大怪我から復活し、地元で重賞に挑戦する1人のジョッキーの物語
相撲、野球を諦めて騎手になる
「せっかくの地元開催なのに……」
そう言って唇を噛むのは丹内祐次。1985年11月5日、函館で生まれたジョッキーだ。
父・孝夫、母・みどりの下、兄と姉と共に育てられた。幼少時に熱中したのは相撲と野球。小兵ながら角界で頑張る霧島や寺尾といった力士に小さな体の自分を重ねて応援。場所中は自ら星取表まで書き込むほどのファンだった。桑田真澄や原辰徳を応援した野球は自らもプレー。キャプテンを務めた事もあった。しかし、年齢がいくと周囲の友達との体格差が広がり、パワーでかなわなくなった。そんな時、目に飛び込んできたのが“競馬”だった。
「実家の近くに函館競馬場がありました。学校へ行く前に寄って調教を見るうち、騎手になっていつかここで大きなレースを勝ちたいと思うようになりました」
中学2年の時には騎手になろうと決めていた。競馬学校の願書も自分で取り寄せた。受験の際、生まれて初めて馬に乗ると、野球で鍛えた運動神経で対応。「最初から面白い」と感じた。
競馬学校を無事に合格し、3年後の2004年、美浦・清水美波厩舎から騎手デビューを果たした。大きな希望を持って臨んだ1年目だが、経験も縁故もないまま北海道から出て来た少年に吹き付ける現実の風は冷たかった。デビュー年は8勝をするにとどまったのだ。
大怪我からのV字回復
「それでも師匠の清水先生はよく乗せてくださったので、真面目にコツコツと頑張るようにしました」
そういった態度が2年目に実を結んだ。一気に数字を伸ばし、27勝をマーク。3年目の06年は2月が終わるまで1勝しか出来なかったものの、それ以降は再び勢いを取り戻して夏を迎えた。そんな8月19日、忌まわしい事故に巻き込まれた。この日の新潟競馬の第6レース。直線の入り口で目の前にいた馬が故障を発症し落馬をすると、丹内の馬も脚元をすくわれるようにして転倒。馬場に叩きつけられた。
「人生初の骨折でしたけど、あまりの痛さにすぐに骨が折れていると分かりました」
右上腕骨骨折。すぐに手術をし、全治3ケ月の診断がくだされた。
「退院するだけでも2ケ月かかりました」
そして全治すると言われた3ケ月が過ぎた。しかし……。
「痛みがひきませんでした。それどころか4ケ月経ってもまだ痛かったけど、患部以外はピンピンしているので正直、焦りました」
そこで、痛みに目を瞑って調教を再開した。トンネルの出口を求めた行動だったつもりが、そうではない事に気付いたのは、より深く掘り進んでしまった後だった。無理したため痛みは更に強まり、結果、再手術を余儀なくされた。
「腰の骨を腕に移植して、プレートとピンを2本入れる大手術になりました」
当然、休養期間は延長され、ようやく競馬場に姿を戻せたのは最初の落馬から1年近くが過ぎた07年の初夏となった。こうしてターフに戻った丹内だが、長いブランクの間に減量の特典と騎乗の際の勘を失っていた。復帰後初勝利を飾るまでには2カ月近くを要した。その後もなかなか勝てないでいるうち、翌08年にまた傷が痛みだした。検査をすると埋め込んだピンが折れている事が判明した。春に手術をして、またも長期休養。秋に戦列復帰をしたが、以前のように乗り馬が集まらない。結果、この年はデビュー以来最低の3勝のみ。翌09年も8勝に終わった。
「怪我は治ったけど、数は乗せてもらえなくなりました。正直、苦しかったし、投げ出したい気持ちにもなりました」
引退も頭を過ぎったが、夢見た地元・函館での大仕事をやり遂げていない事を思い、踏みとどまった。
「とにかく一所懸命にやっていくしかないと心に決めて、自分なりに頑張りました」
その姿を見る人は見ていてくれた。師匠の清水は以前と変わらず乗せてくれた。また、助けてくれるオーナーや関係者もいた。そんな中の1人に“マイネル軍団”の総帥・岡田繁幸がいた。お陰で勝ち鞍はV字回復。10年には20勝、11年の春にはコスモメドウで天皇賞(春)に挑戦。デビュー8年目で初めてG1騎乗を果たすと、同年は32勝を挙げ、デビュー以来、自身最多勝利記録を更新。その後も毎年、安定して勝ち星を残すようになった。
14年には師匠が定年により引退した。後ろ盾を無くしたが「これで勝てなくなったら(清水美波)先生に申し訳ない」と一念発起。オフの日にも牧場を訪ねて調教に乗るなどした結果、この年は22勝をマーク。翌15年にはマイネルクロップで佐賀記念を勝利。同馬とのコンビでは自身初のJRA重賞制覇となるマーチS(G3)優勝も成し遂げた。
「お世話になっている“マイネル”さんの馬で重賞を勝てた事が嬉しかったです」
念願の地元での重賞制覇
更に翌16年、ついにその時がやってきた。マイネルミラノに騎乗して函館記念(G3)を逃げ切り。念願の地元での重賞制覇を飾った。
「函館記念はずっと勝ちたかったレースです。両親も喜んでくれたし、諦めずに騎手を続けて良かったと思いました」
昨年も27勝を挙げると、今年は更にその数字を上回るペースで勝ち星を加算。6月13日から始まった函館開催でも1ケ月で6勝をマーク。悪くない調子だが「ただ……」と丹内は残念そうに冒頭のセリフを口にした。
「せっかく地元に帰って来たのに残念な事に今年は新型コロナウィルスの影響で無観客競馬になってしまいました。ファンの皆さんがいない中での競馬で、当然、僕の友達や家族も現地観戦が出来ません。でも、こういう状況なので仕方ないと腹をくくり、皆さんに朗報を届けられるよう頑張ります!!」
今週末の函館記念ではマイネルファンロンでの一発を狙う。昨年は2着に好走しアッと言わせたコンビが、果たして今年はどんな競馬を見せてくれるだろう。テレビの前からご当地ジョッキーに声援を送ろう。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)