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海岸に打ち上げられたシリア難民の男の子アラン君の死

木村正人在英国際ジャーナリスト
溺死したシリア難民アラン君の死を悼むツィート

1枚の悲しい写真が今、世界を突き動かしている。9月2日、トルコの砂浜に打ち上げられた痛々しい男の子の遺体。ギリシャに向かう途中に命を落としたクルド人のシリア難民だ。名前は「アラン・クルディ(Alan Kurdi)」。3歳だった。インターネット上にアラン君の死を痛む書き込みや風刺画の投稿が相次いでいる。

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、今年に入って7月末までに12万4千人(昨年同期比750%増)の難民が地中海を経由してギリシャにやってきた。このうちシリアからの難民は6割を超える。

7月だけで5万人。6月より2万人も増えた(70%増)。いずれもトルコに近いレスボス、キオス、サモス、レロス、コスといった島々を目指してトルコから「ボートピープル」が押し寄せてくる。

今年に入って7月末までに、中東・北アフリカから地中海を渡って欧州に到達した難民は22万5千人。2100人がその途中で亡くなったり、行方不明になったりしたと推定されている。昨年は約21万8千人がボートで地中海を渡ったが、途中で少なくとも3500人が死亡した。

これまで欧州はイラク、シリア、リビアなどの内戦で大量に発生した難民の受け入れを渋ってきた。しかしアラン君の死が世界中に報じられ、欧州の世論は一変、これまで受け入れに難色を示してきた英国のキャメロン首相も急きょ、難民の受け入れ枠を拡大する方針を表明する方針だ。

トルコの海岸から最短距離で4キロ余のギリシャ・コス島を目指していたボートが沈んだのは2日早朝だ。トルコ南部ボトルムの砂浜に打ち上げられた男の子の遺体を警官が見つけ、抱き上げる写真が世界中に報じられた。アラン君と5歳の兄、母親は溺れ死に、父親だけが生き残った。

23人の難民が2つのボートに別れて乗り込み、ボトルムを出た。その直後、高波に襲われた。船長は早々と逃げ出し、父親が代わりに舵を取った。が、そこに新たな高波が襲ってきた。海に投げ出された父親は2人の息子を助けようとした。どうすることもできなかった。結局、妻と息子2人を含む14人が死亡した。

アラン君一家はトルコ国境に接するシリア北部のコバニに住んでいた。シリア内戦の勃発に伴い、2011年後半までダマスカスで避難生活を送っていた。戦闘が激化し、コバニから25キロ離れた村に戻った。14年後半には、コバニが過激派組織「イスラム国」とクルド人勢力の激戦地となり、家族は数万人の避難民とともにトルコへと逃れた。

ここで問題が生じた。シリアのアサド政権はクルド人の地位を認めず、旅券を発行していない。トルコ政府は11年10月からシリア難民を本国に送還しないことを約束し、旅券を所持するシリア難民には1年間の居住許可を与え、移動の自由を認めた。

しかしシリア旅券を持たないクルド人は難民キャンプにとどまることが義務付けられた。キャンプ外に出ることは違法とされた。

アラン君のおばさんが20年前にカナダに移住し、バンクーバーで理容師をしていた。おばさんは金銭的な支援を約束し、アラン君一家はトルコからカナダに難民申請をした。しかし願いはかなわなかった。

トルコ政府がシリアの旅券を持たないアラン君一家に出国ビザを認めなかったからだ。このため一家は違法にトルコから欧州に入ろうとして3回失敗し、4回目ついに船が難破してしまったのだ。アラン君一家のようなクルド人のシリア難民は数千人いるが、いずれも法の谷間に落ち込んでしまって身動きができなくなっている。

アラン君の父親は今、亡くなった妻と2人の子供の亡骸とともに故郷のコバニに帰り、荼毘に付して一緒に埋葬してやりたいという。

今年6月末時点で、欧州で棚上げされたままになっている難民申請は56万7785人分。ドイツが断トツに多く、30万6010人。人口1千人当たりで見てもドイツは3.8人とスウェーデンの5.7人に次いで多い。経済的に豊かなドイツを目指す難民が多いからだ。

出展:Eurostatのデータより筆者作成
出展:Eurostatのデータより筆者作成

ハンガリーのオルバン首相が欧州に難民が押し寄せていることについて「欧州の問題というより、むしろドイツの問題だ」と批判した。ドイツのメルケル首相が甘い顔をするからハンガリー経由で大量の難民がドイツを目指し、対応に困っているという言い分だ。

ドイツ政府は今年、難民申請者が昨年の4倍の80万人に達すると見込んでいる。メルケル首相は「戦争難民を受け入れるのは欧州全体の義務だ」「ドイツは人道的、法律的に求められていることを実行する。それ以上でも、それ以下でもない」という。

毎日新聞によると、ドイツでは今年に入って8月末までに難民収容施設への放火など難民への攻撃が337件に達したという。東部ザクセン州ハイデナウではホームセンターに難民申請者を収容しようとしたところ、ネオナチらのデモ隊600人と警官隊が衝突、警官31人が負傷する事態に発展した。

もともと「イスラム国」が生まれたのは、米国のブッシュ大統領と英国のブレア首相が強行した2003年のイラク戦争に端を発している。米国が主導するシリアやイラクでの空爆はイスラム過激派を減らすどころか逆に増やしているとさえ言われている。

人道を旗印に掲げてきた欧州にはもっとできることがあるはずだ。アラン君、どうか安らかにお眠り下さい。

(おわり)

イラストはベルギーで暮らすシリア出身のAzzam Daaboulさんのツィートから。

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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