なぜフワちゃんは炎上したのか。謝罪の流儀から見る二つの分岐点
やす子さんへのSNS投稿をめぐり、8月11日にフワちゃんの活動休止が発表されました。
仕事柄、これまで数多の謝罪会見に行き、数え切れないほど謝罪のリリースも見てきました。
何かしらトラブルが起こってしまった。ここからどう動くのが良いのか。どう謝ればいいのか。当事者からそんな相談を受けてもきました。
そんなことを二十数年経験してきた中で、謝罪には良い謝罪と悪い謝罪があることも強く体感してきました。何が良し悪しを分けるのか。大きく考えて、そのポイントは三つあると考えています。
①何より、最初に謝るのは迷惑をかけた相手。
②誰に、何を謝るのか。それを明確にする。
③絶対にウソをつかない。
ここから外れること。ここに反すること。それをやってしまうと、謝っているはずなのに、新たな火種を生んでしまいます。
今回のフワちゃんの騒動になぞらえると、フワちゃんは4日に不適切投稿を削除後、自身のXで「本当にすみません 今ここで皆さんに報告することではないのですが、言っちゃいけないことを言って、傷つけてしまいました ご本人に直接謝ります」と発信しました。世間に対して謝る流れに、本人への謝罪をしたいという思いを乗っける形になりました。
本来、ここはフワちゃんサイドがやす子さんサイドに水面下で連絡を取り、直接やす子さんに謝罪をする。それをやりきって、やす子さんから今回の騒動に対するゆるし。そして、フワちゃんが今回のことに関して世間に発信するゆるし。この二つのゆるしを得てから、本来ことを進めるところだったと考えます。①の順番が違っていた。そして、まず誰に対して謝っているのか。そこが明確にならなかったことが②の要素も刺激したのだと思います。
そして、なぜこんなことが起こってしまったのか。そこに関しては、アンチコメントをあれこれ想定していて誤操作で送ってしまったという説明をXでされました。
フワちゃん自身が発信してらっしゃるので、もちろん、これが本当のことである。それが一番ナチュラルな流れではあると思います。
ただ「なぜそうなったのか」に対する情報は、フワちゃんのこのわずかな説明しかない。となると、様々な憶測を呼んでしまう。その流れも実際に起こってしまっています。
「なるほど、そういうことだったのか!」という空気を作るのが説明の意味のはずが、残念ながら、そうはなっていない。これが本当のことだったとしても説明が足りていないと、新たな「?」を増やしてしまう。実に、もったいないことです。
2016年に不倫報道が相次いだあたりから「何かあった時に、こうしないとダメ」という世間の危機管理偏差値が上がりました。良いのか悪いのか、昨今はそこにSNSが加わっています。より一層「こうしないとダメ」からズレると、火の手が上がりやすくもなっています。
より一層“正しく”謝らないと火の手が収まらない。これも良いのか悪いのか、確実にそんな世の中になっています。
そんな中、全く別の案件ながら、フリーアナウンサーの方が男性のニオイに関する発信をして、事務所を契約解除になったという話もありました。
何かがあった時に「かくあるべき」を掲げる。そして、高い清廉性を求める。それだけ見ると悪いことではないのかもしれませんが、事実として清廉性の中にもグラデーションがあるものだと思います。“〇か×”かではなく“程度”で判断されるのが妥当だとも思います。
より良い世の中のための清廉性なのか。
誰かを追い落として溜飲を下げるための清廉性なのか。
何かのトラブルからの謝罪。そして活動休止や謹慎、契約解除。
そういったことが連続して起こる中で、そこの視点も相当量ないと、息苦しさに満ちた世の中になってしまう。それも強く感じます。