政府・与党の「80時間審議したから安保法案を採決してよい」論には何も根拠が無い
さて、政府が「安保法案」(戦争法案)の強行採決に向けて、地ならしを始めました。
しかし、そもそも「80時間審議したら採決をして良い」という法律や規則が存在するわけではなく、政府の勝手な方針です。この「~時間ルール」は、政府が対決法案を採決に持ち込む際、しばしば口実にされますが、今回の「安保法制」は、法律の数だけでも10個もの法案を一括審議するものであり、ニュートラルな物言いをするにしても、我が国の安全保障制度をかなり根底から変革するものです。通常の法案審議の目安時間を前提すること自体がおかしな事でしょう。
また、「安保法制」が日本国憲法に適合している、という政府の説明が、憲法学者らの発言に端を発して根底から覆っている状態で、「適合している」前提の審理計画に固執するのは、与党の失敗を国民に押しつけるものであり、卑怯というものでしょう。この点についてニュートラルな物言いをするとしても、「安保法制」の合憲性根拠について、政府の最終見解が出されたのはやっと6月9日のことです。どんな法律でもそうですが、法案の審議は土台としての憲法上の根拠がはっきりしなければ、理屈で詰めようがないものです。実際、政府は土台がないのを逆手にとって質問にまともに答えない態度に終始してきました。政府が6月9日に見解を出さざるを得なかったのは、その点が揺らいでいたからなのです。議論の土台が示されていない段階での議論を審議時間にカウントするのはこれまた卑怯なことでしょう。
さらに、例えば自民党議員や百田尚樹氏の言論統制問題の審議も安保法制の特別委員会で行われています。安保法案自体が憲法違反であるとされているなか、他の条文とはいえ憲法違反を引き起こした事件を野党が追及するのは当然でしょう。他に機動的な追及をする場がないのも現実です。この審議の時間が「80時間」に含まれているのか否か、筆者は知りませんが、含まれているとすれば、政府与党自らの憲法違反が理由になって実質的な審議時間が短くなっているのだから、これまた、政府与党の“自己責任”を他に転嫁していることになります。
一方、「選挙で選ばれた国民の代表が決めたんだから粛々とやるべし」という議論はあり得るでしょうが、そもそも、今の衆院の構成自体が、一票の価値の平等に違反する憲法違反の状態であると最高裁判所に言われていることを想起すべきでしょう。2014年の総選挙における与党の絶対得票率(比例代表)も25%弱に過ぎません。世論調査で過半数の国民が憲法違反とする法案を「数の力」に頼んで強行して良いとする正当性は極めて乏しいでしょう。
政府与党の準備不足や失態のせいで、法案の審議は深まらず、法案に対する国民の理解は遠のくばかりです。安倍首相は5月に米国議会で安保法案の夏までの制定を“公約”してきましたが、政府がこの安倍首相の発言にとらわれているとすれば売国の所行と言われても仕方ないでしょう。国内世論の統合を維持したまま国の一大事を決定することからも、売国の誹りを受けないためにも、強行採決だけは絶対にすべきでないと強く思います。