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がんステージ4の緩和ケア医、抗がん剤をやめた理由「病院で死ぬということ」山崎章郎さんとの再会②

なかのかおりジャーナリスト(福祉・医療・労働)、早稲田大研究所招聘研究員
山崎章郎さん なかのかおり撮影

筆者が新聞記者だった2000年、福島県内版の正月企画で、終末期医療を通して生を見つめる連載を担当した。その際に、東京都の桜町病院ホスピスを訪ね、福島県出身の緩和ケア医・山崎章郎さんにインタビュー。以来、様々な機会に取材し、各地の学会等でお会いすることもあった。

 山崎さんは2005年、東京都小平市で、訪問看護ステーション・デイサービスや賃貸住宅を備えた、人生の最期まで支えるコミュニティ「ケアタウン小平」を仲間と始め、地域の在宅医療に当たっている。

 筆者はその後、高齢出産して子育てと仕事との両立に向き合い、終末期の取材から遠ざかっていた。だがコロナ禍に、子育て家庭や病を抱える人、様々な立場の人がそれぞれの孤立や辛さに直面した。死生観や看取りも変わり、同じ痛みを持つ人同士、分断した現状を見直すきっかけになるのではと感じている。2021年末には父を亡くし、人生のしまい方がより身近になった。

 2022年の初夏、ずっと気になっていた、ケアタウン小平で続く親子イベントに参加して取材した。その際に、実は山崎さんが大腸がんになってステージ4であり、「がん共存療法」を模索していると知った。

 しばらくぶりに山崎さんと再会し、インタビューした。山崎さんの人生やケアタウンのこと、患者としての体験、最後のライフワークについてお伝えしていきたい。

連載①はこちら

○今できることをやりたい

【抗がん剤治療をして辛い副作用に耐えながらお仕事をしていたけれど、転移がわかって…】

【山崎さん】

 私は大腸がんの手術をしてステージ3とわかって、それで再発予防のための抗がん剤を半年やったんですけどね。先ほどお話したように、散々なというか、教科書が一冊書けるぐらい…教科書通りの副作用が出たんだけども、半年後の検査でわかったことは、両方の肺への転移だったのね。しかも多発の転移だったので、もうそうなってくると、残された標準治療は抗がん剤しかない。

 そうした時に、「あんなに半年間苦しかった、辛かった治療を、これから、しかも治すことを目指せない抗がん剤治療をまた受ける意味があるのかな」と思って。主治医に、ステージ4の標準治療である抗がん剤に関しては、「今ここで返事できません、ちょっと時間をください」と言って1ヵ月ぐらい時間をもらったんですよね。

 1ヵ月たつと、副作用が抜けてくるから、どんどん元気になって、つまり普通の体調に戻るんですよ。そうするとわかるわけですよね、副作用で辛かったんだと。改めて考えたら、再発を予防する目的で抗がん剤を使っていたのにも関わらず、両方の肺に複数の転移が広がっていたということを考えると、結構強いがんだよね。

 抗がん剤をやって、しかもなかったところにできたわけだから。自然にできたなら、ともかくとして、抗がん剤をやっていたのに。なので、これ以上はできないなと。それから抗がん剤が、半年間の飲み薬だったんですよ。自分の日常生活の中での飲み薬だったけれど、「ステージ4になったら点滴の治療になります」と言われたので。そうなると、副作用が辛くても仕事はできていた、今までのペースではなくなる。

 抗がん剤の副作用があっても、がんばって仕事はして、在宅の緩和ケアは継続していたんです。それをもろもろ考えて、1か月たって、副作用が抜けて元気になっちゃったんで、改めて抗がん剤治療を受けて、同じ副作用に直面してしんどい思いをして、日常生活がちゃんとできないままにね、命が延びたとしても…。

 だったら、「今できることを、しっかりやっていったほうがいいな」と思うようになってね。それで1か月後に、「せっかくの提案ですけど、抗がん剤治療は受けないことにしました」と主治医に言ったところが、始まりなのね。

○専門家の自分には予測できる経過

【抗がん剤治療を受けないことにして、どのように過ごしていたのですか】

【山崎さん】

 普通の体調になったから、普通に仕事を再開したけれど、がんはあるし、がんに対する直接の治療はしないことにしたので「抗がん剤に打ち勝って大きくなったがんだから、そのうち成長するだろう」と思って。元気なうちに、多くの患者さんと同じですよね、とにかく身辺整理しなくちゃいけない。ケアタウン小平チームのこともあるし、考えなくちゃいけないことが一杯あったんだよね。

 いろいろ考えているうちに、どんな風に自分のがんが経過したか、よくわかるわけですよ。がんの患者さんをたくさん見て来てるし、いずれこうなるだろうなとわかるし、そうなったらどうすればいいかもわかっているし、自分の体の変化も予測できるでしょう。

 予測できたことに対する、対策もあるわけです。だから、自分のがんが広がって体力が落ちて行って、症状が出たとしても、緩和ケア医として、自分自身にも対処はできる。つまり、治すことや体力の低下は止められなくても、苦痛やいろいろなことに関してはね、死んでいくまでの経過は大丈夫だなあと。

 そんなことを考えていたんですけど、もろもろ考えているうちに、「こんな風に自分のがんを受け止められるのは、専門家だから」と思ったわけよね。がんの患者さんたち、つまり治癒が前提できない人たちがどんな経過をたどるかが予測できて、予測できたことに対する対処法も知っているから、そんなに恐れなくていいんだと。

〇延命できたとして、限界は来る

【山崎先生は自分の状況を見て対処できるけれど…患者さんのことを考えたのですね】

【山崎さん】

 そうですね。全くこういうことを知らない患者さんにしてみたら、初めて経験することばかりだし、治らないんだっていう前提でも、たとえば抗がん剤を選ぶ人は選べば、もちろんそれでいいんですけど、選んで副作用もなくて、うまく延命できたとして、でもどこかで必ず限界が来てしまう。

 国立がん研究センターのホームページにも、「進行した固形がんの場合に、抗がん剤治療が主になります、抗がん剤治療をした場合は、しなかった場合よりも、数か月から数年は延命が期待できます」ときちんと書いてあるので、数年の延命は期待できるかもしれない。けれど、そこまでなんです。

 なので、そういうふうな現実でも「頑張りたい」と思う人がいれば、抗がん剤、つまり標準治療が、頑張りたい人たちにとって、すごく大きなよりどころになると思うんですよね。私のような経験をしてしまって、なおかつ先が見えている状況だと、抗がん剤治療をしながら日々を過ごした時に、「ふだんの生活ができているのであれば共存していけるけども、同じ副作用は勘弁してほしい」という思いがあったから。

 私は専門家として対処法を知っているけど、「知らない人が結構いて、みんな大変な思いをして、こういうプロセスを歩んでいるんだな」と、しみじみと思ったのね。

(つづく)

やまざき・ふみお 1947年生まれ、福島県出身。緩和ケア医。75年千葉大学医学部卒業、同大学病院第一外科、国保八日市場(現・匝瑳)市民病院消化器科医長を経て91年聖ヨハネ会桜町病院ホスピス科部長。

2005年、在宅診療専門診療所(現・在宅療養支援診療所)ケアタウン小平クリニックを開設し、訪問診療に従事。認定NPO法人コミュニティケアリンク東京・理事長。2022年6月からは、医療法人社団悠翔会が継承した同クリニックの名誉院長で、非常勤医師として週1回ほど訪問診療している。著書に『病院で死ぬということ』『「在宅ホスピス」という仕組み』など。

「がん共存療法」は、山崎さんが試行錯誤しながら進めている。この秋から、準備室を開設し被験者(患者さん)を募って臨床試験を行い、エビデンスを集める予定。詳しくは『ステージ4の緩和ケア医が実践する がんを悪化させない試み』(新潮社)で。

ジャーナリスト(福祉・医療・労働)、早稲田大研究所招聘研究員

早大参加のデザイン研究所招聘研究員/新聞社に20年余り勤め、主に生活・医療・労働の取材を担当/ノンフィクション「ダンスだいすき!から生まれた奇跡 アンナ先生とラブジャンクスの挑戦」ラグーナ出版/新刊「ルポ 子どもの居場所と学びの変化『コロナ休校ショック2020』で見えた私たちに必要なこと」/報告書「3.11から10年の福島に学ぶレジリエンス」「社会貢献活動における新しいメディアの役割」/家庭訪問子育て支援・ホームスタートの10年『いっしょにいるよ』/論文「障害者の持続可能な就労に関する研究 ドイツ・日本の現場から」早大社会科学研究科/講談社現代ビジネス・ハフポスト等寄稿

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