリアは極端な強権体制にあり、筆者も、民衆デモで政権を倒すのはなかなか難しいとみていました。
同2月末頃には、すでにリビアが凄惨な内戦化していましたが、シリアについては筆者はこう記しています。
シリアではまだ民衆蜂起は発生していませんが、アサド政権が警戒を強めていたことがわかります。
東日本大震災とほぼ同時期に発生
異変の第一報は、3月6日に入りました。筆者は「シリアで反政府デモ?」と題して記しています。
シリア紛争の発端は、首都ダマスカスや他の数カ所の大きな町で民衆デモが始まった3月15日ということになっていますが、実際にはその引き金となる事件が3月6日に一部のアラビア語サイトで漏れ伝わっていました。マスメディアではまだ報じられていなかったので、筆者も半信半疑でしたが、後にこの書き込みの情報は正しかったことが判明しています。
シリアに古い知己が多い筆者にとっては、非常に気になる情報でしたが、その後、3月11日に東日本大震災が起きます。筆者の郷里は福島県いわき市なので、郷里の友人や親族と連絡をとりつつ、心配の日々を過ごしました。読み返すと、筆者のブログもこの時期は原発事故に関するものが続いています。
いずれにせよ、この時期の筆者にとっては故郷の福島県と、第2の故郷ともいえるシリアの両方で、たいへんな事態が発生したことになりました。シリアについては3月18日に短い記述があります。
撮影者や発信者の心の叫びが聞こえるような「動画」
ところで、“アラブの春”の画期的なところは、携帯電話の普及により、現地からの動画がどんどんとネットで発信されたことですが、シリアでもそれは同様で、3月19日には最初の動画が筆者のところにも回ってきました。
(ちなみに、筆者はシリア紛争勃発当初、シリア国内・国外の知人たちとスカイプなどを通じて連絡をとり、情報を集めていたほか、英文でFacebookのアカウントを作り、そこから動画や情報を入手していました)
この日、筆者は「シリア民主化デモ弾圧の映像」とのタイトルで、以下のように記しています。
ヨルダン国境に近い南部のダラアで、少なくとも3000人が民主化デモに参加し、治安部隊の発砲で4人が死亡、多数が負傷したことが国際メディアで確認されました(ネットでは6人死亡と流れています)。
この時の私自身にとっての動画第1号は、今でもYouTubeに残っています。すごい臨場感の映像ですが、今後、こうした動画が毎日のようにシリア各地から発信されていくことになります。撮影者や発信者の心の叫びが聞こえるような動画です。以下にリンクします。
▽「2011年シリア/治安部隊によって1名射殺」(3月19日)
ネットの発達で紛争をほぼリアルタイムに体感
じつは筆者は1980年代半ばから1990年代半ばにかけて、世界各地で紛争地の取材をしてきました。自分でも紛争現場の写真を撮影しましたし、世界のカメラマンたちが撮影した多くの写真や動画も見てきました。
ところが、世界中にスマホが普及した時代になると、まさに現場から凄まじい動画がどんどん発信されてくるようになってきました。これは現場を知るツールとしては画期的なものでした。
デモ隊を殺戮するアサド政権側からは「デモ弾圧映像はカタールで撮影されたヤラセ」だとか、「ネットの動画など信用できない」だとかのプロパガンダが拡散されていましたが、巨大なSNSの世界では「事実だ」と裏づける証言が膨大に飛び交い、あっという間に大量の現地発情報の波が、アサド政権側のプロパガンダを凌駕していきました。
筆者はその頃、「革命をリアルタイムで体験できる時代」というエントリーを書いています。
現場からの弾圧映像の衝撃
また、そのすぐ後には、「シリア反政府運動の過程を実況する現地映像」というエントリーも書いています。
▽「シリアの民主化運動のSNSに参加してみると、どこよりも早い速報がどんどん入ってくることは前述しましたが、昨日あたりからまたいっきに増えてきました。ネット上ではもう革命前夜の勢いです。
いくつかの映像を紹介します。放送用に編集されていないので、かなり残虐なシーンがあります」
「繰り返し書きますが、以上はいずれも目を背けたくなるようなシーンが多いです。けれども、現実です」(3月25日)
同エントリーでは11本の動画を紹介しています。そのうち元アカウントが閉鎖されずに現在もアクセスできるのは以下の5本です。
▽発砲鎮圧・犠牲者(※残虐なシーンがあります)
▽犠牲者(※残虐なシーンがあります)
▽秘密警察による逮捕(デモ参加者が私服の秘密警察に逮捕されたシーン。場所はダマスカスのようです)
▽ダマスカス近郊でのデモ(アル・ハジャル・アル・アスワドという町)
それ以降は、ほぼ毎日のようにシリアから発信される動画をアップすると同時に、シリア紛争の背景を解説するエントリーを書き続けました。それは、この残酷な現実を知らせたいという動画の撮影者・発信者の思いに衝き動かされたからだったように思います。
その後、こうした動画発信と情報発信に携わっている反体制派グループの取材のため、筆者が隣国レバノンに向かったのは、同年7月のことでした。
あれから10年が過ぎました。その間、ありとあらゆる戦争犯罪を行ってきたアサド政権は今も存続し、恣意的な拘束・拷問・処刑を恐れる難民の皆様は帰国できずにいます。この10年前の光景は、過ぎ去った昔話にはまだなっていないのです。
(※以下、シリア紛争の経緯・構造を知りたい方のために、ご参考までにいくつかの拙稿をご紹介します)
▽FBに怒りの声「ジハードに立ち上がるべきだ」~シリア革命:SNS参戦記(その1/連載は全4回) 2012年2月13日 JBpress
▽国民が殺され続けているシリア、ついに知人のアハマドさんも 2012年9月10日 JBpress
▽「悪玉なのは反体制派の方」? シリア内乱を巡る誤った言説を正す 2012年9月25日 JBpress
▽「どこの国でもいいから助けてくれ!」 シリア国民の悲痛な叫びを聞いてほしい 2013年9月9日 JBpress
▽震災と同じく3年が経過したシリア危機。すでに14万人以上が犠牲になったが、今も殺戮は続いている 2014年3月11日 YAHOO!ニュース個人
▽シリア内戦 紛争地の人々が撮影した「証拠としての動画素材」の使い方 2016年6月27日 YAHOO!ニュース個人
▽シリアで再び、東アレッポで大虐殺が進行中~共犯者「アサド政権&ロシア」の嘘に惑わされるな 2016年9月26日 JBpress
▽8年目突入のシリア紛争!終わらぬ戦いの主軸は「独裁政権+ロシア」vs反体制派。 【代理戦争】ではない 2018年3月20日 YAHOO!ニュース個人
▽10万人が消された! シリア「拷問刑務所」の実態~エスカレートするアサド政権による住民の殺戮 2019月5月21日 JBpress