DV被害の専業主婦、心身ズタボロの女性看護師ら。傷ついた人々の心を癒す人の優しさに触れる1作
どん底にいる人々のどん底からの人生のリスタートにエールを送る物語
「幸せになるためのイタリア語講座」や「17歳の肖像」「ワン・デイ 23年のラブ・ストーリー」など、市井の人々に温かな眼差しを注いだ人間賛歌の物語を作り続けているデンマークの名手、ロネ・シェルフィグ監督。新作「ニューヨーク 親切なロシア料理店」もまた監督ならではの社会の片隅で生きる人々に温かな眼差しを注いだ1作だ。
作品の舞台となるロシア料理店<ウィンター・パレス>は、老舗ではあるがもう経営が傾きかけている廃業寸前のレストラン。食通が通ってくるわけでもなければ、名物と呼べるようなメニューも(おそらく)ない。飲食店としてはもう用済みと、烙印を押されつつある。いわばもう見限られた場所といっていいかもしれない。
そんなどん底の場所からのどん底にいる人々の人生のリスタートに監督はエールを送る。
大好きな町であるニューヨークの変化を危惧
今回はシェルフィグ監督の完全なオリジナル・ストーリー。脚本をすべてひとりで担当するのは、2000年の「幸せになるためのイタリア語講座」以来と久々になる。シェルフィグ監督は今回脚本を自身ひとりで手掛けた理由をこう明かす。
「実は、なにか特別なモチベーションがあってとか、そういうわけではなかったんです。自然な流れというか。
正直なことを言うと、自分の書いた脚本であろうと、ほかの人の書いた脚本であろうと、私の中ではあまり変わりがないんです。しいて違いがあるとすれば、自分で書いた脚本のほうが、登場人物の一人ひとりをよく知っているぐらい(笑)。
だから、今回は久々にすべて脚本を自分で担当したわけですけど、なにか特別な理由があって書き始めたわけではないんです。
ただ、私自身も何十年とみてきて好きな町であるニューヨークという場所に少し心配というか不安を抱いて、それが脚本を書く原動力になったところは確かにあるかもしれません。
ここ数年でアメリカでは対立や分断が広がり、ニューヨークも昔はあらゆる人を受け入れてくれる場所だったのに、そうではなくなってきている気配のようなものを感じたところがあったんです。
そこで従来あった、今もどこかで残っているであろうニューヨークの多様性を認める価値観のようなことについてひとつ考えたところはありました」
コロナ禍となった今、この作品は確かに新たな意味をもった
この監督の言葉通り、作品には、ニューヨークの寒空の下に多様な人物が登場する。夫の暴力に耐えかねて家を飛び出てきたクララと二人の息子、救急病棟の激務をこなしながら、社会福祉で困った人々に手を差し伸べるアリス、商売下手で経営が傾きかけているロシア料理店<ウィンター・パレス>のオーナー、ティモフェイ、その店のマネージャーに収まった刑務所を出所したばかりのマーク、絶望的に不器用なことからことごとくついた仕事でクビを言い渡されるジェフなどなど。それぞれ苦境にいて都会の片隅に点在していた彼らは不思議な縁でロシア料理店<ウィンター・パレス>でつながることになり、それぞれが自分たちの居場所を見つけ、再スタートのときを迎える。
小さなロシア料理店で、いかなる状況にあっても良心を失わない人々が互いを認め、困ったことがあれば何の見返りも求めず救いの差し出し、苦難を乗り越えていく、誰を責めることもなければ、誰も見捨てない物語は、コロナ禍のいま、大切ななにかを教えてくれる。
「この映画がつくられたのは、新型コロナウィルスの発生前のこと。そのときは、当然ですけど、世界がこんなことになるなんて予想もしていませんでした。
そしてコロナ禍となった今、この作品は確かに新たな意味をもった気がします。
たとえば、このコロナ禍でありふれた日常や親しい人と同じ時間を共有することが、かけがえのないことだと気づいた人は多いのではないでしょうか。そういう人として大切な時間や関係がこの物語の中にはあると思います。
この物語では、登場人物たちが最後に笑顔を取り戻しますが、私たちにもあのような笑い合える瞬間が早く戻ってくることを願っています」
あらゆる場面で暴力が加速しているような気がしてならない
もうひとつ本作が大きくピックアップしているのが、暴力についてだ。その理由を監督はこう明かす。
「いまあらゆる場面で暴力が加速しているような気がしてなりません。今回は、そうした現実があることをひとりの映画制作者としてきちんと描かなければと思いました。
きちんと描かないと、美化しているように受け取られかねないので、辛いシーンにはなってしまうのですが、クララと二人の息子が普段感じている恐怖をリアルに描写することに徹しました」
また、本作の根底に流れる『共生』や『個人の尊重』というテーマを象徴する人物として存在するのが、<ウィンター・パレス>のオーナー、ティモフェイ。誰とでも分け隔てなく接するこの人物にはイギリスの名優、ビル・ナイを配した。シェルフィグ監督が彼と組むのは前作「人生はシネマティック!」に続いてのこと。彼の名はエグゼクティブ・プロデューサーにもクレジットされている。
「これまでいろいろな俳優と仕事をしてきましたが、その中でも彼は特別な存在です。彼はほんのささいなことでミラクルなことを起こしてしまうような、マジカルな俳優です。
今回もティモフェイという人物を時に愛くるしく、時に紳士に演じ手くれて、私は撮影中、監督なのにこんなに笑顔でいいのというぐらい、彼のシーンは楽しくて、ずっと笑っていました。
彼はほんとうに不思議な魅力がある人で、まったく初めて会った人とも最初の1分ぐらいで仲良くなって、自分の世界へと惹きこんでしまう。
エグゼクティブ・プロデューサーに名を連ねたのは、私のリスペクトの表われたものとして受けとってください」
映画業界で長年にわたって創作できてきたこと、家庭をもって子どもを育て上げられたこと、この両方が等しく私にとっては誇り
デンマークから世界へと羽ばたくきっかけとなった「幸せになるためのイタリア語講座」から20年、映画監督デビューからは30年の月日を数える。海外においても女性監督としてこれだけ長きキャリアを築くことは容易ではない。このキャリアをこう振り返る。
「そんな大きな質問、ひと言では言い尽くせない(笑)。
ひとりの映画作家としては、若いときにコマーシャルをたくさん撮って、そこでテクニカルなことから表現方法まで多くを学び、それがベースになっていまも続いていると思います。
これまでのキャリアの中では、実現しなかった映画もたくさんありますし、逆に断った映画もたくさんあります。『断った後に、あれ?何でやらなかったんだろう』と後悔したことも珍しくありません。いいときもあれば、よくないことが続いたときもありました。いまとなってはいい思い出ですが、サバイブしてきたといえばサバイブしてきたのでしょう。
一方で、私生活では結婚して、いまも幸せなことに結婚生活は続いています。子どももひとり授かり、無事に親の手から離れるまで育てあげることができました。
映画業界で長年にわたって創作できてきたこと、きちんと家庭をもって子どもを育て上げられたこと、この両方が等しく私にとっては誇りです」
その人の人生に少し彩りを添えるような作品をこれからも届けていけたら
60歳を超えた今後、監督がどんな作品を届けてくれるのか期待してしまう。
「これまで、いろいろなことをやってきました。映画制作のほかに、翻訳の仕事もしていますし、学校で教えることも経験しています。なので、自分には映画作りがすべてではないこととどこかで考えている。
ただ、映画が自分が唯一できることではないと認識しながらも、これからもやっぱり映画を作り続けていきたい。映画でなにかを物語りたい。
なにを描くかは、年齢とともにいろいろと考えも変わって、興味のあるテーマや題材も変わっていくでしょう。ただ、私は『こう生きろ』とかいった、他人に無理やりひとつの価値観を押し付けるようなことは嫌いなんです。その点については、おそらく生きていればの話ですが(笑)、100歳になったとしてもかわらない。ですから、何かを押し付けるのではなく、何かその人の人生に少し彩りを添えるような作品をこれからも届けていけたらと思っています」
「ニューヨーク 親切なロシア料理店」
監督・脚本:ロネ・シェルフィグ
出演:ゾーイ・カザン、アンドレア・ライズボロー、
ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ、タハール・ラヒム、
ジェイ・バルチェル、ビル・ナイ ほか
シネスイッチ銀座、新宿シネマカリテ、YEBISU GARDEN CINEMAほか
全国順次公開中
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